トリプル7と景色やゆかいな仲間たち

日常生活を豊かに楽しく成長していく

はっきり言って見た目はどうでもよくなってきた・・・↓

2018-03-07 22:40:54 | この世を揺るがす
よく人は見た目で判断するな!だとか見た目が9割りだとか白でもあり黒でもある。

というどっちに転んでも勝ちというようなどこかの証券会社が取るような手法の

ようなものが世間で流れてはどれが正しいのかは実際に体験して見なければわからない

というもので現実は小説より奇なり!なのだ。

だからといって可愛い人、綺麗な女性、美人な女性にこしたことはないのだが美人は3日で

飽きる。やブスは3日で慣れるだとか言われたりもする。

が何か最近それがしんみりと解る気がしてきた・・・。

嬉しいやら悲しいやら何かどうでもいいのか!!!怒


おおーーーーーーーい!!!!しっかりしろ!!!!可愛いくて綺麗で美人な女性がタイプ

じゃなかったのか!!!!

なに歳や時代に流されて妥協しているんだ!!バカヤローーー!!!

と自分のほっぺったを平手でおもいっきりぶんなぐってやりたくなるぐらい日々なんかどっか



妥協してしまうような負けていくような自分がそこにそっといたりするのも事実なのだ。

あまりにも相手に求めすぎてやしないか?

お前はそんなに価値のある存在なのか?汗

と自分自身はちゃっかりと棚にいやどっか遠くの見えないところにポイッと放り投げて

好き勝手なことばかり理想などのハードルだけは高いのだ・・・。

そんなんだから少子高齢化に拍車をかける一員になっているのだということを見て見ぬふり

して何とかなるやろ!

とそのような直近の大問題からも目を避け我が道を進んで行き詰って八方塞がりという

より誰も相手をしてくれくなるのだ・・・。

そりゃあ!言いたい放題!やりたい放題!!やってきたわけだから仕方ないさ!

ともう一人の自分が言う。

しかし人は何を基準にしてあの娘はカワ(・∀・)イイ!!とか綺麗だとか美人だとか決めつけている

のだろうか?

近頃、歳をとってきたせいかアイドルグループのAKB48やら乃木坂46だとかNBN?

ん?HKT?んんん??汗たくさんい過ぎて若い娘はみんなアイドルじゃないか?と

錯覚しそうなほど顔がわからない名前と顔が一致しないというかそもそも見てないから

全然わからん・・・。

これがオッサン化現象なのだろうか?ハッ!!

これがおじさんと呼ばれる所以なのか?汗

いやいやいやいやアイドルが多すぎるだけだよ。

ただ単にあああアイドルが多すぎるだけだよ~~はああああっはっははははは笑

確かにおじさんと呼ばれる年齢にはなったのは認める!

でも精神年齢があの頃から年齢とリンクしていないのだ・・・・

ヤバい!!!

年齢と精神年齢がリンクしてない・・・。

これは俺だけなのか?汗

普通というものが一体なんなのか?

そんなことさえわからなくなってしまった浦島太郎は裸の王様で世の中の

隅っこでマスクして顔を隠す。

何故か花粉症なのはもちろんだが顔を隠すと少しなんか落ち着くのだ。





言いたい放題!パケ放題!!

2018-03-07 21:24:46 | 言いたい放題
浮かんで来たものをただひたすらに書いていこうと思う。

といざ書こうとすると何を一体書けばいいのかわからなくなるものです・・・。

大海原を漂流しているような宇宙に放り出されたような気持さえ抱かせてくれる。

言いたい放題とか言いつつちっさな枠の中でただハムスターが歯車をせっせと回して

いて空転しているだけではつまらない。

そこにハムスターは体を保つために運動をしてストレス発散をしているのだと思えば

一件落着するものだ。

何か引っかかって吐き出したいような時ってありませんか?

今はさわやかな君の気持ちで歩いたッ♪っていうZARDの歌詞みたいですが何か生まれないもの

かと何か閃かないかとそう思いながらキーボードを叩いているわけですが

無題で何でも書いていいぞ!と言われる程、不安なものもないですよね?

