ウィーンについてです。とは言っても、私はこの十数年は出張以外では海外に行っていないので、「あそこに行った」「あそこのあれが美味しかった」的な旅行記みたいな話は出てきません。
遠くに住む娘が、年末年始にボーイフレンドとプラハからウィーンを旅してきました。プラハからウィーンへは電車で行くと聞いて、クリスマス頃に「ビフォアサンライズ 恋人までの距離」を観たばかりだったので、あの電車に乗るんだー、なんて羨ましい!と正直に思いました。
娘が正にあの電車でプラハからウィーンへ移動している頃、私はデジカメとiPhone以前の写真をまとめて収納している箱を漁っていました。
ちょうど20年前、母と私と娘の親子3代でウィーンへ行ったことがあります。当時はまだ3歳だった娘の記憶には、あの旅の視覚的な思い出は残っていないはずなので、写真を見つけてLINEで送ってあげたかったのです。
私の両親には毎年ウィーンフィルハーモニーのニューイヤーコンサートをテレビで観る習慣があって、ウィーン学友協会ホールを見てみたいという母の憧れを叶えるために企画した旅行でした。それなのに、当時のインターネットはADSL回線(だったはず。)事前リサーチ情報も最新のものではなく、私はドイツ語がよくわからなかったので、いざ現地に着いてみたらウィーン学友協会ホールは工事中で中には入れず、建物の外から雰囲気を感じ取ることしかできませんでした。母は「それはそれ」として、それ以外の観光をそれなりに喜んで楽しんでくれました。母は現実をそのまま受け入れて、私だったら残念な気持ちを自分の中で処理できず、不平不満をタラタラと吐きながら周りに八つ当たりしているはずのことも、「まぁいっか」と切り替えることがとても上手な人です。それは母の遺伝子情報に刻まれていて、私には頂けなかったものなのか、私にも頂いているのに活性化できていないだけなのか、はたまた母が彼女の人生の経験と訓練の中で培ってきたものなのか、まだわかりません。
写真の話に戻ります。探していた写真はすぐに見つかりました。母が小さなアルバムに一枚一枚美しい文字で場所とその日の感想を添えて整理してくれていたので助かりました。被写体は主に観光名所の前でポーズを取る3歳の娘でした。それらの中からいくつかピックアップした画像をデータにして娘に送りました。
後日、ウィーンを発って欧州の別の街へ帰る途中の娘から、当時3歳と現在23歳の彼女が同じ場所と構図でポーズを取る画像のコラージュが送られてきました。胸がキュっとなりました。あの親子3代の旅行後の20年間は、アップダウンと急な右左折と旋回を繰り返すジェットコースターライドのような時間だったな。今回の旅で、娘は私に連れられて乗ったジェットコースターをやっと降りることができたんじゃないかな。そうだといいな。母のとも私のとも違う道を行って、この後しばらくはどうか三半規管に優しい時間を過ごしてほしいな。母の「まぁいっか」遺伝子は、私を飛び越えて娘に受け継がれているといいな。そんなことを想いながら、母にもコラージュ画像を転送してあげました。
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