ほぼ不定期日記

散歩ばかりしている男の嘘日記

湖東三山を巡る午後・まずは西明寺・国宝だらけの寺

2016年03月30日 | ほぼ古代妄想

目的だった息長一族ゆかりの場所は予定よりも早くまわれたので 

湖東三山はやはり訪れておかなくてはなるまいと彦根を通り過ぎる 

国宝だらけの寺である西明寺は琵琶湖の東の山懐にあった 

細い陸橋で北陸道を越えて駐車場に向かう

拝観料600円也を払って黄土色の壁も美しい中門を潜る

 

手入れの行き届いた庭園を通って山門に至る 

苔むした庭のあちこちにはショウジョウバカマが咲いている 


ゆるやかにカーブした石段を上り詰めると本殿が見えてくる 

見事な演出である 


国宝の本殿と三重塔が並んでいる 


三重塔内部は金銀を用い極彩色に彩られた阿弥陀堂になっているが観ることは出来ない 

以下のリンクを参照していただきたい → http://www.saimyouji.com/temple/up/open3.html


本殿は国宝指定第一号で桧皮葺と釘を使わない飛騨の匠の手になるものである 

残念だが内部は撮影出来ない 

以下のリンクを見てもらえれば幸いである → http://www.saimyouji.com/temple/index.html

とにかく本尊の阿弥陀如来にせよ脇時の日光月光両菩薩にせよ十二神将にせよ素晴らしいものである 

なにも言うことは無い 

仏教には謎が無い 

ひるがえって神道と呼ばれている我が国土着の宗教は謎だらけなのが面白い 

いや宗教ですら無いのかもしれない 

続いて湖東三山の金剛輪寺と百済寺を目指す 

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息長一族の面影を追って米原を走る・息長陵と山津照神社

2016年03月30日 | ほぼ古代妄想

息長一族の地である米原を今日は巡ることにする 

まずは息長陵を目指す 

田園は今まさに春 早咲き桜は満開だ 


融雪パイプが埋め込まれた細い路地を抜ければ・・・あった!息長陵だ 

石造りの鳥居の奥に苔むした土饅頭が見える 赤い椿の花がポトリポトリと散っている 


あぜ道にはツクシがびっしりと顔を出している 


地図を見ると山津照神社というところに古墳があるらしいのでそちらへ向かう 

山津照神社があるあたりは息長源氏蛍の発生地なのだそうだ 

そういう蛍がいるのは知らなかったが良く手の入った里山のあちこちに雪割草が咲いていて・・・ 


すれ違う人たちは皆おだやかに微笑んで会釈を交わしている 

のどかとはこういうことだと言わんばかりの集落である

さて 山津照神社の石段を登る 

壱の鳥居が見えてくる 意外と大きい! 左手に見えるのは脇寺である 


ゆるやかに曲がった参道を登ると左手に古墳があり右手に凝った造りの手水舎がある 


手水用の蛇口はなんの変哲もない中国龍だが手入れが行き届いていて気持ちが良い 


手水舎を通り過ぎると弐の鳥居が見えてくる 

鳥居の注連縄は典型的な大蛇タイプである 


鳥居の右の社務所の唐破風の下にも大蛇タイプの注連縄が飾られている 

これは大蛇が雌雄でグルグル巻きつきながら交尾している様を表しているのだ 

つまりここは蛇神が祀られていると宣言しているのである 


弐の鳥居の奥に拝殿が見える 



あっ!アゲハ! 