自由を求めているくせにハイ!ご自由に!!と言われるとえッ!汗となるわけです。

自由にしていいですよ?と言われてもそれなりの常識や恥ずかしさなど人の目はやはり

気になってしまう小心者であるのです。

しかし秩序のようなものが180°変わるような今までの価値観や固定観念さえもひっくり

返してしまうような出来事が起こったらどうでしょうね?

勉強もある時点から歴史であったら江戸時代はなんとか想像がつくのですが明治時代ぐらい

からは少しはっきりしてくる感じで大正時代とは何かあったのですか?って

レトロって感じぐらいでイメージが薄いのです。

昭和は戦争もあって高度経済成長やぎゅっと凝縮している時代で時代を一回リセットして

それから始まりから終わりまで一回りした時代という激動の時代で目が回る程忙しい

時代であったと一応昭和時代に生まれた者として発言してみるのですが子供の頃だった

為、経済的な社会人としての経験がなかった為バブルなども他人事であってその頃

お姉さん達がワンボディコンの洋服を着て鳥の羽のふさふさしたセンスをフリフリしながら

ディスコの舞台の上に乗って踊りまっくていてそれを下から男性が見ていたり踊っているとい

うニュースをポカ~ンと口を開けて観ていていたことを思い出すぐらいで後は山一証券の

社長が「社員は悪くないんです!涙全部私が悪いんです!!涙」と涙を流しながお詫びしてい

る姿がインパクトとして残っているぐらいでその頃の何かダメージを受けたという実感は

ほぼ無かった。

親父の働いている職場はほとんどと言っていい程そのバブルなどの恩恵を受けているような

企業ではなかったのでその景気の良さを本当の意味で実感出来ずに何事もなかったかのように

ぽか~んとしてというかかなり精神的にはダメージを受けながらもなんとか若さで乗り切っ

た。

ただ高校だけは出なければということで懲役3年と思う程それはそれは辛い

体育教師の体罰を食らいながらなんとか高校は卒業して情報処理の専門学校に行ったわけだが

それから想像していた通りいやそれ以上のネット社会が到来したわけだがそれから

一応制御盤のプログラマーとして就職できたわけだが失われた20年時代という大きな津波

のような魔物に飲み込まれてしまい残業地獄を体験して体を壊しそれから転々と職を

転々としながら落ち着けないまま今もこうしてもがき続けているわけだ。

ここで胡散臭いネットビスネスの世界で成功した人ならここで一発逆転と言いたいわけ

だがそんな現実は甘くなく取り残されて今だに漂流している者もいるのだ。

生きてきた!というより生かされてきたって感じというかなんと表現したらいいのか

生きてるというより死んでないと言った方が正しいだろう。

平成という時代は一言で言うと難しいがやはりネットという情報の時代で時代は理論上では

回るはずなのだが行き詰った時代と言えると思う。

計算上の机上の空論では、小手先の小細工では決して変わらない今までのツケをまだ

支払っている。

そんな時代だと思う。

平成もあと残りわずかになろうとしているわけだが年号が変われば何かがゴロっと変る

わけでもなくただその行き詰った世界を変えたい!!と願うばかりだ。


人生はある意味ぎゃんぶるだ。

2018-03-07 19:03:54 | この世を揺るがす
人(僕)はなんて愚かな生き物だろう・・・。

欲というものは恐ろしい。

お金に振り回されたくないとそういう生き方をしたいと思っているのだがギャンブル性の

あるものFXにしても株売買にしろ他に娯楽としてパチンコや競馬、競艇、競輪等々

あるが人は勝負に勝ったりするとその余韻に浸ってしまい、ある瞬間勝手も負けてもどうでも

よくなっている自分が居たりする。

よくギャンブル依存症や買い物依存症やその他の依存症がたくさんあるわけだが自分はそうい

うものにはならない!

