S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

信を問う

2009-03-25 16:44:26 | Weblog
人は、人の何をもって信じられるとするのだろうか?

きのうわたしが書いた、辺見さんについては、
彼がずっと書いてきたものを読み続けてきた、そのものを視る視線の確かさ、深さ、辺見さんは物書きだから、彼の書いた小説、詩、言ったことば、生き方、そういうものでわたしはこの人は信じられる・・・と思った。

政治家であったら、言っていることば、眼、何をしようとしているか、どこを向いているのか、国民が主という政治を目指しているか、弱者をきちんと救おうとしているか、政治家は確かに選挙の時には、歯が浮くほどのことを言うから、ことばには気をつけているけれど・・・


恋人や夫婦だったら、何をもって信じるか
ことば、誠実さ、何を守ろうとしているか・・・・この人に寄り添って生きていけるか、・・・・
陣内さんの会見とか見ていても思った。何をもって愛なんだろう?
何を信じたんだろう?浮気は裏切り?たった2年で何がわかるんだろう?


ことばは大きな要素ではあるけれど、ことばの奥のもの、ことばにはできないもの、うまく言えないけれど、自分が信じられると判断する基準は、第六感みたいなものでしかないかもしれない。


人の批判ばかりしている与党の幹部(自分とこの党は企業献金を100億も受け取っているっつうのに)・・・わたしはこういう政治家を絶対に信じることはできない。右か左かと二者択一を突きつける政治家も絶対に信じることはできない。記憶にない、まったく知らないという言葉を並べる人もしかり・・・
ここ長野県知事もまったく知らないとずっと言いつづけている。


わたしは小沢さんの会見を見ていて、胸が痛くなった。悔しさも歯がゆさも、孤独も伝わってきたからだ。ことばは朴訥で多くはないけれど、この人の誠実さは伝わってきたから・・・そして本気で政治を変えたいという信念も伝わってきたからだ。
土石流のように繰り返されるマスコミの小沢批判の重圧も想像できた。


人は何をもって人を信じるんだろうか?
ふと「走れメロス」のことを考えたりした。
ことばではないだろう、きっと。

きのう優勝した侍ジャパンは、チームのみんながひとりひとりを信じて、信念を持っていたから得た結果だろうと思う。

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