ポカポカ陽気にアゲハチョウが浮かれて出てきた 

早咲きの桜の蜜を吸っている 動画で撮る 


拝殿の前は広々とした草地になっている とても気持ちの良い設えだ 

アカタテハがのんびりとタンポポの蜜を吸っている これも動画で撮る 


拝殿は新しいもので特に見るべきものもない 後ろに回りこむ 

拝殿の後ろの神殿にも大蛇タイプの注連縄がぐるりとまわし付けられている 

幾何学模様に彩色された壁が珍しい 


何度も言うが非常に心地よい場所である 

鳥居までの参道のカーブやゆるやかな上り坂など 

身近な草花の生い茂る拝殿前の広場も含めて巧みに演出されていながらも 

あえて少しだけ「ゆるみ」を作ってほんわかとした暖かさを醸し出しているのだ 

仏教の建造物にはこういう仕掛けは無い 

仏教はがっちりとした体系で固められている 

仏教には隙が無いのだ 

それはキリスト教やイスラム教にもいえることで 

教会やモスクに入ると荘厳な気持ちにはなるけれど「ほんわか」とした気持ちにはなれない 

古代が遅れていて現代が進んでいるなどと思っている人はいないだろうが・・・ 


予定よりも早く廻れたので午後は湖東三山を訪ねることにする 

昼飯は道の駅で肉うどん 410円也 

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お菊塚でクラブハウスサンドウィッチを喰うお昼

2015年10月13日 | ほぼ古代妄想

平塚教室の前にお菊塚公園のベンチで昼飯でも喰おうと露地に入る

準備前の飲み屋街には聞き慣れない異国の言葉が飛び交っている

すれ違う女性たちのエキゾチックな香水が鼻腔にキツく刺さる




ベンチに腰掛けコンビニで買ったクラブハウスサンドウィッチを喰いお茶を飲む

今日は快晴だ 日差しが強いので木陰に移動する

ここはなんの変哲も無いビルの谷間のちいさな公園だが

その片隅の数本の木が植えてあるなかに・・・


お菊塚がある

言わずと知れた番町皿屋敷のお菊のことだ


塚のそばには観光協会が立てた説明の高札がある


ご存知の方もいるだろうが皿屋敷のおはなしはまったくのフィクションである

元ネタのお話は日本中の各地にあったが

江戸から明治にかけて戯曲や落話に使われたせいで原型をとどめているものは残っていない

こういった「罪も無い庶民が権力者によって残虐に殺される」物語が生まれ広まるのは

自然災害による不安感や社会構造の不備が生み出した不満感が庶民の間にあったからで

その言い知れない不安を解消するために残酷さを求めるのも庶民自身なのは悲しいことだ

ヒトは自分の心のすき間を埋めるために他人の不幸を探すのだ

他国の飢餓も戦争も自分の幸せの確認のために眺めているのだ

我々は生まれつき共喰いをする猿なのだ

それで良いのか?

そういえば最近「江戸時代は素晴らしかった」とか「明治は良い時代だった」などというデマを

我々の心に染み込ませ歪んだ愛国心を煽り自らの利益に導こうようと企む輩がいるようだが

もしも仮にあの頃の日本人に褒められるようなことがあったとするならば

過酷な時代を健気に生き延びた庶民を「褒めろ!」と言っておく

ところでお菊のお話には続きがあってそれは・・・

非業の死の300年後に「お菊虫」が現れるというもので

それではお菊の死は何時なのか?という可笑しなことになるのも荒唐無稽なことではある

ではその「お菊虫」とはなにか?というと

要はジャコウアゲハのサナギのことなのだが

そのサナギの異様な姿が「いかにも!」と言わずにいられないので

人様の画像ではあるがあえてここに出してみる

 

縄でギリギリと縛り上げられたお菊の姿に見立てたのだそうだ

この異形のサナギが羽化すると美しいジャコウアゲハになるのが不思議だ

こちらがメスのジャコウアゲハ・・・


こちらがオスである


オスのお腹の毒々しい赤い模様が酷い仕打ちを受けたお菊の身体に見えてくるのが不思議だ

どちらも数年前に樹海で撮った画像なのだが

この頃の樹海はしっとりと湿ってキノコや野草が生い茂っていて

真っ赤に熟したツチアケビなどもそこここに見ることが出来たものだった


今年の樹海は乾いている

雨が足りない訳ではない

地温が高いのだろうか?

気になるとまた樹海に行きたくなってきた

時間が来たのでここでとりとめのない妄想は終わりにする

仕事場に向かう

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真鶴貴船神社の蛇神はなぜ消えた?

2015年10月04日 | ほぼ古代妄想

真鶴漁港で昼飯を喰ってから貴船神社を訪ねる

こちらの貴船神社は郷社である


ひとつめの短い石段を登ると右手に頼朝の腰掛け石があり

左手には手水舎がある


この手水舎の蛇口は非常に珍しいタイプだ

公園の水飲み蛇口が向かい合わせにねじ込んであるのだ 面白い!


