微妙

散乱する言の葉

皇室メモ5(自衛隊・宮中祭祀ほか)

2015年03月10日 18時10分16秒 | 皇室
潮匡人の自衛隊観はよくわからないが、「天皇・皇后両陛下は自衛官の制服がお嫌い」といふ証拠はない、といふことで転載。
(両陛下は「制服が」ではなく「自衛隊が」お嫌ひだといふことにして=拡大解釈して批判してゐる自称愛国者もゐるが、さうでもないらしいといふことで。)
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潮 匡人(評論家)
政府専用機搭乗自衛官への御言葉

 平成五年の出来事である。日本を代表する週刊誌がトップ記事に次の見出しを掲げた。

 「天皇・皇后両陛下は自衛官の制服がお嫌い」

 当時、私は現役の航空自衛官(制服組)であった。立憲君主制の我が国において、事実上の軍隊である自衛隊は、本来、皇軍たるべき武力集団である。軍人にとって制服は誇りの象徴でもある。もし、記事が事実なら、存在意義が疑われよう。

 記事は、訪欧から御帰国された両陛下を、当時の空幕長が背広姿で出迎えた経緯を取り上げていた。空幕長に制服を脱がせたのは誰か。真相は藪の中だが、両陛下が制服を「お嫌い」との証拠は記事中になかった。

 以降も、両陛下は政府専用機に御搭乗されてきた。政府専用機は航空自衛隊が運航している。平成五年当時も、専用機に搭乗していた航空自衛官は階級を問わず、両陛下から、ありがたい慰労の御言葉を頂戴してきた。右記事を事実と受け止めた航空自衛官を、私は一人も知らない。

 天皇・皇后両陛下の御聖徳に全自衛官が感謝申し上げている。私もその一人である。

 蛇足ながら、平成十年の私事も明かそう。当時、私は某全国紙で匿名コラムを連載していた。ある日、編集担当記者から電話が掛ってきた。

 「実は、宮内庁から社の幹部に問い合わせがありました。あのコラムを書いたのは、どのような人物か。お上がお知りになりたいそうです。会社としては、潮さんに異存がなければ、今回は例外として筆者を明かしても構いません。どうしますか」

 もちろん異存などあるはずもない。かくして匿名ルールは破られ、愚生の名前が奥に達した(と伝え聞く)。ちなみに、当該某紙は、全国紙の中で最も保守的な論調を掲げる。

 もし、天皇陛下が自衛官の制服も、保守思想も「お嫌い」なら、拙文が陛下の目に留まることなどなかったはずだ。もとより陛下のお気持ちは伺う術もない。いかなる御感想を持たれたのかも推測の域を出ない。ただ、陛下が、凡百の新聞人や言論人の及びもつかない〝読み手〟であられることは容易に推知できる。

 かつて田恆存は「言論は空しい」と書いた。〝書き手〟が共有する思いであろう。正直、私も例外でないが、そう嘆くことは不遜に過ぎよう。活字は後世に残る。本来、それだけで知足すべきだが、加えて私は、平成の御代に、書くことの意義を与えられた。恐懼に堪えない。

自衛隊10万人体制と、陛下の御下問 ( 軍事 ) - 蘇る日本! 日本を良くすることができるのは、わたしたち日本人です - Yahoo!ブログ

ところで、3月16日の、天皇陛下のビデオメッセージで
自衛隊などが危険な状況の中で日夜救済活動を進めている努力に感謝し
労をねぎらうとの御言葉があった。

自衛官から
「ありがたく歓喜に至ります」「何よりの励みです」と、声が寄せられた。

また、その後、陛下より自衛官に対し
「足りない物はないか」「困っていることはないか」
といった御下問があった
といい、
いくつかの項目に記入したというあるベテラン自衛官は、
「書く手がぶるぶると震え、我知らず涙が出ました。」
と、語ってくれた。
(※「日本会議」の『日本の息吹』・桜林美佐の記事とのこと)

あなたの中の天皇陛下のイメージが変わる、33の厳選エピソード - ViRATES [バイレーツ]

■イラク派遣隊員らをねぎらう(2006年12月)
テロ対策特措法とイラク人道復興支援特措法に基づいて派遣された自衛隊員ら約180人を、皇居・宮殿に招いた。「国際的な協力に参加し力を尽くしてこられたことを、誠にご苦労に思います」とねぎらいの言葉をかけた。

■アメリカ同時多発テロ事件(2001年)
駐日アメリカ大使を通じてブッシュ大統領にお見舞いの言葉を送った。天災以外の理由で外国にお見舞いの言葉をおくったのは前例のないことだった。
それについて「皇室は前例を重んじなければなりませんが、その前例の中には前例がないにもかかわらずなされたものもあります。皇室も伝統を重んじつつ、時代の流れに柔軟に対応しなければならないと思います」と説明している。

■明治天皇へ直訴を行った田中正造の出身地へ(2014年5月)
足尾銅山からの鉱毒被害の拡大を防ぐために設けられた渡良瀬遊水地や、鉱毒被害を告発した田中正造の出身地、佐野市をめぐった。田中正造は、1901年12月10日に鉱毒事件について明治天皇に命がけで直訴を行い、警官に取り押さえられ叶わなかった。両陛下は佐野市の市郷土博物館で直訴状の実物を見学され、明治天皇の時代から実に113年後に田中正造の直訴状が陛下の元に届くこととなった。

