S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

憎しみの重さ、命の重さ。

2010-07-29 16:47:21 | Weblog
死刑執行をした選挙に落選した千葉法務大臣はいろいろ野党からも批判がでているけれど、わたしはひとつだけ評価したい。
それは、法務大臣として初めて死刑執行に立ち会ったということだ。
今まで立ち会った法務大臣は誰もいないだろう。

何人も死刑執行した前鳩山大臣は一度も執行に立ち会わずして13人の形の執行をした。

わたしは死刑制度はいろいろ考えているので、今は賛成でも反対でもないけれど、少なくとも死刑の判決をくだした裁判官、あるいは裁判員制度での一般市民で死刑を選択した人、そしてその事件を捜査した検察官は、絶対に形の執行には立ち会うべきだと依然このブログにも書いた。死刑の判断をするということは、真正面から人の死に向かい合わなければいけないものだからだ。

可能で望むのであれば、その犯罪で殺された被害者の遺族も形の執行に立ち会ってもいいとさえわたしは思う。
たぶん、憎しみでどうしようもなく辛い思いを抱えて生きなければならない被害者の遺族なのだ。


犯罪被害者の遺族の方は形が執行されたとしてもその苦しみと憎しみは消えないだろう。けれど立ち会うことでもしかしたらその憎しみのかたちは変わるかもしれない・・・・


この国の死刑は、絞首刑で、死刑囚は歩けなないほどの老人でも車椅子で刑場に連れて行き、両腕を抱えて立たせ、輪のロープに首を入れられる。

そして死刑囚の身長をあらかじめ計算し、足がつく10センチぐらいのところで止まるように、立っている床が二つに割れ、死刑囚はおとされていく。

千葉さんは死刑制度には反対の立場だった。

けれどだからこそ大臣を辞めていく前に形の執行をその目で見ておくべきだと思ったのだと思う。

そしてその形状を公開するようにしたいとも言っていた。

そういう絞首刑の現場を見ることによって死刑というものを根本から考える、議論する方向性をつけたかったのだろうと思う。
おばさん世代の最後の意地をみたように思う。

たぶんきのう記者会見したときは、形の執行のすさまじさも体験したあとだったと思うから、以前より顔が変わっていた。


死刑囚は泣き叫ぶかもしれない。足が震えて立てないかもしれない。
その瞬間に泣き叫び、断末魔のうめき声をあげるのは、普通の人間だ。

黙って、悟りきって、形を受ける人はきっと少ない(いるかもしれないけれど)


在る意味で国家による殺人であることは間違いない。

そしてわたしたちは日々なにげなくその殺人を容認していることも間違いのないことだ。
そして死刑執行人も普通の生活をしている人たちなのだ。


千葉さんはたぶん、きっと形の執行に立ち会った時、涙がこぼれたにちがいない・・・・とわたしは思っている。
そんな目をしていた・・・

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