記憶力に焦点をあてて考えてみます。
個人的な見方ですが。
私は小さなころは、物事を写真のように覚えてしまうタイプでした。
家での食事は朝から和食。お昼の学校給食は大好きで残すことはほとんどなく、晩ご飯も和食が多かったように思います。お魚・お野菜もよく食卓にあがり、家での好き嫌いや食べ残しは許されていませんでした。
母は、売られているお惣菜と冷凍食品が大変苦手でしたので、ほぼ手づくりのものを食べさせてくれていました。
おやつは覚えていません。
人並みに健康で元気に地域の友達達と外でよく遊び、たまに貧血で倒れたり扁桃腺を張らしたりはしましたが、体育も勉強も大変だと思ったことはなく、忘れ物をする人の気持ちがわからなかったです。低学年のころは、先生の言われたことをクラスのお友達達に聞きに来られたりすることが多かったと思います。
中2の頃に母がサロンを始めとても忙しくなっていく時期と、体育系のクラブ活動で身体に無理をしてまず腰を悪くし、体調を崩し始めることが重なりました。(それは潜在意識で自分の望んだことでいたことでありました)
それから親のいない間に白砂糖と酸化した油たっぷりのおやつとジュースをたくさんとって、頭をボーっとさせて身体の痛みから逃げるようになっていきました。母は仕事で帰り遅いようなときにも手づくりのものを食べられるように、朝から夜ご飯の仕込みをして家を出て、段取りをしてくれていました。父と妹と分担して、炊事とお台所の片付けをする日もありました。なのに-の貯金を毎日自分でためていっていたのでした。
五感のうち味覚から狂っていく、というのはアーユルヴェーダの考え方ですが、まさに上記のように白砂糖と油ものをとるようになると、だんだん食べ物の味がしなくなっていき、ものを美味しいと感じることがなくなり、気づくと心身不調だらけ、勉強も運動もできなくなっていきました。中学のクラブでは補欠の補欠。高校の進学時には、二類の人文科ぎりぎりくらいの成績だったかと思います。
高校のときにはクラスの女の子で一人だけ、歴史のテストで赤点をとりました(@_@。
もう普通に座って授業を受けることが困難で、記憶力も落ちていっていました。体育のときラジオ体操を普通にできないときがあるような不健康な状態でした。母には、良いと言われるいろいろな病院・治療院に連れて行ってもらっていたころです…。ただ一人だけ、いつか良くなるはず、と信じて見守ってくれていた母でした。
専門学校に通っていたころにも、お休みしたり遅刻もしたし、まだ真面目に学校に行けない状況で、まず態度が悪いので先生から目をつけられるようなことがあり、良い生徒ではなかったです。(ひどい不調がまた蘇るのが嫌で)身体がしんどいことは言わないようにしていましたので、だるそうな生徒、と見られていたはずです。でも心身のことを学ぶ中で、自分の不調の原因を探ることができ、生活の改善の転機になりました。
その後社会にでたら、一度教えていただいたことをしっかり覚えないといけません。学生の頃のように、その日の体調によってお休みすることもできません。それでお店の寮生活での自炊はもう、一人独走?健康マニアのようなメニューで、また毎日ヨガと腕立て・腹筋・背筋などして、美容学校の専科で習ったことを総動員して^^;毎日出勤できるように自分をもっていきました。寮の先輩や同窓生には健康マニアみたいに見られていました。そういえば、美容学校の専科の昼食時にも、クラスの女の子たちに、‘まーたそんな野菜いっぱい、健康的なもの食べて…’と言われていましたが、かなり不調にしてしまった身体を良くするには、みんなみたいに食べていたら無理だと思っていましたので、人にひかれても続けるしかありませんでした。
例えばフェイシャルの手順は、先輩に一度してもらってメモして、次にはできる、という感じでしたが、2年くらいしてだったでしょうか、売上を倍にしようとした時期があって、もう自分の力以上のことをしてしまいました。
時間がなくてトイレも行けなかったり、水分も昼食もとれないときもありましたし、食べ物もそんなに気をつけられませんでしたし、毎日必死で、お客さまの情報しか覚えられないようになって,バランスを欠いてしまったのです。過去に行った研修旅行のことを忘れてしまったときにはやばい、と思いました。
