にじの木通信

小さな家族の日々のこと。
安心安全栽培の菜園も、カメの歩みで一歩ずつ。

何処から見てもきれいな人

2015-06-19 13:40:48 | 健康・美容
本物の美人さんは、
そのまんまで全身きれいで、与える人で、
性格も素敵なのが共通されていたのでした。

「この人達とおんなじ人間部類だとは思えない」
と感じる、できあがったきれいさです。


もうお一人の、本物の美人さんは、
ノーメイクでサロンにお越しになられていました。

受付は一階の美容室で、男性美容師もおられるのに、
その方はぜーんぶおきれいなので、普通~に
関係なしで来られる説得力のある美人さんでした。


いつもちょうどよく与えて当たり前、
時間を使って、お金を使って、
でも私によい施術を求められる、というわけではないのです。

きれいでいるのも、周りの人に心地よく思っていただくため、
という印象は、先の記述の方とも共通されていました。

行く先々で、自分の美しさやお心の良さを、相手のために与える
それが常なんだろうと思えていました。
嫌なところ(お心)がない、という感じです。


狭い空間にいる世界の狭い私に、あるとき、
自分は使わないからと、私が恐縮しないように、
たくさんのブランドの口紅を持ってきてくださったのもこの方でした。


美人はその場の空気も正し、常に
人に見られてもよい、追いかけられてもいい行いとお心。


この方の運んでこられた凛としたこびない雰囲気と
やはりお顔は忘れましたが
無駄もムラもないすっきりとした肌質も、時々思い出します^^

・・・与えてあたりまえの美人さんのお話②でした(^O^)/








びっくりする美人とのご縁

2015-06-19 12:50:52 | 健康・美容
最初の仕事場では私にとって、
本当に深い学びをいただいていたのかも、というお話です^^


あまりに印象深い、
本物の美人さんたちとのご縁をいただいた場だったので。

モデルさんや、水着のキャンペーンガールのメイクも
させていただいたことはありますが、
そのお店には、また違うタイプのすごい美人が来られました。

本物の美人ということは、
作らなくても美しいので、お化粧も洋服もあとでよいのです(*^_^*)




私のしていた仕事は、素顔になっていただき、
お顔や全身に施術をさせていただくため、
相手さまのエネルギーやお心・性格や性質、
また求めておられるもの・・など、
ダイレクトに感じるような毎日が始まっていたのでした。


仕事、というのはすごい場だと思うのですが、
それまでの人生でお会いしたことのないような方に引き合わせていただき、
いきなりその方の現れである素肌に触れさせていただき、
お悩みなど深いお話を聞かせていただくことになるんですから、
学びの濃い事、濃い事・・・。


さて、美人さんのお話に戻します^^

ある方は、
ある百貨店で働いておられる売り子さんだとおっしゃられていました。

お顔は忘れましたが、本当に美しい、
秋田美人さんのような白いお肌とキメの細かさ。
はりがあって、まるでバレエでもされているかのようなきれいな姿勢の方でした。

当時まだブランドものなど旺盛だった、バブルあとのころだっだのに、
その方は、学生時代の制服を上手に普段着にしておられました。
リメイクやリサイクル、今では一般的ですが、当時の私には衝撃でした。
贅沢されず、すごく賢い方なんだなあと。

いつもあまりにすっきり着こなしておられて、
お聞きしないと節制しておられることがわからない美しさでした。

この方は、本当に性格のすばらしい方で、
もうすごい、と思っておりました。

あるときに、いつもとは違う、ブランドもののバックを持ってこられ、
珍しいのでお聞きすると、いただきものだと。

あるお客さまご夫妻が、
「うちの息子の嫁になってほしい」と言ってこられてプレゼントされたと。


・・・‘私に息子がいても、そう思います’、と思う、
もうにじみ出ておられる
お心と・生活の美しさをお持ちだったのです。


こういう方たちとのお出会いもあり、
美容学校ではまだあった私のどくっけは、
この職場でどんどん清算されていったのだと思います^^


美人は人を癒す(更生させる?)力をお持ち、という話①でした(^O^)/









充分に癒された人

2015-06-18 16:33:51 | 健康・美容
最初の仕事で、
答えをいただいていたかも、というお話です。


そのときの私は、美容学校を出たてで、
ヨーロッパ流の国際的なエステティック、というものなど
学ばせて頂いて知らぬ間についたヘンな自信と、
それらしき雰囲気(*^_^*)


そして初めて勤めることとなったお店でたった一人の先輩は、
取り扱いの化粧品会社の
インストラクターのトップだった人でした。

そがべさんという女性で、
妊娠されていました。


もう5.6ヶ月くらいだったか、
膨らんだお腹をされていて、週に何度か数時間来られ、
私にお仕事を伝えてくださいました。


そがべさんの施術や接客を、
狭いエステルームの中で見させていただいたり、
洗いものをさせていただいたり、
階下の美容室にてハンドマッサージをご一緒したりと、
下仕事をしながらの学びでした。


そのお店は一流の美容室で、
50年からのお得意様もおられ、
美容師さんたちもすばらしい方たちでした。

お店の美容師さんたちは、
男女合わせて16人くらいおられたはず。

繁盛時は忙しくて、しばしば空気が張り詰めることも。。

でも、そがべさんが通られると、
その場におられると、
いつでも皆さん、なんだかほっこり、されるんです。

お客さまには、難しいご説明などほとんどされず、
普通の主婦が、主婦の方に接客されているようなお話と手で、
お客さま満足率100%だなあ、不思議だなあと思っていたものでした。

私のもっていた、‘エステティシャンとはこういうもの’
という概念とは随分違い、
「普通の素敵な女性が、目の前の女性と接する」、と見える
考えられないお仕事の仕方で、理解ができないというか、
本当に驚きで・・・。




あるとき私はそがべさんに、なにか専門的なご質問をしましたが、
「お客さまはそういうことを聞きたがられない」ということを
言われて、本当に驚いたものでした。

お応えしたり、ご説明するのは、
仕事の大切なところ、だと、思っていたので・・。


入社から数か月して、
お腹の大きくなられたそがべさんがお辞めになって、
まだ仕事を始めたばかりで経験の浅い私は一人、
とっても感じのいい先輩の去られたあとの
大変さを体験していました(*^_^*)



どうしてそがべさんがいつも普通~にしておられて、
あんなにも、お客さまにもスタッフの皆さまにも、先生方にも
喜ばれる存在で、好かれておられたのか?