と断言してもそのようなものに足を踏み入れてしまうとなかなか抜け出せないのだ。

ある段階から麻痺のようなものを脳が受けてしまうのだ。



始めはちょっとした好奇心から始まるものだが決して近づかない方が得策だとそう

言いたい。



勝ったとしても何か虚しく、こんな事やっても仕方ないと少し楽しんでいたのに

楽しめなくなり引き際が解らなくなってしまったりしてしまう。

人は何かしらに依存はしていると思っているがその対象物が健全でなければ身を滅ぼして

しまいかねないと痛感している。

ビットコインなどで億り人と言われる億を稼いだ人などが取りだされるがそのような一攫千金

を手に入れた人はそれはそれで苦労してしまうものなのかとそんな風に思う。

宝くじなどでも同じだが一気にお金が手に入ってしまうと人は常に平常心ではいられなくなっ

てしまうものだとそう思う。

要はこれから一生遊んで暮らしてもいいよ?

と言われてもずっと遊んでいても楽しくないと思う。



しかし丁度良い感じというのはなかなか難しいものだと思う。

どこかで安泰だとか夢が叶ってしまうとまた次の夢だとか目標を立てて上を目指す

しかなくなってしまうものだとそれが資本主義で生きている人の宿命なのだろうと

思う。


平和ボケしてしまっている現代社会の中で危機意識が低下している感じは否めない。


だからといって戦争を肯定する気は全くなく平和な国にしてもらえてそれは大変

有難い状況だと思っている。

人は慣れというものは恐ろしくそれがあたかも当たり前のように喉元過ぎればなんとやら

で人は忘れてしまったりするのだ。

だから定期的な災害であったり戦争の悲惨さを語り続ければならないと強く思っている。

戦争実体験者がかなり少なくなってきている現代社会ではかなりその内容をいかに

リアルなものとして語り継げるかが問題になってきているが現代社会のテクノロジー

を利用すればそれは可能だと確信している。

例えばVR(バーチャルリアリティ)などを使うのもいいだろう。

やはり仕事をやって終えるまで現役のような生活が好ましいのかもしれないが

歳を取っていくと体も精神も次第に衰えてしまったりするからそのような理想も

難しいだろうが何か趣味だとか何かしらの毎日を規則正しく生きて行くことはどのような

状況になろうとも大切だと思う。

現代社会では年功序列の終身雇用というのは珍しくなってきている社会の流れ

の中で上手に生きる。

自分らしく生きていくことが個人の責任として重くのしかかっている。

何をしても自由だよ?

ただ責任は自分で取りなさいよ?

というそのような一見自由でいろいろなことに挑戦出来る社会になっているのは有難い

その分、個人としてきちんと自立していかなければいけない世の中になっていて

かなり人間力を磨いて行かなければ平和ボケのようなものであったり仕事でも

やり過ぎて感覚が麻痺して一種のランナーズハイのような状況になって自分が

どれくらいの状態なのかを自分で把握できなくなってしまって過労自殺などを招いて

しまう恐れがあるのだ。

何事もほどほどでちょっと足りないぐらいの70ぐらいが丁度いいのかもしれない。

ただ仕事となると完璧で隙の無い完成品を求められる時代なので70ぐらいで止められ

ないのが難しい問題だ。

一生成長と可能性の拡大をし続けることが理想の形のようだが何も神様のような人を

目指すわけではなく、そのようなことを意識して臨む姿勢が大事という意味であって

他人と比べるものでもない。

自分自身との闘いなのだ。とそう思う。

どれだけ自制出来、自律出来るかが大切であると言うのは易いが行うのがなかなか難しい

ものだ。

知ると解ると行うは全く違うもので実際に行動で表さななければ机上の空論であって

どれだけ立派なことを言ってもそれには重みが無く、単なる頭でっかちになってしまう。

人(僕)は簡単に忘れてしまうというある意味それも能力なのかもしれないが大切な

事ぐらいはきちんと心に刻んでいたいものだとそう思う。

人はある意味忘れるから生きていれるとも思う。

現代社会のような情報が溢れる中で毎日毎日、脳の更新(バージョンアップ)をして

いかないとあっという間に浦島太郎のように取り残されてしまうような錯覚を感じて

しまうがそれは現代病と言ってもいいだろう。

どれだけ上手く情報処理をして現代社会を生きて行けるかが大切だと思う。

何か一つの仕事に従事していればいいというものではなくやはりまんべんなく世界の動きは

知っていなければいけないのではないかと個人的にはそう思っている。

それは恐らく全ての事象が関係してないようでいて関連している歯車のようなものだと

感じているからだと思う。