録画しておいたNHKのETV特集「死刑執行、法務大臣の苦悩」という番組をきのう見ていた。
千葉前法務大臣は死刑執行に反対の立場で活動していた人で、千葉さんが法務大臣だった時、千葉さんは2名の死刑執行に判を押した。その執行に、千葉さんは法務大臣として初めて立ち会ったのはわたしはブログにも以前書いた。
千葉さんが番組のなかで言っていたこと。
死刑執行に反対の立場ではあるけれど、自分が法務大臣の任務についていた時、死刑執行を停止すればいいというものではなく、真剣に国民に議論をはじめてほしかったので、通り過ぎるだけではなくて、執行に立ち会い、刑場を公開し、国民に考え始めてほしかったということと、罪を犯した罰という対価としての死刑というより、執行の現実の場面はもっとたんたんとしたもうひとつの現実でしかなかったということを言っていた。
刑場の床がはずされるのは、あっという間だったけれど、そこから死刑囚が息絶えるまでは、ほんとうに永い時間だったと千葉さんは言っていた。たぶん千葉さんの心のなかで、その時間は永遠のように感じられたと思う。
そして千葉さんが執行の判をおして死刑が執行された死刑囚の手紙がわたしには衝撃だった。
彼はこう書いていた。
「人は未来があるから、反省し後悔し、そして罪と向き合おうとする、けれど死刑が確定したら、もう反省する必要もないし、自分の罪と向き合う必要もなくなってしまう、自分が反対に家族を殺されたりしたら、犯人をけしてゆるさないし殺したいと思うだろう・・・・でも本当に罪と向き合って反省し苦しむためには死刑ではないと思う」
千葉さんが執行に立ち会って感じたたんたんとしたひとつの現実と表現されたことが、この死刑囚がいっているように、もう死刑が確定したら、反省とか罪を償うとかいうものではなく、一切そこから抜け出し、この収監された苦しい生活から抜け出すということだけでしかない・・・ということに通じているのかもしれない。
歴代の法務大臣もたぶん人間として苦悩しながら死刑制度という法と向き合ったんだろうということが、初めてわたしには切実に感じることができた。
辺見庸さんは千葉さんが死刑執行に判を押し、刑が執行された時、千葉さんを批判する文章を書いていた。
辺見さんは詩集「生首」で、死刑に対するおもいを詩に書かれている。
辺見さんのいうこともわからないことはないけれど、千葉さんは少なくとも死刑制度にまっこうから立ち向かい、そして死刑制度というものを考える勉強会を立ち上げ、刑場を公開し、ボールを国民に投げてきた。
だからわたしたちは、本当に真剣に死刑というものに向き合って考えなければいけないと思う。
そして、以前にも何度か書いたけれど、死刑判決をくだした裁判官、裁判員、法務大臣は、刑の執行にきちんと立ち会うことは、人間としての責任だとわたしには思えるけれど・・・
千葉前法務大臣は死刑執行に反対の立場で活動していた人で、千葉さんが法務大臣だった時、千葉さんは2名の死刑執行に判を押した。その執行に、千葉さんは法務大臣として初めて立ち会ったのはわたしはブログにも以前書いた。
千葉さんが番組のなかで言っていたこと。
死刑執行に反対の立場ではあるけれど、自分が法務大臣の任務についていた時、死刑執行を停止すればいいというものではなく、真剣に国民に議論をはじめてほしかったので、通り過ぎるだけではなくて、執行に立ち会い、刑場を公開し、国民に考え始めてほしかったということと、罪を犯した罰という対価としての死刑というより、執行の現実の場面はもっとたんたんとしたもうひとつの現実でしかなかったということを言っていた。
刑場の床がはずされるのは、あっという間だったけれど、そこから死刑囚が息絶えるまでは、ほんとうに永い時間だったと千葉さんは言っていた。たぶん千葉さんの心のなかで、その時間は永遠のように感じられたと思う。
そして千葉さんが執行の判をおして死刑が執行された死刑囚の手紙がわたしには衝撃だった。
彼はこう書いていた。
「人は未来があるから、反省し後悔し、そして罪と向き合おうとする、けれど死刑が確定したら、もう反省する必要もないし、自分の罪と向き合う必要もなくなってしまう、自分が反対に家族を殺されたりしたら、犯人をけしてゆるさないし殺したいと思うだろう・・・・でも本当に罪と向き合って反省し苦しむためには死刑ではないと思う」
千葉さんが執行に立ち会って感じたたんたんとしたひとつの現実と表現されたことが、この死刑囚がいっているように、もう死刑が確定したら、反省とか罪を償うとかいうものではなく、一切そこから抜け出し、この収監された苦しい生活から抜け出すということだけでしかない・・・ということに通じているのかもしれない。
歴代の法務大臣もたぶん人間として苦悩しながら死刑制度という法と向き合ったんだろうということが、初めてわたしには切実に感じることができた。
辺見庸さんは千葉さんが死刑執行に判を押し、刑が執行された時、千葉さんを批判する文章を書いていた。
辺見さんは詩集「生首」で、死刑に対するおもいを詩に書かれている。
辺見さんのいうこともわからないことはないけれど、千葉さんは少なくとも死刑制度にまっこうから立ち向かい、そして死刑制度というものを考える勉強会を立ち上げ、刑場を公開し、ボールを国民に投げてきた。
だからわたしたちは、本当に真剣に死刑というものに向き合って考えなければいけないと思う。
そして、以前にも何度か書いたけれど、死刑判決をくだした裁判官、裁判員、法務大臣は、刑の執行にきちんと立ち会うことは、人間としての責任だとわたしには思えるけれど・・・