個人的な見方ですが。
私は小さなころは、物事を写真のように覚えてしまうタイプでした。
家での食事は朝から和食。お昼の学校給食は大好きで残すことはほとんどなく、晩ご飯も和食が多かったように思います。お魚・お野菜もよく食卓にあがり、家での好き嫌いや食べ残しは許されていませんでした。
母は、売られているお惣菜と冷凍食品が大変苦手でしたので、ほぼ手づくりのものを食べさせてくれていました。
おやつは覚えていません。
人並みに健康で元気に地域の友達達と外でよく遊び、たまに貧血で倒れたり扁桃腺を張らしたりはしましたが、体育も勉強も大変だと思ったことはなく、忘れ物をする人の気持ちがわからなかったです。低学年のころは、先生の言われたことをクラスのお友達達に聞きに来られたりすることが多かったと思います。
中2の頃に母がサロンを始めとても忙しくなっていく時期と、体育系のクラブ活動で身体に無理をしてまず腰を悪くし、体調を崩し始めることが重なりました。(それは潜在意識で自分の望んだことでいたことでありました)
それから親のいない間に白砂糖と酸化した油たっぷりのおやつとジュースをたくさんとって、頭をボーっとさせて身体の痛みから逃げるようになっていきました。母は仕事で帰り遅いようなときにも手づくりのものを食べられるように、朝から夜ご飯の仕込みをして家を出て、段取りをしてくれていました。父と妹と分担して、炊事とお台所の片付けをする日もありました。なのに-の貯金を毎日自分でためていっていたのでした。
五感のうち味覚から狂っていく、というのはアーユルヴェーダの考え方ですが、まさに上記のように白砂糖と油ものをとるようになると、だんだん食べ物の味がしなくなっていき、ものを美味しいと感じることがなくなり、気づくと心身不調だらけ、勉強も運動もできなくなっていきました。中学のクラブでは補欠の補欠。高校の進学時には、二類の人文科ぎりぎりくらいの成績だったかと思います。
高校のときにはクラスの女の子で一人だけ、歴史のテストで赤点をとりました(@_@。
もう普通に座って授業を受けることが困難で、記憶力も落ちていっていました。体育のときラジオ体操を普通にできないときがあるような不健康な状態でした。母には、良いと言われるいろいろな病院・治療院に連れて行ってもらっていたころです…。ただ一人だけ、いつか良くなるはず、と信じて見守ってくれていた母でした。
専門学校に通っていたころにも、お休みしたり遅刻もしたし、まだ真面目に学校に行けない状況で、まず態度が悪いので先生から目をつけられるようなことがあり、良い生徒ではなかったです。(ひどい不調がまた蘇るのが嫌で)身体がしんどいことは言わないようにしていましたので、だるそうな生徒、と見られていたはずです。でも心身のことを学ぶ中で、自分の不調の原因を探ることができ、生活の改善の転機になりました。
その後社会にでたら、一度教えていただいたことをしっかり覚えないといけません。学生の頃のように、その日の体調によってお休みすることもできません。それでお店の寮生活での自炊はもう、一人独走?健康マニアのようなメニューで、また毎日ヨガと腕立て・腹筋・背筋などして、美容学校の専科で習ったことを総動員して^^;毎日出勤できるように自分をもっていきました。寮の先輩や同窓生には健康マニアみたいに見られていました。そういえば、美容学校の専科の昼食時にも、クラスの女の子たちに、‘まーたそんな野菜いっぱい、健康的なもの食べて…’と言われていましたが、かなり不調にしてしまった身体を良くするには、みんなみたいに食べていたら無理だと思っていましたので、人にひかれても続けるしかありませんでした。
例えばフェイシャルの手順は、先輩に一度してもらってメモして、次にはできる、という感じでしたが、2年くらいしてだったでしょうか、売上を倍にしようとした時期があって、もう自分の力以上のことをしてしまいました。
時間がなくてトイレも行けなかったり、水分も昼食もとれないときもありましたし、食べ物もそんなに気をつけられませんでしたし、毎日必死で、お客さまの情報しか覚えられないようになって,バランスを欠いてしまったのです。過去に行った研修旅行のことを忘れてしまったときにはやばい、と思いました。