ほぼ不定期日記

散歩ばかりしている男の嘘日記

亀ヶ池八幡は新築していた 昼飯は合成肉のカツ丼

2014年12月08日 | ほぼ古代妄想

相模原教室の前に亀ヶ池八幡に寄ってみる

夫婦銀杏は鮮やかな黄色に輝いている  今日は快晴だ


その奥の拝殿はいつの間にか新築されていた 良く通っているのに気付かなかった


八幡は和気の神である

日本中に散らばって古代の権力の移り変わりをおのずと表している


ひさしの裏には亀型の空気穴  なかなか可愛い意匠だね


稲荷社も新築されていたが鳥居から先は工事中でまだ入れない

手水舎は前のまま  手水の説明書きがクスリと笑わせてくれる


駐車場で昼飯とする

八幡のそばの三和で買ったソースカツ丼 284円とペットボトルのお茶


合成肉を齧ればソイレントグリーン気分

時間が来たので仕事場に向かう

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手水舎に筒井筒 蛇口あれこれ 長浜 神明社

2014年11月03日 | ほぼ古代妄想

琵琶湖の旅最後は雨

観光客で賑わう黒壁地区を離れて・・・


住宅街の露地裏をぶらぶら歩く


狭い露地の入り口に簡素な鉄製の鳥居を見つけた

道標には「神明神社表参道」と刻まれている


表参道を進むと石造りの鳥居が見えてきた  こじんまりとした神明社である

神明社であれば特に謎は無い

それでは手水舎は?と見れば・・・えっ!これは珍しい!


なんと井筒のかたちをしているではないか!  水は張られてない

 

初詣の頃には近隣のひとたちが集いここで手を浄めてから礼拝するのだろう

雅なかたちの水盤を見ていたら小林古径の「極楽井」を思い出し・・・

 

これも暮らしに寄り添うちいさな神社にはふさわしいものに思えてきて そうしたら・・・

なんだか長浜に引っ越したくなってきた

黒壁地区に戻る

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大島の日々神社を訪ねて蛇神族の痕跡を探る

2014年09月30日 | ほぼ古代妄想

日差しが強い

木陰を見つけて車を停めたら猫に睨まれた


                                    LUMIX GX1   G VARIO 45-150mm

ここは相模原市大島の日々神社である


                                    LUMIX GX1     G14mm  Wide Converter

横を通りかかるたびに気になっていた場所だ

閑静な住宅街のなかにこんもり盛り上がった緑に包まれている

金属製の鳥居を潜ると左手に天神社 右手に手水舎がある


                                    LUMIX GX1     G14mm  Wide Converter

 

蛇口は・・・ほほぉ~!面白い! 竹で中国龍を模している

枝の角がなんとも可愛い  地元の方々に愛されている神社だということが良く判る


                                    LUMIX GX1     G14mm  Wide Converter

 

手水の作法の説明イラストはホワイトベースの「ミライさん」タイプである


                                    LUMIX GX1     G14mm  Wide Converter

 

日々神社の主神はイザナギとイザナミだ

拝殿は当然ながら神明造りになっていて


                                    LUMIX GX1     G14mm  Wide Converter

 

拝殿の後ろの神殿が珍しいことに丸見えになっている  そしてこれも当然ながら神明造りだ


                                    LUMIX GX1     G14mm  Wide Converter


そしてここからが本題

さらに神殿の横を抜けてぐるりと裏に回り込めば・・・

やっぱりあった!蛇神! 大国主ことオホナムチである

蛇神仕様の注連縄だ 大蛇が交尾している

神殿の真後ろにひっそりと祀られて・・・というよりも封じ込められている


                                    LUMIX GX1     G14mm  Wide Converter


旧くは村社であったという日々神社の消された歴史が垣間見えてくるではないか


我々はおおむね蛇神族であった

そこへ日向から天孫族がやってきた

蛇神は攻め滅ぼされる代わりに封じ込められることを選んだ

今もオホナムチは出雲に封じ込められている

日々神社の建っているこの河岸段丘を降りると鏡の滝があり

祭事には神輿がその鏡の滝に渡御するのだと説明看板に書いてある

滝を見てみたいが時間が無いので次の機会にする

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厳島湿生公園に寄ってから秦野の出雲大社を訪ねる

2014年09月19日 | ほぼ古代妄想

東雲で蕎麦を手繰ったので今度はかねてより訪れたかった出雲大社を目指してみたが

急にカワセミに会いたくなったので・・・その前に中井の厳島湿生公園に寄ってみた

キキキキキキキ♪ さっそくカワセミの甲高い鳴き声が聞こえてきた

 


