一日に何度も、保安院、東京電力、官房長官が出てきて記者会見をしている。
この非常事態に対して、みんな一斉に顔に表情がまったくなく、頬の筋肉だけを動かしているように見える。
言葉ものんびりしていて、ただ放射能数値や、原発の専門用語をくりかえしている。
わたしたちがたったひとつ知りたいことは、原発は今どういう状況で、それほどの危険性があり、そして最悪の可能性や
最悪の事態になった時、いったいわたしたちはどうしたらいいのか?ということだけだろう。
放射能数値は、頭の中を通り過ぎ、一体その数値がどれほどのものかもわからない。
官房長官は毎日「人体にすぐに影響を及ぼすものではない」と
こわれたレコードみたいにくりかえしていて、その言葉に反比例するように、日に日に原発がヤバい!という状況が目でもわかるようになった。
明け方よく眠れなくなって、朝からニュースをみていたら、電話の声は福島の津波の被害でも深刻、そして原発30キロ避難にも
該当してしまった南相馬市の市長さんだった。
声は切実で緊迫していた。
「避難所には、食べ物も水もすべて何もかも足りないのです。この避難所の住民は家族の安否確認にもいけない、物資は
原発から30キロ以内には入ってこれないといって、100キロ先まで取りにいくしかない、しかもガソリンはない、
国からも県からも何も連絡がない、ここに取材にきてください、どれだけひどい状況か、日本全国に伝えてほしい・・・」と。
むろんマスコミがこの原発30キロ圏内にけして取材に行くことはないだろう、
わたしはこの時、シベリア抑留されていた詩人石原吉郎のことを思い出した。
石原吉郎は言っていた、「シベリアに抑留されていて一番ひどい孤独は祖国日本がわたしたちのことを忘れてしまうのではないか
ということだった・・・、私たちはここにいるということを大声で海の向こうの祖国にむかって叫びだしたい衝動にかられた」
今、原発のそばのこの避難所の人たちの苦しみと恐怖と孤独が市長さんの悲痛な声を聞いて痛いほどわかって、
わたしは夜明けにひとりでわあわあ泣いていた。
今の日本は戦争の傷跡のようだ。
世界で唯一の被爆国であるこの日本が、21世紀のこの時代にまた核の恐怖に陥れられている。
原発は日本の電力を作り続け、皮肉にも自らが大量に作り続けてきた電気がないことによって、核燃料の冷却ができず、ぼろぼろの原爆ドームの屋根のように変わり果てている。
なぜこんな悲劇が起きてしまったのだろう・・・
フォトジャーナリストの魚住卓さんがジャーナリストとしてこの原発の町に入って取材しているサイトを見つけた。
誰もいない死の町のようになったここに「原子力強度の発展豊かな未来」と書かれた町のアーチ看板が、とても切ない。
そして、南相馬市の悲痛さは、福島のいわき市にもひろがっている。
この非常事態に対して、みんな一斉に顔に表情がまったくなく、頬の筋肉だけを動かしているように見える。
言葉ものんびりしていて、ただ放射能数値や、原発の専門用語をくりかえしている。
わたしたちがたったひとつ知りたいことは、原発は今どういう状況で、それほどの危険性があり、そして最悪の可能性や
最悪の事態になった時、いったいわたしたちはどうしたらいいのか?ということだけだろう。
放射能数値は、頭の中を通り過ぎ、一体その数値がどれほどのものかもわからない。
官房長官は毎日「人体にすぐに影響を及ぼすものではない」と
こわれたレコードみたいにくりかえしていて、その言葉に反比例するように、日に日に原発がヤバい!という状況が目でもわかるようになった。
明け方よく眠れなくなって、朝からニュースをみていたら、電話の声は福島の津波の被害でも深刻、そして原発30キロ避難にも
該当してしまった南相馬市の市長さんだった。
声は切実で緊迫していた。
「避難所には、食べ物も水もすべて何もかも足りないのです。この避難所の住民は家族の安否確認にもいけない、物資は
原発から30キロ以内には入ってこれないといって、100キロ先まで取りにいくしかない、しかもガソリンはない、
国からも県からも何も連絡がない、ここに取材にきてください、どれだけひどい状況か、日本全国に伝えてほしい・・・」と。
むろんマスコミがこの原発30キロ圏内にけして取材に行くことはないだろう、
わたしはこの時、シベリア抑留されていた詩人石原吉郎のことを思い出した。
石原吉郎は言っていた、「シベリアに抑留されていて一番ひどい孤独は祖国日本がわたしたちのことを忘れてしまうのではないか
ということだった・・・、私たちはここにいるということを大声で海の向こうの祖国にむかって叫びだしたい衝動にかられた」
今、原発のそばのこの避難所の人たちの苦しみと恐怖と孤独が市長さんの悲痛な声を聞いて痛いほどわかって、
わたしは夜明けにひとりでわあわあ泣いていた。
今の日本は戦争の傷跡のようだ。
世界で唯一の被爆国であるこの日本が、21世紀のこの時代にまた核の恐怖に陥れられている。
原発は日本の電力を作り続け、皮肉にも自らが大量に作り続けてきた電気がないことによって、核燃料の冷却ができず、ぼろぼろの原爆ドームの屋根のように変わり果てている。
なぜこんな悲劇が起きてしまったのだろう・・・
フォトジャーナリストの魚住卓さんがジャーナリストとしてこの原発の町に入って取材しているサイトを見つけた。
誰もいない死の町のようになったここに「原子力強度の発展豊かな未来」と書かれた町のアーチ看板が、とても切ない。
そして、南相馬市の悲痛さは、福島のいわき市にもひろがっている。