にじの木通信

小さな家族の日々のこと。
安心安全栽培の菜園も、カメの歩みで一歩ずつ。

呼吸を風穴に・・・

2012-05-18 21:23:20 | 健康・美容
先日のこと、大変久しぶりにヨガを体験させていただきました

椅子に座ってできる簡単なヨガだったのですが、
心と身体に変化多しで、本当によい経験となりました。

ヨガも先生によって重きを置かれるポイントが違うのかなと
とても興味深かったのですが、
その日の先生は、‘呼吸の大切さ’についてよく話してくださった。


その中で、現在、西洋医学と東洋医学の接点として、
‘呼吸法’(のみ)があるというお話が印象に残った。


20年前通っていた美容専門学校でヨガなども含め学んでいたころには、
東洋医学と西洋医学はなんだか交わるところがないような気がしたけれど
時とともに研究が進み、呼吸が‘唯一の接点’(と表現された)
として、なんだか風穴が開けられたのかなと、ひそかに感動


また私たちは、ストレスを感じているときに、
無意識に呼吸を止めているとこがあるとも教えていただいた。

息は止めずにいることが大切なのだそうです。
自分の呼吸を意識して見る。

過去でも未来でもなく、
「今」に焦点があってくる。

後悔や不安から離れて
ただ、今日、
また、今、に意識を置く。



私は美容学校に行くまで数年間、保健室によく行くような虚弱で、
当時自分が生きいる実感のない状態のときもあったのですが、
はっきり覚えているのが二つだけしていたことがあって、
一つは自分の呼吸を見つめていたことです。
二つ目は、背筋(背骨)に意識を向けること。

そうしていないとがらがらを崩れそう自分を
保っていることができなかったのでした。


でも就職して家を出て、仕事のために身体をもたせたいと毎日ヨガをし
できるだけ気をつけて食事をとるような生活を2週間も続けると
お肌や血色が変わり、身体がどんどん軽くなっていって、
人から言われる私への印象が本当に変わっていって驚いたものでした。

簡単に言うと、悪い子から
普通の子とか、良い子にも見られることがあって・・・
不思議な感じでした。

生活習慣を本気で変えると
人は変わるみたいですね。

そのポイントは、呼吸法なのかもしれません




体調の変化

2011-12-20 18:07:10 | 健康・美容
8月16日から熱や腎炎の痛みがありましたが、
なちゅらるハウスハーモニーさまで
ホメオパシーのレメディと砕石茶というお茶を買わせていただき、
9月6日から飲み始めました。
(放射能全般のレメディと腎臓のサポートレメディ)


以下そのときの日記です。

まず目と肺・気管支あたり・甲状腺・腰の蝶の形の骨あたりに熱を帯びてくる。
(数日高熱がでました)
昨日くらいから、体が冷えるのだが炎症しているのを感じていたのですが、
ホメオパシー水を飲むと、5月以降にこたえていたところに変化を感じる。

放射能を受けていたのだろうなあ。


9日、右の腎臓と思われることろに痛みのような違和感のような、
懐かしい感覚が戻っていた。
これって、機能しだしたということなのだろうか・・・?
(8月末の病院でのCTでは、右の腎臓がほとんど機能していない診断でした)

そして、後頭部やや右の、(体の弱くなった)中学生のときから
‘詰まり’の気になっていたところにも感覚が戻ってきて、
修復している感じがあった。

‘海馬’まで回復しないかな、と思っていたら、
脳の中間にもその‘修復の感覚’が起こった。
びっくりしました!!

そのころ両脚大腿部、真ん中と内側の間の一線にも活性感覚がきた。
そこは、背骨真ん中あたりの右と同様、
人に触れらるのが大変苦手な箇所で、
通っていた美容学校での(全身マッサージの)
実習のときに(施術されるのに)難儀した箇所でした。

そういうことろは、体の弱点だったはず。
今回腎臓のサポートレメディのおかげ様で、こんなに変化があったのか、
今まで回復を諦めていた脳の変化にも驚いています。


11日、熱は37度台に下がりました。



病院では手術をと言っていただいたのですが、
自分のために家を空けて子供に心配をかけたり
お金もかけたくなかったのでした。

この機会に自分の心に向き合って正し、
そこから体を治せたらいいなと思いました。
体にとってナチュラルな方法で治療をしたいと家族に申し出、
もしも赤信号がきたら速やかに病院に行くと約束していました。

