朝イチに T 画伯から電話「カメラ貸して!」「へっ?」
月末に始る那覇の個展用の作品を発送する前に撮っておくつもりが忘れたという・・・
珍しいことだ
いや!そろそろ我々も還暦の門が見える年齢になってきたということで
頭脳明晰な T 画伯もその例外では無いのだと感慨深く腕組みしていたら T 画伯がやってきた
プレスでいれたモカ・シダモを飲みながらしばし歓談
テレビの未来のことやら5月のグループ展のことやら・・・
午前11時過ぎ T 画伯は PENYAX K-5 持って荷造りと撮影のために仕事場に向かった
昼飯は蕎麦と豆腐
食後はモカ・シダモをドリップ 改源は飲まないでおく
午後2時になったので身体の回復具合を確かめるためにも少し歩くことにする
肩から LUMIX GX1にワイコン着けたG14mm で貧者のビオゴンを気取る
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日差しは強いが風は冷たい
冬枯れの野に冬鳥の姿は見えない
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あっ!ミモザ! 黄色いつぼみが膨らんでいる
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春はもうすぐだと思いながら歩いていたら倉見神社の前に着いていた
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明治2年に地域の神社を合祀して倉見大神と称し昭和18年に倉見神社と改称したらしい
祭神は倉見大神だというが拝殿に飾られた注連縄を見ればそうではないとすぐ判るはずだ
見よ!大蛇が交尾した姿を! 由緒正しき蛇神の社の証である
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この拝殿は平成4年に寒川神社の新造営をうけて譲り受けたものである
ちいさいものの古格を感じさせる姿だ
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拝殿の後ろには朱塗りの神殿がある
これは明治28年に寒川神社から移築されたもので町の重要文化財に指定されており
セキュリティシステムまで付けられているので近くに寄ることは出来ない
とはいいながら枯れ葉を踏みしめながらぎりぎりまで近づき・・・撮る カシャリ♪
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拝殿の大屋根のひさしに邪魔されて良く見えないが・・・
千木は縦にカットされた大社造りだが正面入り口が切妻側には無いのが判る
さらには大社造りならば朱塗りであることもおかしい
これは寒川神社の神殿も同じ造りとなっているのだ
やはり・・・確かにここには隠された神がいる
それはその神が今や悪者となった蘇我氏の神だからで誤解を恐れずに言えば?
蘇我=さが=寒河=寒川
蘇我氏の海の国=さがみのくに ・・・ということであり
たぶん蘇我という名称もその後に手を入れられているはずで・・・元々は?
諏訪の神=すわ=さ=そ
つまり蘇我氏とは「諏訪の神を祀る人々」のことであったはず
そして諏訪の神とは須佐之男命であり彼が天孫族がヤマトに入る以前の神だと知っていれば
蘇我氏が滅ぼされた本当の理由が判ってくる・・・と妄想していたらクシャミが出たので家に帰る
今夜は鶏団子と干し椎茸とニンジンとジャガイモとゴボウの煮物