                              LUMIX GX1 G14mm Wide Convereter

どこにいるんだろう?

あ! いたいた!あんなところに!


                              LUMIX GX1 G VARIO45-200mm Optical Tele Converter


湧き水の池ではギンヤンマが産卵していた


                              LUMIX GX1 G VARIO45-200mm Optical Tele Converter


木道をぐるっとまわって・・・そろそろ出雲大社に行くか

また秦野に戻り出雲大社の駐車場に車を停めて平らな参道を進む

島根の出雲大社の参道は下り坂になっている

それこそが征服された神「オホナムチ」を祀り封じ込める墓所としての証なのだが

明治になってから分祀された相模の出雲大社ではそうなっていないのは

わざとなのか?それとも記憶は失われてしまったのか?

まあ・・・どっちでもイイや!と顔をあげたら拝殿が見えた

この太い注連縄のスタイルは他所には無いものだ


                              LUMIX GX1 G14mm Wide Convereter


オホナムチとは大穴虫のことでつまり巨大なマムシ・・・これは大蛇の象徴である

そして攻め滅ぼされる代わりに封じ込められることを選んだオホナムチの社のそばには

必ず見張り役として海神族の神であるスサノオが祀られているのだ

ここにもほら! 御嶽神社と八坂神社


                              LUMIX GX1 G14mm Wide Convereter

 

島根の出雲大社の近くにも熊野神社があり出雲国の一之宮として出雲大社を従えている

そういえば蛇神を祀る一族の末裔と太陽神を祀る一族が結婚するのはそろそろか?


いつの間にか縁結びの神に落ちぶれ果てた蛇神オホナムチの出雲大社

おみくじを結ぶ木はハート形になっていた


                              LUMIX GX1 G14mm Wide Convereter


熱っぽさが増してきたので家路に着く

今夜はナスと厚揚げのトムヤムクンスープ煮とトマト

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蘇我の海の国の神の残骸を倉見神社に探す午後

2014年01月19日 | ほぼ古代妄想

朝イチに T 画伯から電話「カメラ貸して!」「へっ?」

月末に始る那覇の個展用の作品を発送する前に撮っておくつもりが忘れたという・・・

珍しいことだ

いや!そろそろ我々も還暦の門が見える年齢になってきたということで

頭脳明晰な T 画伯もその例外では無いのだと感慨深く腕組みしていたら T 画伯がやってきた

プレスでいれたモカ・シダモを飲みながらしばし歓談 

テレビの未来のことやら5月のグループ展のことやら・・・

午前11時過ぎ T 画伯は PENYAX K-5 持って荷造りと撮影のために仕事場に向かった

昼飯は蕎麦と豆腐

食後はモカ・シダモをドリップ 改源は飲まないでおく

午後2時になったので身体の回復具合を確かめるためにも少し歩くことにする

肩から LUMIX GX1にワイコン着けたG14mm で貧者のビオゴンを気取る

 

日差しは強いが風は冷たい

冬枯れの野に冬鳥の姿は見えない

 

あっ!ミモザ! 黄色いつぼみが膨らんでいる

 

春はもうすぐだと思いながら歩いていたら倉見神社の前に着いていた

 

明治2年に地域の神社を合祀して倉見大神と称し昭和18年に倉見神社と改称したらしい

祭神は倉見大神だというが拝殿に飾られた注連縄を見ればそうではないとすぐ判るはずだ

見よ!大蛇が交尾した姿を! 由緒正しき蛇神の社の証である

 

