にじの木通信

小さな家族の日々のこと。
安心安全栽培の菜園も、カメの歩みで一歩ずつ。

感謝の根っこで、吸い上げる

2015-10-08 22:57:53 | 健康・美容
どうしてこんなに差があるの?

それは、わたしたちの、「健康」でも「美容」でもなく、
「置かれた悲しみ」また「喜び」でもなく、
同じ現実にいて、どれくらい感謝できる??
ということではないかなと、思ったりする。



感謝のお言葉を一杯浴びせてくださる方には、
根っこが、ほぼ「感謝」なんじゃないかなと感じたのです。


同じ仕事をしていて、同じ場にいて、
どうしてこうも、疲れなくて、どなたとも仲良くできて
お客さまにも経営者にも喜ばれる存在なのかと。

完全に健康なわけではなく、完璧なしあわせでもなく、
普通の人のように、いろんな事情も抱えておられるその方が。



生きていたら、酸化もすれば、負荷がかかって傷がつき、
からだの一部も毎日死に、また再生し、
癌化した細胞も生まれている。

これらは「日々のストレス」、という言葉でも表現でき、
誰もが直面する「老化」でもあり、
ある年齢からは、皆からだ的にはある意味、
‘下りのエスカレーター’の上。。。


でも、もしわたしの根っこ、見えない部分が
「感謝」であるならば、
土壌(地球)や微生物という3次元的なものだけでなく、
起こった出来事・与えられている恵みの中から
‘ありがたいこと’を感謝のこころで吸い上げて
自分の栄養とさせて体中を巡らせ、
そうしてこころとからだの回復と、
わたしだから、の経験の反省と消化もでき、
しあわせな状態に返る(変える)こともできるのかな・・・

と、仕事帰りにふと、イメージが湧いた。





またわたしは不思議なことに
感謝している人は、よりよい状況になり
実際に、よりよい環境に移行され(まるで階段を上るかのように、です)
反対に、不満を盛る(持つ)ほどに、
以前より悪い(きつい)ところにご縁され、結局
自ら選択していかれているのを
ちょっと離れた場所から目の当たりにさせていただいた時期もあった。


だから、原因であるわたしの根っことなることから、
見えるものが生まれているだけなんだなあと
いろいろと思い当ると同時に、
じゃあ本当に、感謝ができているか?を
確認できる、現実か、と思うとありがたいことで、
ちょっと、ワクワクもするのです。















失神するのかと思った痛み

2015-06-28 23:11:28 | 健康・美容
娘たちと、今晩交わした 会話より(*^_^*)


「おかん(私)が前入院したとき、私ら(娘たち)全く心配してなくて、
まあ内容も知らんかったけど、だあれもお見舞いに行かんかったことを
こないだ友達に話してたら、信じられへんって言われてな・・」


そのお友達のお母さんが入院されたときには、
お友達は泣くほどに心配され
付き添われたのだとか。


私は‘結石の手術’・・と言っても、切開でもなく、
超音波だったか?をあてて、大きくなっていた石を砕く
粉砕手術だったので、
確かに命に関わるものではありませんでしたが、

そのときに、家族に心配されていないのは
充分伝わってきていたな、と思い出した今晩でした(^_^.)



さて、想像を超える痛みだったことと、そのときの体験を、
流れのままに娘たちに話しだし。

娘も思春期で、いろいろデリケートなことにぶつかっているそうなので、
何かふっきれるきっかけになればと、
この際以下のことを伝えることにしました。



~発症から
 3・4年前の手術(主日まで、と間違って何度か変換してしまいます(*^_^*))まで

ある日すんごい痛みと高熱と、
腰や鼠蹊部に、感じたことのないしんどさ・・・
「イタイ・・・いたい・・・」声もでなくなっていった。


その後しばらく経ってから行った病院で調べていただくと、
一つの尿管結石が大きくなっていて尿管をふさぎ、
片方の腎臓が、ほとんど機能していない状態でした。

‘その日に受けられる検査’として
CTを選択したのでしたが、腎臓を写すために使われた
「造影剤」(放射能を含みます)が(止まっている腎臓には残りやすいそうで)、
私のからだには相当なダメージだったようで、