この間もサポートし続けてくれた家族に感謝します。
いつもありがとうございます。

そして心を支えてくださって
強く優しく助けてくださったハーモニーさま。
本当にありがとうございます


畑に助けられて

2011-09-17 22:52:38 | 健康・美容
この夏の病で熱の上がっている間、特に変わった感覚は、
食べ物に敏感になったことでした。
それだけ極端に弱っていたのか、その食材・調味料は今は口に入れられない、
ということが起こってしまっていました。
健康なときには気にならなかったのに。

そこで私は、波のように押し寄せる熱や痛みの合間、
ちょっと様子の落ち着いたときに、よろよろと畑に行きました。
草の様子も気になっていましたが、作った野菜を食べたくて仕方なかったのです。

畑には、予想通り草がてんこもりに生えのびのびと大きくなり種も飛ばしていそうで、
お隣の方たちが、共用の通路の半分より大目に草曳きをしてくださっていました。
夏場は3日も置いておくと、雑草カーニバルになりますから・・・。



ああご迷惑をかけてしまったと草曳きを始めると、
不思議に体が動き、なかなかやめられないものでした。
まるでそこの土が私に力を与えてくれて、動けるような感じがしました。
それに野菜たちが待っていてくれた気がして、
お世話できることがうれしかったのです。

その中で、このころようやくよく成り始めたミニトマト‘アイコ’。
これは、私の支柱立てと剪定が下手なため、台風や風などで何度も倒れ、
本幹が痛み、その都度強くなった木ですが、しっかり赤くなっていたアイコを
その場で食べてみると、体に酵素でも入ったように美味くて感動しました。



乳酸菌液や米ぬか・自家製肥料中心に入れ、土を健康で元気にすることに
重きをおいて育ててきたので、化学肥料などを与えている畑のように
野菜が大量に成って2日行かないと収穫時期を逃すようなこともない畑。
地這きゅうりも数本ずつ、ゆっくり収穫期を迎えてくれていました。
知らぬ間に、毎日行かなくても自力で育つような土になっていると気づきました。

この春から自分たちのしてきたことは、この放射能時代に少しでも安全なものを作りたい、
という思いからでしたが、弱った時にこんなにも自分自身が助けられるとは
このときまで思わなかったものでした。

またお隣の80歳を超えられているおばさんに頂いた苗から、
うりが立派に実っていて、それはなぜかどうしても食べたかったので、
持って帰ることにしました。
さつまいもも本当に食べたかったので、早掘りをして持ち帰りました。

その日数日ぶりに、とれたての野菜を料理して食べると、
この感じなんやろうと思うくらい体が喜び、何だか癒されたような気がしました。
地味な作業を繰り返してきた畑で、何やら本当にいいものができるように
なってきたのかなという希望で、とてもうれしくなったものでした。

お盆のころからのこと

2011-08-26 22:37:31 | 健康・美容
14日から、寝室で夜エアコンをかけてもいつものように冷えて嫌ではないので、
おかしいなと思っていた。私、芯が冷えているのかなと・・・。

16日夕方、体が熱いので熱を測ると、38度を超えていた。
このあと数日は38度~39度台を行ったり来たりしていたが、
さすがに39.8度では熱かった。

16日夕方から、そけい部のリンパから何か(良くないものが)出ている気がして、
白血病とか病気の始めってこんな感じかも・・・?と思った。
その夜、胃が痛くて仕方がなかった。
なにか黒いものが胃の内壁の下のほうから表層に上がってきてる?
ように感じた・・・。

足をあげても何をしてもダメ、「痛い痛い」と言ってしまっていたが、
あまり声にもならなかった。
子供たちの運んでくれた、水と、野菜のジュースお湯割りを飲んでいた。
さすがにそれは身に染み入った。それをくれた母にはまた助けられました。
そうして夜中の3時くらいには胃の痛みのピークは治まった。

17日夜、両臀部と膀胱が痛くなった。
痛い痛いの声は、昨日よりも小さくなって、
もう何を話しているかわからないようなほどになっていた。
あまりに痛くて、癌の始めの痛みはこんな感じかな・・・?と思った。
また夜中の3時までで痛みのピークは治まった。

でも体が体温を上げて、免疫力を上げてくれているように感じられた。
5月などに感じていた、腎と下腹部の違和感からとうとう何かが起こって
体がそれに対抗してくれているのかなと・・・。

