わたしは動物の背骨フェチだと思う。
こだまがベランダのガラス戸越しに、すわって外をぼーっと見ていることがある。
そういう時は、こだまの背中をわたしは見つめてしまう。
猫は背骨がうまーく丸まって、背中がとても冬の日差しに似合う曲線になる。
ちなみに犬も以前飼っていたから、犬がおすわりしたときの背中をよく見ていた。
犬の背中もとてもかわいい。
そして犬の背骨は夕日に向かっているのが一番似合う。
以前、タイに行ったとき、象の首っ玉にのせてもらったことがある。
象さんの背骨を自分の肌で感じることができて本当にしあわせだった。
動物達の背骨は言葉を持った人間以上に、うったえるものが大きい。
でも伝わってくるものは、それは言葉ではない、
言葉よりもっと温度を持った、言葉の奥の心音みたいなものだ。
その存在の真ん中に在る、存在そのものを示しているような、真ん中を通る1本の線・・・・
それはとてもいとおしい。
それはまるで命そのもののような気がしてくる。
背骨の線を、自分の指でなぞって、命を確かめたりする。
こだまの丸まった背中をなでていると(生きてる)って思う。
こだまがベランダのガラス戸越しに、すわって外をぼーっと見ていることがある。
そういう時は、こだまの背中をわたしは見つめてしまう。
猫は背骨がうまーく丸まって、背中がとても冬の日差しに似合う曲線になる。
ちなみに犬も以前飼っていたから、犬がおすわりしたときの背中をよく見ていた。
犬の背中もとてもかわいい。
そして犬の背骨は夕日に向かっているのが一番似合う。
以前、タイに行ったとき、象の首っ玉にのせてもらったことがある。
象さんの背骨を自分の肌で感じることができて本当にしあわせだった。
動物達の背骨は言葉を持った人間以上に、うったえるものが大きい。
でも伝わってくるものは、それは言葉ではない、
言葉よりもっと温度を持った、言葉の奥の心音みたいなものだ。
その存在の真ん中に在る、存在そのものを示しているような、真ん中を通る1本の線・・・・
それはとてもいとおしい。
それはまるで命そのもののような気がしてくる。
背骨の線を、自分の指でなぞって、命を確かめたりする。
こだまの丸まった背中をなでていると(生きてる)って思う。