以降顔色が大変くすみ、
体重は、できるだけ食べても(食も細くなっていたのか?)
38~9キロにまで落ちてしまってひょろひょろになり、
体力は、気づけば小学校のグラウンドで、
200メートルをゆっくりでも走りきるのが困難なほど
・・・
私のからだ、急に50~60代になったのか?と
思うほどでした。


自然療法で良くなればと、またしばらくの間いろいろ試すも、
思ったように、できていた石が溶けたり流れたり、
腎臓が動いてくれる様子もなかく、また症状が出だしたので、
家族と相談し、病院で勧められた粉砕手術を選択したのでした。


たった1泊2日の入院で石を砕いていただける・・、
お医者様のご説明ではそれほど痛くなさそうだし・・・、
と、私には怖さがなかったのでした。


しかし、
始まってびっくり・・・

痛すぎる、
私の体験したことのない、きつい痛みでした。

「いつ終わりそうですか?」
担当の先生にお聞きするも、
大きい石でなので見通しがつかないことを伝えられ、

一定の間隔をおいて、‘石’に向かって何度も何度も打たれる、
まるで金属音のように、カキーンかキーンと響く痛みを伴う術は、
なかなか終わらないのでした。


痛みを和らげる方法として、娘たちの出産のときには
「これを乗り切れば赤ちゃんに会える」
「赤ちゃんは私よりももっとしんどいのに
今、がんばって降りようとしてくれている」
など、言い聞かせてまいりましたが、

このときには、
「これが終われば家族にまたごはんを作ってあげられる」
「元気に家事をしたり働ける」はず、などと
‘家族の姿’を思い浮かべ、心の支えにしていたのです。

しかし、痛みがあまりに強く、また時間も長く・・・
私の限界を超えてしまい、

・・ああ気を失いそう
このまま失神するかも。。。
というところまで行きました。


このときに、それまで心の支えになってくれた家族の姿も、
面影さえ、ふうっと遠ざかり、
見えなくなっていたのです。

力もなくなって・・・
意識も・・


すると、イエス様だと感じる存在が、右側に現れ(たと感じ)
すっと、
寄り添ってくださいました。


私は気を失うことは避けられ、

死ぬときにも、こんな感じなのかもしれないな、と、
愛する家族もいっしょに死ぬことはできないんだな、
一人で逝くのだなと実感し、

そのときには何年か、もしくは数十年のお付き合いの今生のご縁よりも、
もっと前からのつながりである、
神様とか、見えない存在が
手をとり?寄り添い?もしかしたら一緒になり、
魂は、元いたところに、帰るのかなあと、感じたのでした。


この時の体験もあり、
私は亡くなったら、生まれるまえのところに帰るのかな(*^_^*)、
と思っているので、
(キリスト教徒でもないのですが)あまり怖くないし、
後悔なく生きている、ともまた伝えさせてもらうことができました。
(なぜか後悔のないことは何度も言ってしまうのです(*^_^*))


そして今の気持ちとして、
娘たちもそれぞれよいところをもったままに育ってくれているし、
時々のお出会いで日々導かれていくだろうし、時の周りの人たちと
どうにか生きて行ってくれるだろうと信じていて、

「ままは、あなたたちは大丈夫だと、心配していない」と
言えたのでした。




思春期には、私も何年か相当悩んで、しんどい体験もしましたが、

時々の恵みや楽しいことを見つめたり、
(命を)大きな何か、によって与えられる今日にできることや、
目の前の人に喜ばれることに焦点をあててみると楽になることもあると思うし、

そうしていろんな出会いをいただいて、体験をしていく中で、
必ず人は癒されるはず、と言っていました。


始め「おかんは+思考すぎるねん」と言われたけれど、
彼女たちの現状からちょっと視点が変えられるかも?と

このように見えない存在を感じて救われた体験を、
この際だからと2つお話しし、
長女と次女とゆっくり話しあえて、良かったかなあと思う、
本日でした。


これが今日最後の仕事、
あ、このブログになったかな、
ありがとうございます、と、思います^^





















心とからだの変化

2015-06-26 23:00:54 | 健康・美容
「心身の健康と癒し」は私のテーマなのかも?

