「勝ち組・負け組」という言葉をよく耳にするが、両者の判断基準は、「経済的裕福さか」あるいは「名声を勝ち取ったか」なのか?
私は「心が満たされているかどうか」だとこの映画を観て思った。なので、主観的なもので、他人にはわからないものであるとも思う。「人からどう思われているかということと、自分が楽しんで生きていくこととは何の関係もない。」これは、心理学者のアルフレッド・アドラーの言葉である。
以前、カウンセラーの方に「リフレーミング」の効果について話を聞いたことがある。困難な状況に陥ったときに、その状況を別の角度から考え、良い出来事に繋がるように思考の枠組みを再構築するというものである。
「人間って、なかなか死なないもんだなぁ・・・」という言葉は、繁栄丸船長・武智三繁氏が、たった一人太平洋で遭難し、37日間漂流後救助された時の言葉だと記憶している。漂流者が飢えや渇きで倒れるのは、生理的欠乏そのものよりも、むしろ、欠乏に対する恐怖からのせいであり、負けたと思った時から敗北が始まる。というのを聞いたことがある。武智氏も、リフレーミングを行なっていたのだろう。「究極の孤独感」の先に待ち受けているのは、「絶望感」であると思うが、武智氏は、そういう考えではなかったようだ。(詳しくは「あきらめたから 生きられた(小学館)参照)
話は長くなったが、この映画は、俳優として、一人の人間として行き詰まりを感じていた俳優イーサン・ホークが、ピアニストのシーモア・バーンスタイン(当時84歳)と夕食会で出会い、生き方・考え方を見直し救われるきっかけとなったことで、シーモアのドキュメンタリー映画を撮ることになったのである。
シーモア・バーンスタインは、アメリカで若い頃からピアニストとして名声を築くが、50歳で演奏活動をやめてしまうのである。それは、自分の音楽活動を音楽を深く追求することに捧げたいという希望からである。経済的裕福さ、名声を勝ち取ることを人生の目標にすることへの虚しさを感じさせてくれる映画であった。50代半ばの空々寂々たる人生を歩み、孤独感で打ちひしがれている自分に、優しく背中を押してくれる映画でもあった。
最後に、この映画の公式ホームページの冒頭部分をそのまま書かせて頂く。
「悲しみの音色はいずれ、美しいハーモニーになる。自分の心と向き合うこと、シンプルに生きること、成功したい気持ちを手放すこと。積み重ねることで、人生は充実する。」