18日も熱が高かった。固形物を食べないと熱で出る汗で消費したカロリー、
失った体重で体がもたない。
でも自分で育てたり、捌いたりできない(であろう)ものは口に入れたくなかった。

大豆でできたプロテインと、抹茶小豆の葛ゼリーを食べたりした。
17日晩にはご飯も少しいただいていたが、大量に汗をかくので、
一日に片方の手のひらに乗るくらいの食事をとるようにしていた。

この間子供達3人は、私にべったりするわけでなく、濡らしたタオルや保冷剤や
水を届けてくれたり、自分のために凍らせていたスポーツ飲料をくれたり、
母を思いやりの目で見守って、声をかけてくれていた。

こんなに優しくされるならこのまま死んでも全く悔いはないと思うくらい幸せだった。
子供は大丈夫だと、頼りがいを感じた。
次は見えないものになって、3人を見守ることも全然怖くないと思いました。
でもあるとき「ママ死なんといて」」と言われ、まだ生かしていただけるのなら、
娘たちのためにすべきことがあると思いました。


このように、熱さと痛みなどでほとんどのたうちまわったり横になっていたが、
19日に一度、37度台になり、20日もだいたい38度以下に・・・。

21日、朝36.8度だったので、地域の行事に参加しました。(役をしているので)
そのとき体重が4キロくらい減っていたが、緩やかながらも動くことができました。
何かに動かされているような気もした。
でも子供たちのイベントが終わると、また熱が上がって
早くに帰らせていただだき、熱が38度を超えていった。
22日、36度台になったので、行事の後の用事に参加することができましたが、
他の役員さんとご家族、子供たちと主人には、大変お世話になりました。
ありがとうございました。


そして24日夜、娘たちとの約束の夏休みの旅行に行くため、
娘2人と私の3人で電車に乗りました。
最初はもう大丈夫そうだなと思っていたのですが、
特急列車のクーラーがきつくなると、冷えで滅多打ちになってしまった。
胃の左横あたりの何かが冷たくなって、みるみる痛みも感じてきたので、
これは旅行に耐えられないと思い、車中寝かけていた娘達に事情を言って途中下車をした。

しばらく駅でうずくまり、次に動いたときには子供が大きな荷物をすっと持ってくれて驚いた。
その娘は、家で熱のあったときにはあまり私のところに来ずに、
静かに見守ってくれていた子だった。
いざというとき、しっかり助けてくれるのだなあと、胸熱くなりました。

それから駅員さんにご無理を言い、主人に連絡を取り次いで頂いた。
綾部の駅のその方は、子供に気遣いをしてくださって、本当に親切にしていただいた。

駅のベンチで横になり、見た目も気にせずお腹と腰の痛みと戦っていた母は弱かった。
娘達は、駅を通る人達にどんな顔をされようと、
強く静かに私を見守り、主人を待ってくれたのに。

体はすごく冷え妙に痛いので、内臓で何か起こってしまったかもしれないと思った。
駅員さんが救急車を呼びましょうかと声をかけてくださったが、
主人を待ちますとお伝えしました。

駅で1時間が過ぎた頃、娘達の夢をこんな形にしてしまったことを
本当に申し訳ないと反省する心が出てきた。
こんな状況でも、綾部で3人笑った思い出を作りたい・・・。

それで、14日主人と一緒に車で遊びに出掛けたときに車の中でしていた
色の名前などの「しりとり」」を思い出し、娘たちに「しりとり」の提案をしてみた。

すると娘達は、2人でしりとりをし始めた。
誰の邪魔にもならないような声で・・・。

ほどなくして私も参加をした。
私は座る姿勢をとれるようになって、だんだんお腹の痛みも小さくなっていった。

しりとりでは少しずつ、笑いが起こってきた。
そんなときに、駅員さんが業務を終えられ私の様子の好転を確認されてから
「もう大丈夫そうですね。」とお声をかけてくださりお帰りになられた。
本当にお世話になりました。

「パパが来たあ。」
娘の声に、私はホッとした。子供たちの立派とパパの優しさ。
主人は現場仕事後、綾部まで家から1時間半はかかって来てくれたそうだ。
私は安心して帰りの車の中横になり、家に着く前にはお腹の痛みは治まっていた。


25日夜、またお腹が痛くなり、ごろごろ転がり寝ていた。
26日熱は37度前半。体に痛みはなかったですが、なんだかよろよろして畑には行けない。
こんな様子では、計画しなおしたリベンジの旅行に行けるのかなあ、と思った。