水盤に水が張っていないのは真鶴の水事情によるものだろう

ふたつめの石段を登ると右手に稲荷社があり稲荷社の奥には淡島社が隠されている

鳥居のかたちが稲荷社らしくないのはそのせいである


左手には龍神社がある

注連縄は緩く綯われているタイプだ


目の前には長い石段が待ち構えている

登りながら数えたら85段だった

 

息を切らして登りつめると真っ白な拝殿が現れる

真っ白な漆喰はここが海辺の神社であることを主張している

漆喰の材料である石灰は貝殻から作られていたからだ

注連縄は大蛇の交尾タイプではない均等な太さのもの


貴船神社のウェブサイトからその縁起をコピペしておく

「貴船神社は明治以前は貴宮大明神と呼ばれ、

 相模・伊豆海岸地方に多い来宮と同じ系統に入る

 今来(いまきの)神(かみ)(渡来神)と言われています。

 また、真鶴の地主神は「市倉明神」であるといわれ、

 現在は貴船神社の中に合祀されています。」

しかし拝殿前にある教育委員会の説明看板によると

「およそ1000年前に大国主と事代主と少彦名を合祀し・・・」と書いてあり

Wiki にも京都の貴船神社を勧請したのではないと書いてある

つまり最初は大国主ことオホナムチを祀っていた蛇神の社だったのが

そのうちに蛇神であることをやめてしまったり隠したりしたということになる

見切りをつけたのはなぜか?

真鶴半島の先端にある三ッ石には巨大な注連縄がある

巨大な岩に巻き付けられた大蛇型の注連縄の意味は?

そして船で三ッ石まで渡御をするのはなぜか?

我が国の神道が隠し事ばかりなのはなぜか?


拝殿の左手には祖霊社と山神社があり・・・


右手後ろには御船舎がある


ふたたび貴船神社のウェブサイトよりコピペする

「海上渡御の模型が展示され、壁面には祭り初日に岬の神社から神霊を移乗させ

 御旅所へ向かう様が描かれています。」

収められた優美な船の模型を眺めて神域を出る

住宅街を通り抜けて真鶴原生林を目指し歩く

今日は暑い!喉がカラカラだ

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這いつくばって女神の胎内に潜り込む午後

2015年09月30日 | ほぼ古代妄想

樹海の帰りに御殿場の御胎内神社を訪ねた

真っ赤な鳥居を潜って参道を進むと

赤いヤマシャクヤクの実が弾けている 毒々しい・・・


                 LUMIX GX1   G 14mm

 

拝殿はちいさいけれどがっしりとしている

おみくじの自動販売機のオレンジ色がなんとも似つかわしくない


                 LUMIX GX1   G 14mm

 

拝殿の左手には手水舎がある

富士山麓にふさわしい湧き水タイプのシンプルな手水舎だ


                 LUMIX GX1   G 14mm

 

拝殿の右手にはこの神社の説明看板がある

富士山の神は「木花咲耶姫」コノハナサクヤという女神である


                 LUMIX GX1   G 14mm

御胎内とは富士山の溶岩に穿たれた洞窟のことで

その洞窟の暗闇を通りまた外へと抜け出るのが御胎内巡りという行事なのだ


つまり女神の胎内に潜り込もうという趣向なのである

さてと・・・看板の図の通りに左の穴に潜り込む


                 LUMIX GX1   G 14mm

真っ暗な中を腰を屈めて進む

そのうち穴は狭くなってきて四つん這いでないと進めなくなってくる

さらに進むと匍匐前進を余儀なくされる

ひぃ~ひぃ~!と悲鳴をあげながら進むと前方に明るい出口が見えてくる

これは要するに産みの辛さを追体験させる施設なのである

ともかくこちらの穴から這い出る


                 LUMIX GX1   G 14mm


ほっと安心して痛む腰を伸ばしたら・・・

あっ!カエンタケだ! これはいけない!


                 LUMIX GX1   G 14mm

カエンタケは猛毒のキノコである

触ると火傷をしたようにただれるというのがまたえげつないのだ

これを社務所に届けるべきか悩んだがそれはやめる

古来より死と再生は宗教の重要なテーマであった

人は死ぬと地下に潜り生まれ変わって地上に出ると考えられていたのだ

そしてどんなに科学文明が発展しようとも死を恐れる気持ちに変わりは無くて

あらゆる手を尽くして我々をミスリードしようと待ち構えている者がいる

愚かしいことだ

悟りの道は遠いとしか言いようが無い

神域を出て御殿場の街へ向かう

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大磯の高来神社で蛇神に出会う 平塚まで歩く

2015年09月26日 | ほぼ古代妄想

アオスジアゲハがランタナの蜜を夢中で吸っている


               LUMIX GX1   G 45-150mm


ハタハタと動き回ってとにかく忙しいことだ


               LUMIX GX1   G 45-150mm

とにかく暑い!