この拝殿は平成4年に寒川神社の新造営をうけて譲り受けたものである

ちいさいものの古格を感じさせる姿だ

 

拝殿の後ろには朱塗りの神殿がある

これは明治28年に寒川神社から移築されたもので町の重要文化財に指定されており

セキュリティシステムまで付けられているので近くに寄ることは出来ない

とはいいながら枯れ葉を踏みしめながらぎりぎりまで近づき・・・撮る カシャリ♪

 

拝殿の大屋根のひさしに邪魔されて良く見えないが・・・

千木は縦にカットされた大社造りだが正面入り口が切妻側には無いのが判る

さらには大社造りならば朱塗りであることもおかしい

これは寒川神社の神殿も同じ造りとなっているのだ

やはり・・・確かにここには隠された神がいる

それはその神が今や悪者となった蘇我氏の神だからで誤解を恐れずに言えば?

蘇我=さが=寒河=寒川

蘇我氏の海の国=さがみのくに ・・・ということであり

たぶん蘇我という名称もその後に手を入れられているはずで・・・元々は?

諏訪の神=すわ=さ=そ 

つまり蘇我氏とは「諏訪の神を祀る人々」のことであったはず

そして諏訪の神とは須佐之男命であり彼が天孫族がヤマトに入る以前の神だと知っていれば

蘇我氏が滅ぼされた本当の理由が判ってくる・・・と妄想していたらクシャミが出たので家に帰る

 

今夜は鶏団子と干し椎茸とニンジンとジャガイモとゴボウの煮物

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三島大社を訪ねて福兵衛餅を喰う午後

2013年10月18日 | ほぼ古代妄想

三島の街の水路をさまよう前に三島大社に表敬訪問と洒落てみる

名前に島がある三柱の女神を祀っているので三島と呼ばれているのだが

要はどの女神も湧き水の守り神だとすれば三島大社がこの場所にあるのが良く判ると

そんなことを思いながら大社の副社である浦島神社のほうから入る

湧き水に囲まれた浦島神社の姿に昔の三島社を重ねてみる

 

そこから正面入り口に回り込みあらためて大鳥居をくぐり進めば惣門が見えてくる

太くて長い注連縄を飾り三島の神が蛇神族であることを高らかに誇っている

注連縄とは雌雄の蛇が絡み合って交尾している様を表したものである

 

われわれはおおむね蛇神族の末裔である

知らぬ者は知っておくべきだ

 

さらに進むと左手に手水舎 右手に神馬舎がある 

その奥にまた神門が待っている

 

神門をくぐると舞殿が現れる

 

舞台殿の右手には樹齢1200年の金木犀がある

天然記念物に指定されている

巨大なのと老樹ゆえのねじれ具合がこの木をキンモクセイに見せないが

花咲く頃には判るのだろうと考えてさらに進む

 

舞台殿の奥に拝殿がある

重要文化財に指定されている重厚な構えだ

 

拝殿にも蛇神族たる証の注連縄が飾られている

 

 

どの建物も江戸時代の作りに違いない

はるか昔の三島の杜に想いをはせながら宝物殿に入る

 

宝物殿の後ろには囲いがあり神鹿が飼われているのだが

 

どの鹿も気怠そうだった

 

昼飯を喰うところが見つからないので茶屋で餅を喰うことにした

名物だと言う福兵衛餅とお茶のセットが200円也 安い!美味い!

