あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

声ならぬ声(2)

2019-05-28 | 私が歌手

森川聖詩さんは神奈川県在住。

伝承者の講習を受けに

自費で広島へ通っておられる。

その熱意には敬服するばかりだ。

お父様の森川定實さんが遺された詩に

作曲をさせてもらった。

昨年、合唱曲として初披露した。

今年も歌う。

8月10日(土)

「ヒロシマ・レクイエム」

に向けて練習を開始した。

「声 三部作」は3篇の詩から成る。

 

「疼き」より 作/森川定實

歩道下から湧き上がる声 声

無念さに歯ぎしりする

地下の白骨のきしみ

この下にうちの子が!うちの子が!

叫び続けた母たちの声

 

作曲が完成した昨年、

広島市内を歩いていたら

しめつけられるような頭痛と

何とも言えない不調に見舞われた。

更年期による不定愁訴と思ったが、

その後も同じ場所に差し掛かると

体調が悪くなった。

同時に押し寄せてくる悲しみ。

嗚咽をこらえるのがやっとだった。

その場所で亡くなった女の子が

お母さんを探し求めているような気がした。

原爆で亡くなったと感じた。

森川さんの詩が訴えているのは

「これか」と思った。

人通りの多い繁華街だが、

地下にはおびただしい無念や

悲しみが今も埋もれているのだった。

 

原爆が投下されたその直下で

森川さんが目撃された光景だ。

文字を追いながら情景が見えるよう。

当日の悲惨さは

それ以上だったはずだ。

大変なことに手をつけたと思った。

中でも一番心が痛んだのは

「声ならぬ声」の子供たちの下りだ。

 

風の咆哮(ほうこう)か

燃え尽きた人びとの魂が

上空に沸き返る雲と煙の中を

さ迷い走る怨嗟の叫びが

そのどよめきに交わる

幾十の童のうめき

焼けただれ千切れた手をあげ

お父ちゃん お母ちゃん!

だが

いまわのうごめきは

やがて絶えゆく・・・

 

子供たちが誰にも看取られず

父母の名を呼びながら

息絶えてゆく様は耐え難い。

泣きながら曲をつけた合唱曲は

好評だった。

当日、合唱曲は大事なく歌えたが

オリジナル曲では

悲しみに圧倒されてしまい

ほとんど歌えなかった。

「玉砕したネ」と実妹からチクリ。

自分を明け渡してしまったと

後で思った。

何かに同調する体質でもあるが

「鎮魂する側」に居なくては

「ヒロシマ・レクイエム」開催の

意義がない。

 

前もって鎮魂をしてから

本番に臨みたいと思っていた。

広島でのスケジュールが合ったので

詩の中に書かれた場所、

白潮公園へご一緒した。

川沿いの細長い地形の公園。

緑豊かできれいだが、

「ここはきついぞ」と感じた。

得意体質を森川さんに打ち明けるが

抵抗がないようだった。

小さな慰霊碑があった。

足を踏み入れるや頭痛と

足元からガクガクする不具合に陥った。

傍の川に近づくと込み上げる。

おびただしい人が

水を求めて集まっただろうし

たくさんの死体が浮いていただろう。

怖かったね、暑かったね

痛かったね。

もう大丈夫、帰ろうと声を掛けた。

お菓子と水を捧げて手を合わせた。

 

そこから明星院へ。

以前お参りした時の観音様が

慈愛に満ちていて素晴らしかった。

原爆で痛めつけられた子供らを

どうかその御手に

救い取ってくださいとお願いした。

 

一時期「反戦シンガー」と言われたが、

それはちょっと違う。

楽しい歌だけ歌っていたいが、

「東日本大震災」や「平家」など

当事者の悲しみや無念や怒りが

私を通して込み上げて来る。

「やむなく」歌にしてきた。

「テーマ:鎮魂」は

まだやってくるのか

打ち止めなのか知るよしもない。

 

 

 

 

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