やれやれ・・・やっと高来神社に着いた

後ろは高麗山だ


                LUMIX GX1   G 14mm


二の鳥居には大蛇の注連縄が設えてある


                LUMIX GX1   G 14mm


以前に訪ねた埼玉の高麗神社
には注連縄すら無かったのだが?

石畳の参道を進む

マテバシイのドングリをヤマガラが啄んでいる


               LUMIX GX1   G 45-150mm

下宮の拝殿が見えてくる


               LUMIX GX1   G 45-150mm


神域はキンモクセイの甘い香りに満ちている

手水舎はこの右にある


                LUMIX GX1   G 14mm


手水の手順を説明するイラストは初めて見るタイプだ

ここのオリジナルなのかもしれない

豆絞りの手拭が掛けてあるのも珍しい


                LUMIX GX1   G 14mm


下宮の拝殿の注連縄も二の鳥居同様に大蛇タイプだ

なぜだろう?


                LUMIX GX1   G 14mm


ここ高来神社は明治になるまでは高麗寺と呼ばれていたが

激しい廃仏毀釈運動に遭い他の寺同様に高来神社と改称されたのだが

その際に高麗王若光以前の歴史を付け足したのだろうか?それとも?


ともかくも高句麗滅亡で渡来した高麗王若光はここ大磯にたどり着き

勅許を賜り今の埼玉県高麗市あたりに封じられ長く崇敬された

各地にある白髭神社こそが若光を祀ったものなのだ

歴史はその時の権力者の都合でいじくりまわされ

日本の場合は元が判らなくなってしまうまでいじくられるのが常で

それは現代でもそうだ

困ったものだ

高麗山の頂上にある上宮まで登って降りる体力は残ってない

高来神社を離れ露地を抜けて花水川を渡り・・・


               LUMIX GX1   G 45-150mm


ふたたび国道1号を進み

また旧東海道を経て平塚駅まで歩き

東海道線に乗る

午後4時過ぎに帰宅する

足が痛い

晩ご飯はイナダの刺身とトマトとキュウリのサラダ

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天狗は神か?妖怪か?それとも超人か? 大雄山最乗寺

2015年09月15日 | ほぼ古代妄想

つづき → 蕎麦手繰って腹が満ちたので・・・最乗寺に向かう

石段が長々と続く

三門が見えてきた

大きい!とうか重厚だ


ここ大雄山最乗寺は曹洞宗の禅寺である

禅寺とは釈迦族の王子ゴータマの修行を追体験することで悟りを得るための修行の道場なのだ

いっぽうここは天狗を祀る神社としての道了尊とも呼ばれている場所でもある・・・のだが

他力に頼らぬ禅と神としての天狗の共存に違和感は無いか?

そこがずっと引っかかっていたのだ

それを探るために今日やってきたということだ

禅寺である最乗寺の伽藍は非常にすっきりとしているように見える

本堂があり書院があり僧堂がある ただそれだけだ

しかしその奥の秋海棠咲く小径を進むと・・・



仏教にはふさわしくない手水舎があり・・・



その先には天狗の国が待ち構えている

門の名前は「結界門」である


入り口を守っているのは左が大天狗で・・・右が小天狗 いわゆるカラス天狗だ


門の手間の太鼓橋から右手には滝を従えた不動堂があり・・・


さらにその手前には多宝塔がある


不動明王も多宝塔もどちらも仏教である証なのだが

それが返って天狗を祀ることの禅坊主たちの後ろめたさとも感じてしまうのだがどうか?

結界門を潜ると右手に奥院が見え・・・えっ?

げっ!こっ!これは! これを登るのか?


還暦間近の爺が息を切らせて登った先には天狗を祀る拝殿があった

神社である証拠に注連縄がある 

注連縄は両端まで同じ太さの神明風である


拝殿のまわりは奉納された下駄や葉団扇で真っ赤に彩られている

足がガクガクだ

少し休んで山を下りることにする

道の脇に咲いた秋銘菊が痛む足を癒してくれる


結局 禅寺と天狗とは?

禅の修行の果てに悟りを得た超人的な存在を象徴するものなのだろう

それを心細く暮らす庶民がいつしか神に仕立て上げてしまったのだろう

多くの神がそういうふうにして作られていくのだ

いくつになっても人間というものは甘えん坊なのだ

だが他人に頼って生きることは悪いことでは無いとも思う

いつの時代も我々庶民は支えあって身を寄せあって生きている

それしか出来ないのなら仕方がないことではないか?

帰りのバスのなかでそんなことを考えていたらすぐに終点に着いた

また大雄山線に乗って家路に着く

今夜のおかずは小田原揚がりのイナダの刺身に冷や奴とキュウリの糠漬け

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古い港で稲荷猫に出会う午後

2015年09月12日 | ほぼ古代妄想

つづき

新港から少し歩くと須賀港がある

ここがもともとの平塚漁港だ


          LUMIX GX1    G 14mm  Wide Converter DMW-GWC1


船が木造だった頃にもっとも大変だったのはフナクイムシの除去だった

フナクイムシと呼ばれているが実際には木に穴を開けて棲みつく貝なのだが

海水性なので淡水では生きていけない

だから昔の漁港は河口から入った淡水域に造られたのだ

この須賀港も川への入り口がある

ほら!あそこに・・・あれっ?赤い鳥居?


          LUMIX GX1    G 14mm  Wide Converter DMW-GWC1

鳥居に惹かれて近づいたらそこはちいさなお稲荷さんだった


          LUMIX GX1    G 14mm  Wide Converter DMW-GWC1


石段を登ると鳥居がふた手に別れている


          LUMIX GX1    G 14mm  Wide Converter DMW-GWC1

 

左は白笹稲荷で右は伏見稲荷となっている

右手奥には簡素な社がある


          LUMIX GX1    G 14mm  Wide Converter DMW-GWC1

稲荷は秦氏の氏神である

稲荷の神はキツネではない

稲荷の神は「ウカ」という名の食べ物を司る神である

そんなことを考えていたら後ろで「にゃぁ~ん」

おや?猫ちゃん?おとなしいね!


          LUMIX GX1    G 14mm  Wide Converter DMW-GWC1


ここはキツネじゃなくて猫が守ってるのかな?


          LUMIX GX1    G 14mm  Wide Converter DMW-GWC1

そういわれてみれば雅な顔をしてるね

また須賀漁港に戻って水の中を覗いてみたら・・・

ボラの子が群れ泳いでいた


                                     LUMIX GX1   G VARIO 45-150mm


今夜のおかずは秋刀魚の刺身と冷や奴

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加茂茄子を蕎麦に並べてマッドメンに見立てる朝

2015年07月29日 | ほぼ古代妄想

午前6時に起床する

熱帯夜続きで頭がボォ~ッとする

加茂茄子とピーマンを炒め煮にして布海苔蕎麦に並べる

これは酷い・・・あまりにも酷い・・・マッドメンに見立てるつもりだったのに・・・


パプアニューギニアのマッドメンと秋田のなまはげはルーツを同じくしている

さらにラピタ土器と縄文式土器と酷似しており単音の単語があるのも同じだ

そして我々日本人の濃い「すね毛」はメラネシアの血との繋がりを強く証している

我々はムーの末裔なのだ

良い風の吹く日には帆を張り

風の凪いだ日には船縁を叩いて櫂を漕ぎ

ちっぽけなカヌーだけで広大な太平洋を駆け巡ったムーの海人たちの

勇敢な魂が自堕落な私の中にも流れていると思うと少し心が湧き立ってくる

モカ・マタリを挽く

教室用に膠を炊く

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昨夜のおでんを最上早生蕎麦に並べる朝

2014年12月20日 | ほぼ古代妄想

午前8時に起床する

空が薄暗い  いまにも雨が降り出してきそうな空だ

昨夜のおでんの残りを茹でた最上早生蕎麦に乗せ汁を掛け回し柚子皮を飾る


翌日のおでんの本命は断然コンニャクだ  子供のころからそれは変わり無い

キシキシとした歯ごたえが堪らないのだ

コンニャクを喰うのは地球上では日本人と揚子江上流域に暮らす少数民族だけなのだが

冬になったら掘り起こし大事に仕舞っておかなければ凍って腐るコンニャクのことを知っていたら

われわれ日本人の先祖がどこからやってきたのかあれこれ考える必要などないことだと

中国のひとたちが「鬼肉」と気味悪がるコンニャクを齧りながら

大きな蒟蒻芋を抱きかかえ小舟で海を渡ってきた先祖たちの苦労を偲んでみる

モカ・マタリはドリップで濃い目

年賀状は出来た

自分用の膠を炊く

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