■天皇の役割は時代とともに変わっていく(1998年12月)
「日本国憲法で、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると規定されています。この規定と、国民の幸せを常に願っていた天皇の歴史に思いを致し、国と国民のために尽くすことが天皇の務めであると思っています。天皇の活動の在り方は、時代とともに急激に変わるものではありませんが、時代とともに変わっていく部分もあることは事実です」
誕生日に際する記者会見にて

88010401b「昭和天皇御製2」
 
 昭和四十六年

 「欧州の旅(伊勢神宮参拝)」
 外国トツクニの旅やすらけくあらしめと けふは来ていのる五十鈴の宮に
 
 「前同(前同所感)」
 戦をとどめえざりしくちをしさ ななそぢになる今もなほおもふ
 
 「前同」
 戦果ててみそとせ近きになほうらむ 人あるをわれはおもひかなしむ
 
 「前同」
 さはあれど多くの人はあたたかく むかへくれしをうれしと思ふ
 
 「前同」
 戦にいたでをうけし諸人の うらむをおもひ深くつつしむ
 
 「前同 ワーテルローのパノラマを見て」
 戦の烈しきさまをしのびつつ パノラマみれば胸せまりくる
 
 「前同」
 時しもあれ王室の方の示されし あつきなさけをうれしとぞ思ふ
 
 「前同」
 戦ひて共にいたつきし人々は あつくもわれらをむかへくれける



きのせみかの大和撫子な生活:官僚によって簡略化される宮中祭祀
「天皇陛下の祈り」の崇高な精神性こそ余人をもって代え難い│NEWSポストセブン

2012.02.11 07:00

 天皇が執り行なう重要な儀式に宮中祭祀がある。神々に感謝の祈りを捧げ、国家国民の安寧と平和を祈るものだが、その詳細は秘儀中の秘儀とされ、広く国民の目に触れることはない。その内容について、ジャーナリストの山村明義氏が解説する。

 * * *
「天皇の祈り」の存続が危惧されている。

 GHQの7年近い占領下を経た戦後、宮内庁によって宮中祭祀の「簡略化」が度重ねて実施されてきた。

 事実、昭和天皇の時代から「ご高齢・ご健康への配慮」「政教分離違反の疑い」などという名目の下、徐々に宮中祭祀の回数が減らされてきた。

 例えば、昭和43年の入江相政侍従長時代に、毎月1回は御親拝により行なわれていた「旬祭」が削減された。この旬祭は本来、毎月1日、11日、21日に行なわれるが、平成21年からは5月と10月の1日のみの御親拝に変更された。

 回数だけではない。昭和50年には、浄衣をまとった侍従を宮中三殿に遣わし、天皇陛下に代わって行なっていた「毎朝御代拝」を、モーニング姿で賢所の階段下の前庭で一拝する拝礼に改変。また、近年では皇太子など皇族の代拝も、侍従から掌典次長に変えられたことがある。

 これらの祭儀の「簡略化」が天皇陛下のご意志に沿って行なわれていたかといえば、かなり疑問である。元側近らの証言からすると、昭和天皇も今上天皇も、強いご決意をもって宮中祭祀にのぞまれていたことは、明らかだからだ。

 何より、「簡略化」の最大の問題は、「天皇陛下のまつり」の本来の意義を宮内庁の官僚たちが理解しないままに回数を減らしたり、祭祀の中身を変えているのではないかという懸念があることだ。

 一方で、昨年までのご公務の日数は逆に増えている事実もある。「陛下のご負担軽減」を訴えながら、宮中祭祀の親祭だけを減らしたことは、「天皇(日本)の精神性の軽視」と指摘されても仕方が無い。

 それでも先の高谷元内掌典は、こう語っている。

「たとえ陛下が(賢所での)御拝を減らされあそばされても、お仕えさせて戴いた私共には、陛下が同じようにお祈りされているのがわかるのです。宮中祭祀は未来永劫、粛々と行なわれるものなのです」

 事実、東日本大震災の被災地への御行幸や、宮中祭祀での数々の天皇陛下の祈りが、震災で大きな苦難に陥った日本国民に対し、強い勇気と鼓舞を与えた。いかに周囲が止めようと、日本と日本人を守ろうとする「天皇陛下の祈り」の崇高なる精神性こそ、余人をもって代え難い。日本の歴史と伝統が綿々と続き、永遠に変わることはないはずの宮中祭祀の精神性を変えることだけは決して許されない。

※SAPIO2012年2月22日号

『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』は未読だし、以下の事実も未確認なれど、今上天皇が元に戻されたのに、再度宮内庁側が減らした(又は簡略化した)のだらうか。
日本人と祭祀への信 ( 祭りと伝統 ) – 日本の感性をよみがえらせよう – Yahoo!ブログ

 平成の御代、天皇陛下は昭和天皇がご高齢のため制限された祭祀をすべて元に戻して継承された。「おそらく、歴代天皇の中でも特に真面目になさっていると渡辺允前侍従長は証言している。

 最近ある人から、今上陛下は石清水八幡宮に金銀の幣帛を納められたと聞いた。歴代天皇が、石清水八幡宮に幣帛を納められることはよくあるそうである。しかし金銀の幣帛を納められたことは、歴史上三回しかないという。一回目は蒙古襲来の時であり、二回目は、幕末において孝明天皇が納められた。そして今回が三回目だという。今上陛下がいかに現代の日本に危機を感じておられるかが、ひしひしと伝わってくるようである。

Amazon.co.jp: 天皇の祈りはなぜ簡略化されたかの 教会の丁稚さんのレビュー


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