トリプル7と景色やゆかいな仲間たち

日常生活を豊かに楽しく成長していく

センスである感覚であったり感情をこえたその先に

2018-02-16 11:02:18 | この世を揺るがす
個人的にはやりたい事をやりたい!そういうものは誰しもがそうやりたいに決まっているはずだが

やらねばならない事やりたくないがやらねば生活が成り立たないものがどうしても生活必需品のような

い無いと生活が成り立たないというものがある。

削減して削減してそのような生活必需品を最低限にしてもそのような最低やらねばいけないものが

日々の生活では出てくるのだ。

衣食住のそれも確かに贅沢もしないとしても寒ければ防寒着が必要だし暑ければそれを軽減する

為に時として現代社会の便利で必須のエアコンなどが必要である日もあるだろう。

人はいつでもいつの世もそういう自然などと否応なく向き合わざるを得ないのだが

人類は発明を改善改善を重ね現代社会の便利で合理的で効率化の進む社会に流れ着いたのだ。

何に時間を割くことが今の段階で一番必要なのかそれは生活するにはお金が必要となるため、お金を

稼ぐ!そういうことがいつの世も切っても切れない世が続いているわけでそれには生産するという

ものを生み出す能力を身に付けそれによって人の何かに役立ちそれでこの世は回り続けてきたのだ。

我慢をして最低限度の生活を営んで自然に生まれ、自然に終了していく人もいるだろう。

人はなるべく心地よく生きたい。出来るならよりよく生きたい!!とそういう欲が止まらない生き物

なのだ。

今よりもっとと願うのだ。足るを知らずそのような欲に流されると人は自然と弱っていくと思う。

もやしのような人になってしまうのだ。

我慢もほどほどでなければこの異常気象や異常が通常化しつつある昨今では生きていくことさえも

出来ない程の世が拡がってしまっている。

生きるというのは人類史では優生学で優れたものが生き延びる世界が拡がっているわけだが果たして

優れた者だけがこの世に残り、世界は回り続ける事は出来るのだろうかとそう思う。のであるが

それは競争力だけが加速して行き、生きづらい世界が拡がってしまう。

とそう思うのだがいかがだろう?

皆が皆優れた能力を持ったとしたら、感動は生まれないような世界になってしまうかもしれない。

喜怒哀楽さえ感ずることもなくなってしまうかもしれない。

喜びや楽しみばかり求めてしまいがちな人生が果たして素晴らしい人生なのだろうか?

苦しく、お腹がすくから初めて幸せのようなものを感じるのではなかろうか?

それは当たり前だよ。

そうだよ。ということだがそういう当たり前に見える生活がこの世の生産して消費するという仕組みが

成りとい立っているのだと気づかされたりする。

今という現代社会の中で果たしてどういうものがやらねばならない事優先順位の先頭に立っているのだろう

か?

その今やらねば行けないことこれから20年先というある中期スパンでは何が必要なのか?

いや現代社会では20年などという長いスパンで考えるということはあまりにも酷で無用なものなのだろう

か?

情報化社会がある時期から加速度を増して急成長してきたこの世は果たして便利になったのだろうか?

長い目で見るとそれは残酷な時代を迎えているのではなかろうか?

便利でその対価に見合った価値を生み出しているのだろうか?この世界では限られた時間を有効に

いつもそれに当てて来れているのだろうか?

いつの時代も想定外の事が起きながらこの世は何が起ころうが地球は何事もなく回り続けているわけだが

何かに依存したり、何かに頼ったり、何かに助けられたり、先を読んだり、ある人は自分が生きている間に

建築出来ないかもしれないようなものに挑んでいたり、ある者は競争や評価を気にしながらその生存競争

の中で生き残ろうと必死でもがき、働き続ける人もいるだろう。

この世では選択肢がさまざまで如何様にもあるように錯覚させられたりする事もある。

今まではここで終了という人々も延長という人も多くなったかもしれないのだ。

医療などの技術も日々進歩し続けていて有難いことにそれは実現可能になって命拾いした人も多いのでは

ないだろうか?

人は無くなってから初めてその有難さに本当の意味で気付くというそんな呑気で幸せ者で勝手な生き物も

いないであろう。

今を象徴するインスタ映えなどという写真を撮ってその美しさや珍しさや写真の写り具合であったりと、

そんな私はこれがイイと思うんですけどどう思いますか?

というそんな単純で明確なでも単に表面的な世界は拡がり、一部では流行っている時代なのだ。

それはやらなければいけない優先順位から考えてみるとかなり下というかランク外のものだと個人的には

そう思っているのだが人は何かに集中したり何かにハマったりするとある快感のようなものを感じて

依存のような状態になってそれがあたかも今やるべき優先順位の上位であるかのように錯覚、麻痺して

それをしなければおられない。というようなちょっとした病いのようなものに簡単に陥ってしまうのだ。


こういう簡単で表面を繕う世界が流行っている時代というのはある面でそのようなインスタント的な

ファーストフードが一時もてはやされた時代と似ていると感じる。

このような時代の中で世界は回っているわけだが果たして次に流行るものは一体何なんだろうなどと

未来を創造してみたりするがこの混沌とした複雑な社会の中で生み出されるもの流行するようなもの

はきっとまた表面を繕うような薄っぺらいものであるに違いないとそう感じてならない。

おぼっちゃまくんのマンガで貧乏ちゃまのような後ろの現実の世界は酷く残念な生活であろうとも

表面だけは繕って良い面を世間に見てもらうというそういう虚しい面を持ち合わせながら

生き続けるのだ。

表面だけではなく中身の詰まったそんな心に穴がぽっかり空いてしまうような世界では

ない。

そんな中身の詰まった世界が来るようにしたいとそう強く感じる。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