銃の乱射事件の場面や、その事件で妻を亡くしたバリーが、PTSDになり精神障害者になって幻覚・幻聴といった症状が出る場面もあり、ショッキングでシュールレアリスティックな作品であるが、「本当のやさしさ」と「幸せとは何か」を伝えてくれる映画だと感じた。私も月並みのやさしさは持ち合わせていると思っているが、それはエゴイスティックにうっすらコーティングされたぐらいのやさしさで、挙げ句の果てには見返りまで期待するものである。
過激トークで人気絶頂のラジオ番組の司会者ジャックが、ある日、彼の不用意な発言がきっかけで、銃の乱射事件が起き、地位も名誉も失ってしまう。その後、ジャックはホームレスのバリーと出会うが、その事件で妻を失ったことを知った。そして、ジャックは彼のために力になりたいと考えるようになる。
この映画を観ていると、ジャックという人物に注目してしまう。
彼は自己顕示欲、自尊心、優越意識が高い。だが、それだけでなく、それなりのやさしさも備え持っている。彼が直接事件を起こしたわけでもないのだが、自責の念を感じている。その気持ちから、バリーの力になりたいと思い色々行動する。自分には関係ないと言い張ることもできるのだが・・・。
この事件後、職を失い、失意のどん底にいるときの独り言で「この世の人間には2種類あり、ウォルトディズニーのように偉人となる運命を背負った者と、それ以外は出来損ないの役立たず者だ。」という言葉を語るシーンがある。彼の幸福感というのは、定性的ではあるが、「社会的成功」「経済的成功」といったことで充足されるものだったのだろう。
映画のラスト近くで、大事なシーンがある。
バリーが意識不明で入院している病院に、ジャックが聖杯を持って面会に行く。(この聖杯は、バリーが欲しがっていた億万長者の屋敷にあるもので、犯罪を犯すことに躊躇いがあるが、盗み、届けるのである。この聖杯は人の傷を癒すが、権力や栄光に執心する人間には無意味なものである。)
ジャックがバリーに背を向けて同じベッドに横になっていると、バリーの意識が回復し、バリーは上半身の体を起こし、眠っていると思ったジャックに向かって、やさしい言葉を投げ掛ける。
これによって、ジャックは人生で大事なものは何かを知る。そして、このシーンを観た後、もう一度この映画を観直すと、バリーのジャックに対するやさしい気遣いが、よくわかった。間接的にではあるが、ジャックのラジオ番組中の発言が事件の引き金になってしまった。自分のせいで事件の被害者に人生の不幸をもたらしてしまったという自責の念で辛い気持ちでいるジャックの気持ちを慮ってのことであろう。心温まる映画であった。
ただ、もともと銃乱射事件が元で妻を亡くしたという事実は残り、完全なハッピーエンドとは言えない。なので、最後のシーンで花火が打ち上がる映像など、コメディータッチで描かれるのには、些か違和感を感じた。
1991年 監督:テリーギリアム 出演:ロビン・ウィリアムス、ジェフ・ブリッジス
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