年齢は50代半ば、父母と三人暮らしであったが、10年ほど前に両親共に他界し、現在は一人暮らし。コロナ渦で仕事が減り、自宅に籠る日が多くなった。 夏の訪れを感じさせるほどの好天気が続くせいか、返って寂しい気持ちになる。電話をすると幾分気が紛れる。家は静かである。また、家の前の通りには、人の往来はほとんどない。部屋の網戸の外から静かな風が、庭の木の葉の香りを運んでくる。
若い頃は、静かな流れの川に石を投げれば、幾重にも広がる水面の波紋のように希望や夢が広がっていた。その希望やら夢は、具体的に緻密に計画されたものではない。漠然としたものであった。現在は空々寂々な人生を歩んでしまったという若い頃には感じたことのない気持ちでいる。小学生の頃、テレビでよく聴いた森田公一&トップギャランのヒット曲の「青春時代」(阿久悠作詞)の一節が胸に突き刺さる。「青春時代が夢なんて後からほのぼの思うもの、青春時代の真ん中は道に迷っているばかり(胸にトゲ刺すことばかり)」自分は10代後半あたりから音楽に夢中であった。しかし、その音楽でどのように生計を立てていくのか、それだけの能力があるのかを深く考えていなかった。というよりも、考える能力もなく、考えることの恐怖心もあったのだと思う。ただ、根拠のない自負心だけがあった。友人達のように定職につき、結婚をし家族がいることに羨望心を抱くこともなかった。凡人との交流を持ち、凡庸な人生を歩むことへの嫌悪感を持つほどのおこがましさである。その頃、積極的に先生について学んだり、自分から目的を同じくする友人と付き合い切磋琢磨することもしなかった。これではどうしようもないと振り返って思う。