その答えは・・・
きっと、
十分に癒された人だったから?

この頃、なんだかそんな気がしています。



充分に癒された人は、
普通に過ごされているように見えて、
周りの人も癒すほど、忙しい時間の流れさえ、
ほんわか空気に戻すような。。



そんなこんなで、小さな私も
たった一人の自分をしっかり癒し、
あんな風な幸せな人に、なれたらいいなと思うこのごろ。。


~そがべさん、どうされているのかなあと、思います^^

↑出会いって、ご縁って、すごすぎます(^.^)!


そがべさんのご主人とのかけあいのお話など、
かわいくて、面白かったなあ。


自分を癒すこと、幸せでいること、
普通の家庭生活を立てていくことって、
本当に、大切なんだなあ、
周りの人のお役に立てることなんだなあと、気づきます。

傷のつかない魂

2015-01-09 06:14:23 | 健康・美容
先の投稿での‘学び’関係で、
「魂は傷つかない」というような文が出てきたことがあった。

こういうことかな?と、
最近どうもわかったような・・・

どういうこと?と思って~数年かかりましたが、
全て意味があり傷ついてきたり、傷つけてきたと思ってきた
ここまでも大切な日々です^^



・・・
赤ちゃんは悲しい顔をしていますか?
どの人にも笑いかけてくれませんか?
人見知りする前までかもしれませんが。




その、‘揺るぎのない幸せ’の場所にいながら(つながりながら)
大人として、世のため人のために動き続ける。
心を働かせ続ける。

そんな方もおられて、
いっつも幸せそうに笑っておられますね^^


ご自分の関わったことで人に喜ばれ、
もっとハッピーになられて
常に循環が起きている・・・


お会いしていると
純粋に楽しくなって、いろんなこだわりもなくなってきて
こちらまで幸せになります。




外からの何かによって‘好ましくないこと’が起きる
と思っていたころには
勉強もかねてするお買いものも純粋に楽しめず
食べて見て、「いいな。美味しいなあ。」と思いきることができなかった。

これには何々が入っていて・・・
白砂糖がどうの・・・


そうなんです。
なんですけれど、自分にある(自然から蓄えたりもしてますが)自浄作用を信じて
「そんなのはたいしたことがない」と、思えるので
小さいことにこだわらず、
学ぶべきほう・いただいているものに焦点をあて、ご縁に感謝して、
「美味しいな、すごいなあ」と
関わっておられる人たちのことに思いを馳せたり。

ああ、幸せなことです^^







あるときから気にしなくなってる

2014-12-30 21:35:14 | 健康・美容
学生時代に虚弱で、周りの人に迷惑をかけてきたと思っていて、
就職してそれ以降は、まず自分が健康であることが仕事だと、
それが基本だと思ってきました。


不健康だった私が普通の健康を手に入れるには、お金も時間も気もかけて、
そのために力を注いで健康維持しないと。。。と。

でもこれも気づけばあるときから、全然気にならなくなっている。

病気も不調も、なればなったで考えよう、と思っているのです。
どんなときでもそれなりの幸せ・学びがあり、またどうにかなる、とも、感じている。

こうしてなにかになれば原因を探って修正する、という作業を繰り返し、
これは日々の学びと一緒なのですが、ならなければ気づけないことがあると知る。


例えば私は、痛いことや、刃物や針がすごく苦手で、
いい歳をして注射で貧血になったことがあるのです。

そんなだから、この先子供を産むことがあったら、怖さや痛みの怖さへのストレスにきっと耐えられないだろうと、また痛かったらその思いでが赤ちゃんと重なることがあったらかわいそうだし絶対にいやだからと、20代前半にはひっそり?体づくりをしていた。
(インド伝承医学で妊婦の身体づくりに2年と習ったような・・)

まだ主人と出会う前からだったかもしれないな、と思うのですが。


そうしてほんとに安産だったので、生みの苦しみをほとんど知りません。
3人目でやっと、味わうお産を体験させていただいたのでした。
三女は最も時間をかけて降りてきてくれて、いろんな感覚を知りました。

「無事に早く、できるだけ軽く通りすぎたい」、と思ったお産と
「味わおう」としたお産では、全然違うのでした。


3人目、私は生むだけだったら100人でも生みたい、と思いました。
子供は8人ほしいな、なんて。

向き合って体験し、心と体で体験しないとわからなかった、
女性としての喜びがあるんだなあと。
そこに苦手な痛みが伴っても、待たなければならなくても、
全てその時々で必要な、生の喜びの一部となる。


思い返せば三女のお産のときにわかったことが、
最近日常になっているのかもしれません。

そんなこんなで、「自分に投資をしないと」、という観念を手放して、
ふつうに暮らして楽しんで、それなりの健康をいただいて(実際改善したこともあり)、
幸せなことだなあと感じています。