東日本被災地を訪れました
1か月前になりますが、6月12日~14日、民主党大阪府連男女共同参画委員会事務局+一人で、被災地の視察に出かけました。たまたま全員日政連議員です。
フォトチャンネルを作ったので、ブログに張り付けました。もっとたくさんありましたが、30枚にまとめました。
宮城県では石巻市、牡鹿半島、女川町を訪れ、地震の爪痕、そして、大津波によって、全てが呑み込まれ、失ってしまった状況に、言葉がありません。
ちょっとした高さの差、道や建物のあり方などで、被害の大きさが変わります。残っている2階で避難生活している人々、避難場所の学校で生活している人々、様々ですが、ニーズは刻刻と変化していきます。行政がなかなか早い対応ができていない、その隙間を、NPOなどのボランティア団体が埋めていっている状況だと思います。車が通れるように道などは整備されてきていましたが、瓦礫は、まだまだ多く残っています。海から流されてきた船などが田んぼだった所に転がっています。海で働いていた漁師さんたちは、やっぱり漁師に戻りたい、と話されていました。
福島県では、南相馬市と郡山市を訪れました。原発事故のために、原発からの20km圏内や、20~30km、30km圏外など、同じ市に住んでいてもその距離で、生活状況が全く異なるわけで、また、その保障も変わってきます。
原発事故の収束までも、復興までもどれぐらいの時間が必要となるのでしょう。それこそ、政治の力が必要です。
政府にまずしっかりと責任を持って取り組んでもらい、ゴタゴタするのではなく!
私たち自身も何ができるのか、常に問いながら、継続的な支援を続けていかなければなりません。
30㎞圏内の小学校が数校集まって開校されている圏外の小学校を訪れ、お話を伺うことができました。
子どもたちも被災者であり、そしてそこで働いている教職員ももちろん被災者です。
被災者に寄り添いながら、悲しみを共有していくことが重要であることも学びました。
郡山市のビッグパレットには、20㎞圏内の富岡町、川内村の住民が避難されています。
女性専用のスペースや、区切られたスペースでの生活など、これまでの経験が生かされている部分もあります。
仮設住宅も駐車場スペースに建てられていました。いつ戻れるのか、仕事など生活に対する不安などもあり、
入所を辞退される方もおられるそうです。様々な課題が山積しています。
今、私たちにできること、これからも考えていきましょう。