なぜか何十年も向き合っている、
唯一のこと、のようで(^.^)



どなたかのお役になることも?
もしかあしたらあるかもしれないし、
私自信の整理のためにも、
しばし書き続けてみようかな、と思ったりしております。



さて数年前のこと、私は市の学校給食センターに勤めておりました。

仕事の環境は本当に厳しく、
夏は蒸気などでぼとぼとの汗だく、
冬は凍えるような寒い場所もあるし、また重いものを運び、
小さな虫や異物に目を凝らしつつ毎日毎回時間との戦いの中、

このようにして、たくさんの方が子どもたちの食のために、
日々命がけのようなお気持ちで働いてこられたのだと、知りました。


私には娘が3人いて、もう何年も給食にはお世話になってきています。

ですが、いろいろな学びをする途中、このときまでに
学校給食については何年か、批判的な部分を持っていた私。

でも娘たちは「給食美味しい美味しい」と言う。
おかわりまですると言う。


なぜなのか?
疑問をもったままで、
この時期、何の因果か・・センターにお世話になることとなったのです。。


ちょっぴり敵陣に乗り込むようなドキドキもありつつ、
娘たちが、毎日少しでも楽しく給食を食べられますようにと、
祈りながらの勤務が始まったのでした。


センターは、いろいろな専門部署に分かれていて、
それぞれが一部の栄養士さんとたくさんのパート従業員の方
数名ずつのチームになっていて、支えあって働くのですが、
まず、皆さんのチームワークの良さに、本当に、驚かされました。

それから、お一人お一人の持ち場に対する責任感と、
どうやったらその日の自分たちの仕事がうまく運べるかを
毎回チームや持ち場で独立して、
しっかりきっちり言葉を交わして話し合って決めたり、

年長のパートさんを中心に新しい人を指導したりされていたことに
また、本当に驚きました。


社員さんや、市の職員さんたちのもと、ではなく、
まさにお母さんたちの力(役職や立場を超えて)、
現場の方皆さんの人格と責任感と支え合いで、成り立っているのだと。



先の投稿にて書かせていただいたように、
このころまだ私は、地域生活においても、現状が悲しくて、
毎日ほど泣いて居るような状況だったのでしたが、

センターにお勤めの、先輩お母さん方の、
たくさんの子供たちのため、そして何より我が子のために、
本当に無私で熱心なご様子と、
賃金では解決できない、地域でのご使命を感じさせていただき、

こんなにも素晴らしいお母さん方が同じ市におられるのだと、
本当に癒され、また小さな考えの中にいる自分を反省したのでした。


6500食分の給食を、50~60人くらいで作られている、
そういえば先輩方は、100人ずつでも子どもたちの面倒を見られそうなほどに
母親として成熟されいる、と感じたのです。

だから、この方たちの作られている給食であるから、
娘たちが「美味しい」と言ってきたんだなあと。。



また同じ様なことは「農」を少しでもしてみるとわかると思うのですが、
既存の農法の農家の方は、JAの規格通りに真面目に仕事をされているのだから、
取引のためにも定められた農薬や肥料を使う、それが当たり前なのです。

・・農薬あれこれ気にし出し、またいろいろなことを知ってしまって、
全ての作物を素直に喜べない時期があった私。

でも、毎日畑に出られて、雨の日も、風の日も、
我が子である農作物の具合を見続け、愛情をかけ、
家族一族協力されて手間暇かけておられる農家の方たちの背中を知ると、

もう敵うものがない、というか・・・、
愛情が(薬など)全てを超えてしまって、
お人柄や家族力そのものが、実となり作物となっているのだろうと。。


‘私だけ、のこだわりで作っている作物’と、
「人々の喜びのために作られている作物」。

あるときに
「私の守ろうとしているものって、どうなの?」と思ったのです(*^_^*)


このようにいろんなことで、私たちは、二つに分けられてしまいがち。


でも、それが我が子や地域の子どもたち、
また家族や誰かを思ってされていることであったら、
同じように尊い行い・仕事ではないのでしょうかと。

同じ目的で、登り方が違う、知っていることもできることも違うんだなあと。


仕掛けられた、もともと一つである、‘人の善意’を分けてしまうこと。

そんなことも超える、見えないものを見つめていると
前よりも心でこしらえた枠が少なくなって、
垣根はどーんと低くなり、生きやすくもなり、
何よりも、相手を疑わず、いろんなことで悲しくならず、
‘あなたとわたしに、共通した、善意’を感じられるようになって。


そして私は私の気づいたことをできたらいいな、という、今であります^^







最大限に引き出してくださるかわいい方

2015-06-20 21:38:42 | 健康・美容
サロンは場所柄か?
珍しいお客さまもお越しになられていました。

元トップアイドルのその方は、失礼ながら
けっして美人のタイプではなかったのですが、
ドラマ主演では大変ヒットされ、
歌もお上手ではないと思いますが(*^_^*)
人気ものになられました。


サロンに来られたときにはもう、お子さまがおられ
美容室には何度かいっしょに来られていて、そのご様子が
大変かわいかったので、お店のスタッフの間でも話題でした。


エステに来られるようになって、すぐにわかった
その位置におられたわけ。。。


心の中に純粋のまんまをもっておられて、
周りの人全てを照らすような感じ。

私にもそのお心を向けてくださり、
最大限に力を出させてくださるのでした。

あるときに眉カットをさせていただいたのですが、
「こんな風にしてもらったの初めて~うれしい♪♪」
みたいに本当に喜ばれ、こちらは驚きました。

だって、プロのメイクさんたちに
最高のメイクをしてもらってこられたはずなのに、
私のような若造(*^_^*)にもこんな風に?と。

人にしてもらえることに
喜びの表現を最大限に表してこられたのだろう、
とも思いました。

いつも純粋で、小さなことにも喜んでおられることが、
芸能界でも引き上げてもらわれた理由だったのかなと。


このように、いろいろな方とのお出会いの中で、
人は学んでいけるんだなあと、
自分から出会いと求めて出かけたわけではないのにと、
すごいことだなあと思います。


そして今も、出会い・ご縁の中で
日々学ばせていただいております(^O^)/







純粋意識の人たち

2015-06-20 21:16:11 | 健康・美容
美しさ、というと
忘れられないお客さまは他にもおられました。


当時の職場であった美容室は、
公営の結婚式場にも入っていて、

その式場を利用される花嫁さんたちには、お式前の
ブライダルエステを紹介されていて、
私の勤めていたサロンに通ってくださる事がよくありました。


人生で最も輝く時期の女性たち・・・、
中でもひときわ印象的な人がおられました。


その方は聾唖で、私とは
筆談にて会話をさせていただいたいたのですが、

その方のお心の光、純真さは、いつも美しく輝き、
私の中の純粋意識もまっすぐに見つめてくだっていました。

またまたお顔は忘れておりますが(*^_^*)
いつもきらきらと輝いている澄んだ目をされていたのを
よく覚えています。


サロンのことを気に入ってくださり、
同じように輝いた美しい目の
聾唖者のお友達もご紹介いただいたのですが、
お友達もそれはきれいなお心で接してくださいました。


またこのように見えない波長を交わすことが
そのときのお仕事ではしやすかったようにも感じます。




心の美しい人は、接する人の中にきれいな部分を見出し、
引き出してくださる、というお話③でした(^O^)/