そして餡と餅でお多福を模してあるのも楽しい

 

名高き三島大社は詣でた

さて駅前に戻り水路めぐりを始めようか

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高麗神社を訪ねて若光の面影を妄想する

2013年06月22日 | ほぼ古代妄想

せっかく越生に来たのだから帰る途中にある高麗神社を訪ねることにした

入り口には日韓国交正常化40周年記念に贈られた石造りのトーテムが建っている

 

高麗神社には高麗の王族である若光が祀られている

大磯に上陸した若光の一族は勅許により北上しここ高麗の地に定着した

今も高麗王の系譜は続いている

私の友人の奥方は高麗王の末裔でそれを物語るように雅な顔立ちである

 

トーテムの先には鳥居がありその前には茅の輪くぐりが設えてある

これより神域である

 

鳥居を潜ると手水舎が建っている

蛇口はよくある中華龍型だ

手水の作法の説明イラストはこれもよくある絵本風のものだ

 

石畳を進むと石段の上に門があり・・・

 

門を潜ると拝殿がある

当然ながら大蛇を模した注連縄は無い

ここは海人族の神の社でもなければそれを侵し受け継いだ天孫族のそれでもないからだ

 

拝殿と神殿の後ろには高麗の家が公開されている

家の造りは半島風ではなくて列島風だった

郷に入りては郷に従えということだろう

 

社務所の前には3年後に開催される「高麗郡1300年祭」のゆるキャラが飾られている

出来はイマイチである

 

おだやかな人柄で慕われたという高麗王若光は殖産と農地開拓を奨励し後に神となった

 

征服され殺された大国主の怨霊を陽の沈む地に封じたのが出雲大社であり

万能の天才だった菅原道真を恐れて造ったのが天満宮であるのだが

この列島由来の神のほとんどがそうした祟り神であるのに対して

大陸の神は我が身に利益を与えてくれる存在として祀られるのが大きな違いだろう

 

夕暮れる前に家路に着く

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河岸段丘沿いを神社めぐりする午後その2・腰掛神社

2013年02月17日 | ほぼ古代妄想

宇都母知神社を離れて小出川を渡り河岸段丘を登ると腰掛神社がある

 

なぜ河岸段丘沿いの神社にこだわるのかを聞きたくも無いのにあえて説明すれば

明治までは輸送手段と言えば水運が主力であったのはいうまでも無いことで

古代にいたっては水運しかなかったといって良いくらいで

さらにいえばそれは時に荒れ狂って計算出来ない海ではなくて川だったとすれば

自然に出来た曲がりくねった川を土木技術で真っ直ぐにしたうえに

重い荷を乗せた舟を両岸から曳くための土手も作ったのが古代の人たちならば

そういう運河だった川の警備や管理をする拠点も必要だったことが判るし

その集落にはそこに住む人たちが頼りにした神が祀ってあるのは当然だし

海老名に貴日土神社という名の吉備の人たちの神が祀られているのも知れば

意外なほど遠くのクニから派遣されていたのも判り そうなると意外なほどに

我々が考えるよりもダイナミックに動いていたのが判って面白いからだと言っておく

 

ところで腰掛神社である

ここはヤマトタケルが腰掛けた岩があることで有名なのだが それは少し置いておいて・・・

 

手前にある石造りの神明風鳥居の奥には厳島様の足付き鳥居が立てられているのが目を引く

つまりここは海人族の神が祀られているのだと主張しているのだが?あれ?

 

鳥居に掛けられている注連縄が蛇状ではないのを気にしながら奥へ進む

 

拝殿の造りも海人族系を伺わせるのだが注連縄は鳥居のと同じく神明風だ

 

釈然としないので拝殿の脇に回り込んでみたら名前を隠した神が祀られていた

神明風注連縄で結界されたふたつの神の名前が知りたいのに書いていない

封じ込められた旧い神は誰なのだろう?

 

いわゆる「腰掛け石」にはお賽銭とおひねりが供えられている

 

磐座(いわくら)には神が降臨することになっている

例えば諏訪の神が磐座に降り立って田植えする時を教えるのがスワクラ=桜だろう

ではヤマトタケルは何の目的でこの地に降り立ったのか?

ここに座ったヤマトタケルは雄略なのか?

そういえば雄略の名前はワカタケルだったはずだが?

寒川神も大庭の神も雄略もヤマトタケルなのか?

そうすると雄略が悪名高いのはなぜなのか?

あ~楽しい!

