あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

下山したら春だった~下瀬美術館

2025-02-13 | 心の栄養

晴天になったある日、

ギターレッスンの為に下山。

高速道路で60分なのだが

下道でも間に合うと思った。

ご町内の北広島町は道路上に

残った雪が溶けてグズグズに

なっていた。

横滑り甚だしく。

思ったより時間が掛かった。

結果90分掛かって10分の

遅刻(爆)

昨年から取り組んでいる超難曲

「Everythig」で左小指が割けそうに

なる。

「無理~!」と言う私の小指を

ぎゅっと開いて「できる!」

というスパルタな師匠は若干36歳。

目下通っているリハビリ担当者を

思い出した。

あまりに痛いので

「これで脚が割けた人はいないか」

と聞いたら「いません」と

むべもない。

左小指と左脚が割ける最初の

人間に私がなるかもしれない。

55分のレッスンから解放されて

まだ12時。

以前から気になっていた

下瀬美術館まで30分。

ドライブがてら行ってみた。

お腹がすいた。

何か食べようとすぐ目の前の

「イオンモール」へ。

飲食店はいくつもあったが

どこも長蛇の列だったし、

小麦粉を使わない食べ物は少ない

先日、空腹で帰宅したら

母が少し手をつけただけの

お好み焼きがあったので

つい食べた。

アレルギーでそれから3日間

胃痛がした。

だからやっぱり小麦粉は避けたい。

しかたなくお惣菜コーナーで

まぐろの巻き寿司を調達。

人が多くて席がなかったので

車内で食べようとしたら、

駐車場を歩く間に半分の量に

減っていた。

つまり容量に対して容器が大きい。

食べ物全般が高値だ。

昨今、値段に見合う食べ物に

めぐり合わないことが増えた。

やっぱり自前おにぎりを持って

出かけよう。

「下瀬美術館」は青空の下にあった。

すっかり春めいて雪国から行くと

別世界だった。

公園には大勢の子供と若い

親世代で賑わっていた。

すぐ近くが海というロケーション。

下瀬美術館の建物は話題に

なっている。

何度か写真で見たことがある。

青空を背景に色とりどりの箱が

水面に映って綺麗だった。

泊れるようでヴィラやレストラン

も敷地内にある。

「本日満席となっております」

と書かれていた。

お惣菜コーナーだ、おにぎり持参だ

と貧乏くさい発想の自分を

ちょっと悲しんだ。

マイセン磁器の特別展で、

色鮮やかで精巧な作品が

たくさん展示されている。

まぐろ巻きや割けそうな指や

足のことをしばし忘れて

うっとり夢の中。

印象派の絵なども展示されている。

私も表現者の端くれだから

本物が持つ迫力とか繊細さに

たまに触れて感化されたい。

現世からちょっと離れてみると

気持ちに余裕が生まれる。

母にも優しくなれるというもの。

そう言えば今日知ったのだが、

トイレの壁紙がバラバラで酷いと

以前から気になっている。

「酷いよね」と妹に言うと

「自分が蹴って穴をあけたのに!」

というではないか。

全く記憶にない。

「えええ~~~~~~~~~

~~~っつ??!!」と叫ぶ妹。

「自分で穴あけといて、

覚えていない~~~~~??!」

妹の長い「ええ~~~」と

声が裏返っているのが可笑し過ぎた。

あんなに大きな穴を開けておいて、

覚えていないとは信じられない

と言うが忘れたもん勝ち。

「おねえちゃんは良く切れた。」

「ん、もうっ!!」と言ったそうだ。

私の真似を見せつけられた。

そう言えば「ん、もうっ!」は

口癖だった気がする。

もの凄く腹が立っていた時期も

確かにあったな。

反抗期は永かった。

50年とか。

人に当たり散らすのはやはり

限度があるから物に当たり散らす

ことになるのよね。

衣装ケースと押し入れの戸は

粉々に破壊した。

16万円もした分割10回払いの

鏡台に椅子を投げつけて

穴があいたっけ。

あの頃、もっと美術館とか

コンサートとか旅とか

気晴らしに行くべきだった。

ここ何年か切れなくなったと

自負する。

やっと反抗期を抜けた。

もし不機嫌になったら母を

「口撃」するくらいだが

美術鑑賞のお陰でしばらく私は

ご機嫌な日々だ。

 


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