そんなとき、ある方からお電話をいただき、検査を受けるべきだとのお言葉に心が動いた。
私は人に支えてもらって生きているのだから、もう超えたとか、
治ったと自己診断するのではなく、この体の状態を知る責任があるんだと・・・。

29日午前、主人に付き添ってもらい総合病院に行き、診察を受ける。
その日の午後専門科にて、‘誰にでも書いてもらう’らしい最初の問診表に、
「もしがんの場合、告知を望みますか?」という欄があって、
迷わず‘自身に告知を望む’に○をした。

しかし名前を呼ばれる番を待っている間、一瞬だけ怖くなった。
そうなってみると、私ダメなほうなのかなあ・・・?
まあ、結果がわかるまでは不安も置いてこうと思い、夫婦で椅子に座って、
主人にこんなときはいつもですが、リラックスするような話をしてもらって
ボケにはつっこんだりして笑っていた。
不安にも痛みにも、家族との笑いが一番ありがたい薬のようです。

・・・長い時間が経って、名前を呼ばれて診察を受け
腎臓の腫れに先生が少し慌てられた。
そして詳しくはCTかMRで撮って観る必要があると伝えられた。
MRは被曝しないが、先に予約が必要なうえCTより解析度が低いとご説明を受け、
主人と相談し、その日に受けられるというCTをしていただくことにした。

被曝については、以前主人がMRの検査室の工事に入ったときに、
四方八方天井・壁や床に、分厚い鉛を張った話しを聞いていたので、
何らか放射能は関わるように感じてしまっていたのもあり、
CTで今日わかるよほうがいいかなとも思いました。
(検査後にホメオパシーをとったら大丈夫かなと頭に浮かんだのもあった。)

そんなわけで、CTの検査を受けたのですが、線量10ミリシーベルトなんですね。
高い放射線を受けたからか、40キロくらいになっていた体重は、
その後2日で38キロになってしまった。
体力も声の力も衰えたが、検査で結果がわかり、私たちは前に進むことができた。
ありがたい病院での診断。

ところでCTやレントゲンでわかった結果は、16日からの痛みや熱は
長年育ててきたと思われる腎臓結石からの腎炎だったのだろうとのことでした。
このとき最初に見つかった腎臓の腫れには子宮癌などが隠れている可能性があるそうなので、
詳しい検査をしてくださったのだそうです。

検査では、片方の腎臓がほとんど機能していない結果でしたが、
今まで体はよくがんばってくれていたのだと感謝しました。

全ての臓器が動いていることは、当たり前ではない。
まるで今までの日本の空気や水の美しさや四季のある自然が当たり前ではなかったかのよう。

いろんな要素が重なり合って、この体・環境があるのだなあ。
体は小宇宙だと言うけれど、何も構わず養生しなかったときも、
ずっと私のしたいことをさせてくれて支えてくれていた。
何年も前にこうなってもおかしくなかったのに、ありがたい。
私に病気や老いのことを話してくださった方たちに、もっと思いを寄せられるようになる。
子供のことを、もっとよく見ようと思う。
本を読んでは自分の今までの生活習慣・心あたりを感じ、
信頼する人に話しを聞いていただいて原因と思われる自分の心がけの悪さに気づく。


助けてくださった皆様、この身の都合のためにいろいろとお許しいただきました方々
すみません、ありがとうございました。
今後も皆様のご健康、心よりお祈り申し上げます。

ネコはかわいいな

2011-06-01 18:24:38 | 健康・美容
「かわいい♪」と思って、子猫を抱いてみる。
目を合わし、あやしてみる。
こちょこちょしてみる。

・・・でも、そこに違和感があった。
それは、こちらから笑いかけても、笑みが返ってこないから。

‘微笑み・笑顔’
人間にしかないのは、どうしてだろう。

人間も、動物も、口を使って食べてなき、いらぬものは吐き出します。
でも、どうして人間だけが、口角が上がるのだろうか・・・?
笑うことのできる筋肉ができてるのかなあ。

そんな人間も、本当に悲しいときには、心凍ったときには
笑顔がでないのです。声さえでなくなるのです。

そのようなときに、誰かに微笑みかけてもらったら・・・。
口角あげて、笑いかけたら、相手の人にも、心に灯り、ポッと灯るかな。