S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

人間的であるということ。

2008-04-24 16:18:12 | Weblog
何度行っても、あの裁判所の法廷の雰囲気に慣れることは無理だろう。
そのくらいあの空間は非日常的で、重苦しく、異様な空間だ。

詩人の石原吉郎はシベリア抑留9年という苛酷な経験を持つ人だけれど、彼の書いた文章のなかに「人が人を裁くということは、裁く側の人間は限りなく非人間的であり、裁かれる人間は限りなく人間的である」
という文章があったけれど、本当にそのことを身をもって感じることができる。


息子の担当の検察は3月で転勤になり、いきなり論告求刑で出てきた検察官は違う人だった。
引継ぎをきちんとしているのかさえ、疑問になるほど、検察の主張は一般的でマニュアルをそのまま読み上げたようなものだった。

弁護士さんの弁論は本当に完璧だった。
よくここまできちんと書いてくださったと頭が下がる思いがした。
血の通った人間らしい弁論で、聞いていて胸を打った。

最後に意見陳述をした息子の言ったことも心にとても響いた。
「わたしはこの裁判で真実をのべてきました。そして裁判官は一般通念で、判断してくださると最初におっしゃってくれました。
わたしは、彼女を助けられることは助けて、誠実に交際してきました。その日まで、仲良く交際していたその夜のメールで、いさかいしたことに国家権力が介入して、、ストーカー行為になり、それが有罪になるのだったら、普通に交際しているカップルは愛情を育てていくことさえできなくなります。」

という主旨のことを息子は誠実に裁判官に向かって述べました。


本当にそう思います。
なんでも法のもとで、罰することができるのなら、普通に暮らしていけない国になると思います。

そして息子のような思いをする人が二度と出てきてはいけないと思います。

判決は5月中旬です。

私たち家族はなんとながい日々をこんな重たい気持ちを背負っていかなければならないのだろうかと思います。

この国の司法が、本当の意味で国民に真摯に向き合ってくれることを切に願っています。



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