今、読んでいる本、
「中上健次と読む『いのちとかたち』」
これは山本健吉「いのちとかたち」に対峙しながら、中上氏が熊野で講演した日本文化論の記録です。
熊野は行ったことがないけれど、一度は歩いてみたい熊野古道。
もし行くことができたら、きっと熊野のエネルギーみたいなものを感じられる土地だと思う。
印象的なことばに出合ったので、紹介したいと思う。
(和魂漢才)という題で話している講演のなかで、
漢詩や漢文でおさまりきらないものを表現したものが和歌や散文で、つまり和歌や散文、俳句は漢文からみると
負けのことばと言える。
けれど、負け惜しみじゃないけど、魂が一番だいじなんだよ、って言っていて、
魂というのは、どういうところにあるかというと、負け続ける側にあると。
負け続けるからこそ、心痛め、魂を痛めて歌ができる。
勝っている側には歌は起こらない、勝利の歌ほどつまらないものはないと中上氏が言っていた。
すごく共感しました。
今で行ったら、権力の側にには魂はないし、歌も文学も生まれない。
けれど、エジプトでいったら、何百万人となった民衆のデモの側にきっと歌は生まれる。
中上氏が講演したときに、中国で天安門事件が起きていて、そのことにも触れていた。
民主化を求めている若者の側にこそことばがあると・・・・
きのうは早く眠ってしまって、真夜中に目を覚まして読みだしたら眠れなくなってしまった・・・
「中上健次と読む『いのちとかたち』」
これは山本健吉「いのちとかたち」に対峙しながら、中上氏が熊野で講演した日本文化論の記録です。
熊野は行ったことがないけれど、一度は歩いてみたい熊野古道。
もし行くことができたら、きっと熊野のエネルギーみたいなものを感じられる土地だと思う。
印象的なことばに出合ったので、紹介したいと思う。
(和魂漢才)という題で話している講演のなかで、
漢詩や漢文でおさまりきらないものを表現したものが和歌や散文で、つまり和歌や散文、俳句は漢文からみると
負けのことばと言える。
けれど、負け惜しみじゃないけど、魂が一番だいじなんだよ、って言っていて、
魂というのは、どういうところにあるかというと、負け続ける側にあると。
負け続けるからこそ、心痛め、魂を痛めて歌ができる。
勝っている側には歌は起こらない、勝利の歌ほどつまらないものはないと中上氏が言っていた。
すごく共感しました。
今で行ったら、権力の側にには魂はないし、歌も文学も生まれない。
けれど、エジプトでいったら、何百万人となった民衆のデモの側にきっと歌は生まれる。
中上氏が講演したときに、中国で天安門事件が起きていて、そのことにも触れていた。
民主化を求めている若者の側にこそことばがあると・・・・
きのうは早く眠ってしまって、真夜中に目を覚まして読みだしたら眠れなくなってしまった・・・