いや!「タケルのミコト」とは猛々しい将軍の総称と考えるほうが自然なのかもしれないぞ

もうイイや

 

わざと隠された古代の記憶のように薄暗い神域を出たら椿が鮮やかに咲いていた

 

明るいうちに家に帰ろう

 

今夜はジャガイモの味噌汁と小松菜とお揚げさんの炊いたンと鯖の塩焼き

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河岸段丘沿いを神社めぐりする午後その1・宇都母知神社

2013年02月17日 | ほぼ古代妄想

かねてより訪ねたいと思っていた宇都母知神社に行ってみる

ここは小出川上流の獺郷という場所を見下ろす河岸段丘の上

風は冷たいが空は晴れている

 

神社の入り口に立って左を向くと真っ白な富士が見える

 

さらにそばには丹沢連峰と大山が眺められる

西の空が霞んでいるのは春のせいではなくて中国からの汚染物質だろう

 

鳥居を潜って40歩ほどで拝殿前に出る

拝殿の千木や鰹木は神明造りに準じているようにも見える

拝殿の横には定石通りに菅原神社と稲荷社が付け足されている

 

石碑には天照大神を主神とすると書いてあるが

元は養蚕の神である稚産霊神がそうだったのだろう

当然注連縄は無い

蛇神を主神とする相模國の一之宮である寒川神社とは違うのが面白い

ちなみに寒川神社には巨大な蛇の注連縄が飾られている

 

後に建てられたであろう鐘楼は明治になる前はここが寺だった証だ

 

あにゃぁ~♪

あれっ! 三毛猫~♪

 

こっちから違う猫が恐がりもせずに寄ってきた

どなたかに餌をもらっているのだろうか?

 

いちゃいちゃし始めたので移動しよう

 

次は対岸の腰掛神社を目指す

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卑弥呼幻想と辛子茸茄子胡瓜霙蕎麦とグレコ坂と

2012年08月19日 | ほぼ古代妄想

今日でお盆休みが終わるというのにパネルに和紙を張っただけではまずいだろうと

朝飯喰った後に地塗りくらいはしておこうと思って膠を炊いてみたけれど

うっかりした色で地塗りして取り返しのつかないことになっても困るので

まずは気持ちを落ち着かせて段取りするかと豆を挽いてモカを飲んだものの

仕上がりのコントラストを強めにするのか弱めにするのか決め切れず

もうイッ杯モカ挽いて飲んで考えているうちに昼飯時が来たので蕎麦を茹でて冷やしたのを

樹海の帰りに買った油滴の器に盛りつけてワサビを溶かした蕎麦汁を回しかけた上に

短冊切りにして塩揉みにした茄子をイタダいた秋田土産の辛子キノコで和えたのをドサリと乗せ

おろした胡瓜に酢を混ぜて作ったミゾレを天盛りにして櫛形切りにした金太郎トマトを飾る

 

イタダいた秋田土産のキノコの辛子和えは応用範囲が多そうな食材だ

あちらではどのようにして料理に使っているのか?知りたくなって来た

 

春からずっと頭の中に居座っている絵があって

ひとつは急傾斜の山肌に引き延ばされたように登っていく山道の風景画で

これは今までも何度か描いたことがある絵柄なのだが

自分で勝手に「グレコ坂」と名付けているシリーズで

もうひとつは古代の姫巫女の肖像画と言えば良いのだろうか

姫巫女というのは卑弥呼でも姫御子でも良いのだが 要は・・・

ゆらめく篝火に浮かび上がりながら倍音を含んだ声で歌う少女の姿で つまり・・・

魏志東夷伝倭人の条にある「能く衆を惑わす」という卑弥呼が用いた「鬼道」というものが

念入りに選ばれた少女たちの歌とダンスのライブであったという自分勝手な古代妄想が膨らみ

それが喀血のように胸の中から喉を通って吐き出されてくるのを抑え切れなくなっているからで

そんなものを見せられる人は堪ったものではないかもしれないが

内なるモノが外に吹き出すのが芸術表現ならば仕方無い というか・・・

申し訳ないとしか言いようが無いと描く前から謝っておいてまたコーヒーを挽いて飲む午後

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