あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

声ならぬ声(1)

2019-05-26 | 私が歌手

森川聖詩さんの本「核なき未来へ」

は380頁のボリュームで

森川さんの講演会へ参加するにあたり

直前に読み終えた。

前編は被爆二世としての半生について

書かれている。

私の父は入市被爆として

医療費負担がないという

恩恵を受けて居た。

私は被爆二世ということになっていて

健康診断や歯槽膿漏検査は

格安で受けられる。

その通知が何年かに一度か・・

役場から届くけれど

日常では被爆二世を意識することは

ない。

森川さんの講演会で

被爆二世や三3世が

差別される実態に触れられた。

忘れて居たことを思い出した。

東京に暮らしていた時期、

交際していた男性から言われた。

「広島の女とは結婚するなと

親から言われている」

前後の脈略は記憶にないし

彼の本意は今でも分からないが、

私を傷つけたかったようだ。

結婚しなかったのは成り行きだ。

血迷ってお見合いを

たくさんした時期もあるが

10代からの夢を叶えた格好です。

「近藤発言」も初耳だったが、

国会議員だった氏が

被爆二世(三世も?)は

子をなすべきではない

と議会で発言したのだとか。

放射能のダメージは遺伝するという

認識を多くの人が持っているという

証拠だ。

それなのに医療などの

補償問題となると

国は遺伝的な根拠がないとして

腰が重くなるようだ。

何より驚いたのは

原発が核兵器製造に欠かせないから

国が推進してきたという事実。

原子炉がない限り

核兵器は作りだせないのだそうで

石炭や石油が底をつくというウソを

鵜呑みにしてしまった

国民全体の責任でもある。

戦争を体験した当時の人たちも

いつのまにか戦争になっていたと

思ったのではなかろうか。

どうしてやめられなかったか。

と今の人間は思うけれど

儲かる国や企業がある限り

戦争はなくならない。

お金の為には何でもするという

人間の欲深さが問題ではないか?

世界中に蔓延している拝金主義が

見なおされない限り戦争は無くならない。

「豊かである」ことは悪ではない。

どんな生き方が本当に豊かなのかを

自身に問うているところだ。

少なくとも

持てないほどの金品を得て

使いきれないほど溜め込む生き方が

本当の満足をもたらしてはくれないと

思っている。

みんなが少しづつ我慢する。

争わず、分け合う、共有しあう、

必要以上を望まない、

消費から生産へと社会全体がシフトし、

多くの人が本当の豊かさを実践、

実感できる社会が理想ではないのか?

その時、

核は必要がなくなるのではないか。

 

 

 

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