当時のアイゼンハワー政権の内部文書など、300万点を所蔵する大統領図書館。
ここにアメリカの思惑を伺わせる報告書が、残されていました。
朝鮮戦争で司令官を務めた、
ジェームズ・バンフリート元陸軍大将。
大統領からの特命で、半年にわたって、
日本など東アジア状勢を調査しました。
その中間報告は、当時の日本について、こう指摘しています。
「戦争の悲惨な体験から、国民には反戦の意識が非常に強い。アメリカ軍が存在し続けると、国民の間に反米感情が高まりかねない」
<ニュース映像が流れる>
「石川県内灘町試射場の問題は、6月13日、政府側が一方的に強制接収を……」
日本が独立を回復した1952年以降、
各地でアメリカ軍基地への反対運動が起こり始めます。
数多くの基地をそのまま起き続けることは、難しくなっていました。
「アメリカ軍および政府代表は、激しい怒号を浴びながら、かろうじて引き上げてゆきます」
行き場を失ったアメリカ軍。
バンフリート元大将は、こう報告しています。
「沖縄は、大きな潜在力を持っている。
多くの部隊を引き受ける訓練場や施設をつくることができるからだ」
海兵隊の元将校で、その歴史を研究してきた、アラン・ミレット博士。
当時、沖縄がアメリカの施政権下にあったという政治的理由が重要だったと指摘しています。
アラン・ミレット博士
「日本の住民との衝突を減らすには、部隊をしっかり管理し、兵士たちを隔離するのが一番です。それにはアメリカの施政権下にあった沖縄が、本土より適しているのは明らかでした。」
さらに沖縄はと問いの賃貸料が安く、
海兵隊の駐留費用を大幅に節約できたのです。
海兵隊の移転先に、沖縄を選んだアメリカ。
当時の「基地建設計画」を入手しました。
新たに土地を接収する地域として、まだ基地がなく
開発も進んでいなかった沖縄本島北部に目をつけました。
その一つが、現在の名護市辺野古です。
海兵隊基地、キャンプシュワブの建設計画が明らかになった、辺野古地区。
55年前の人口は、およそ500。
生活の糧としていた田畑や山林が奪われるとして
当初、多くの住民が反対の声を上げました。