鷹見神社(福岡県水巻町)をフォトギャラリー(福岡)に掲載しました。
鷹見(たかみ)神社
【鎮座地】〒807-0001 福岡県遠賀郡水巻町大字猪熊786 (旧筑前国 遠賀郡)
【御祭神】
・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・速玉男命(はやたまのおのみこと)
・事解男命(ことさかのおのみこと)
(合祀)
・素盞嗚尊(すのをのみこと)
・稚産日命(わくむすびのみこと)
・高龗神(たかおかみ)
・闇龗神(くらおかみ)
【御由緒】
天和二年創立古老の口碑に存せり。明治五年十一月三日村社に定められる。
祭神素盞嗚命は同村同大字無格社須賀神社として、祭神稚産日命は同大字無格社豊歳神社として、祭神高龗神、闇龗神は無格社貴船神社として祭祀ありしを大正十一年八月十五日許可を得て合祀す。
又社説に曰く創立天和二年、同郡穴生高見宮を此処に勧請し祝ひ奉る。
古へ応仁の頃より久しく天下穏ならず故に高見宮の坊舎も断絶に及びし故麻生家より波多野春房に高見下宮の取次を任ぜられし由古證文これ在るのみにて今も同家より執行ひ侍る云々とあり。
(福岡縣神社誌より)
註:天和二年(1682年)、応仁の頃(1467~1468年)
当社は遠賀川の河口からおよそ3km上流に位置する水巻町猪熊地区に鎮座されています。
一の鳥居の神額 石段の参道から拝殿
参道脇の狛犬 元治元年年9月(西暦1864年)奉納
拝殿
拝殿前の狛犬当初は銅製であったが最近御影石で復元された。
狛犬復元の由来
昭和十二年鷹見神社改築後この台座に刻まれている人びとによって奉納された狛犬は、立派な銅製であったが第二次世界大戦勃発の翌年昭和十七年五月九日政府は戦意の向上をはかると同時に即戦力となる鉄銅などを確保するため、国内の寺院の仏具や鐘を強制供出させる金属回収令を発令した。その後戦局の推移とともに鉄銅などの回収運動は盛んとなり、この銅製の狛犬も政府に献納された。以来半世紀にわたり台座のみとなっていたが、この度屋根の銅版葺替工事の完成を記念して、猪熊営農組合の皆さんの御好意により御影石の狛犬を復元されたものである。
(案内石碑より)
本殿
社殿全景
境内から遠賀川を望む
鷹見(たかみ)神社
【鎮座地】〒807-0001 福岡県遠賀郡水巻町大字猪熊786 (旧筑前国 遠賀郡)
【御祭神】
・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・速玉男命(はやたまのおのみこと)
・事解男命(ことさかのおのみこと)
(合祀)
・素盞嗚尊(すのをのみこと)
・稚産日命(わくむすびのみこと)
・高龗神(たかおかみ)
・闇龗神(くらおかみ)
【御由緒】
天和二年創立古老の口碑に存せり。明治五年十一月三日村社に定められる。
祭神素盞嗚命は同村同大字無格社須賀神社として、祭神稚産日命は同大字無格社豊歳神社として、祭神高龗神、闇龗神は無格社貴船神社として祭祀ありしを大正十一年八月十五日許可を得て合祀す。
又社説に曰く創立天和二年、同郡穴生高見宮を此処に勧請し祝ひ奉る。
古へ応仁の頃より久しく天下穏ならず故に高見宮の坊舎も断絶に及びし故麻生家より波多野春房に高見下宮の取次を任ぜられし由古證文これ在るのみにて今も同家より執行ひ侍る云々とあり。
(福岡縣神社誌より)
註:天和二年(1682年)、応仁の頃(1467~1468年)
当社は遠賀川の河口からおよそ3km上流に位置する水巻町猪熊地区に鎮座されています。
一の鳥居の神額 石段の参道から拝殿
参道脇の狛犬 元治元年年9月(西暦1864年)奉納
拝殿
拝殿前の狛犬当初は銅製であったが最近御影石で復元された。
狛犬復元の由来
昭和十二年鷹見神社改築後この台座に刻まれている人びとによって奉納された狛犬は、立派な銅製であったが第二次世界大戦勃発の翌年昭和十七年五月九日政府は戦意の向上をはかると同時に即戦力となる鉄銅などを確保するため、国内の寺院の仏具や鐘を強制供出させる金属回収令を発令した。その後戦局の推移とともに鉄銅などの回収運動は盛んとなり、この銅製の狛犬も政府に献納された。以来半世紀にわたり台座のみとなっていたが、この度屋根の銅版葺替工事の完成を記念して、猪熊営農組合の皆さんの御好意により御影石の狛犬を復元されたものである。
(案内石碑より)
本殿
社殿全景
境内から遠賀川を望む
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます