九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

速谷神社(広島県廿日市市)

2007-01-14 15:27:23 | 神社参拝ー中国
 速谷神社(広島県廿日市市)フォトギャラリー(山口、本州)に掲載しました。

 速谷神社(はやたにじんじゃ)
【鎮座地】〒738-0026 広島県廿日市市上平良308-1 旧安芸国 佐伯郡 
【御祭神】飽速玉男命
【例祭】10月12日 例大祭
【旧社格等】
  式内社 安藝國佐伯郡 速谷神社 名神大 月次新嘗
  旧國幣中社
【御由緒】
一、御祭神 飽速玉男命 一座
 当社の御祭神は天孫降臨の時附随の三十二神の内、天湯津彦命五世の孫で、干七百有余年前即ち十三代成務天皇の時に、安芸国造を賜い、広く国土を開拓され国造り、村造りに御尽力され、農耕殖産の道を進め交通の便を開き人々の生活の基礎を固められた神様です。

二、御神徳
 安芸国の総鎮守として仰ぎ 交通安全、殖産興業、延命招福の守護神として、その霊験は真にあらたかです。

三、由緒
 御鎮座の年代は詳かではないが、国造の子孫及ぴ国人達が御祭神の薨後恩徳を敬慕して奉斎した千七百有余年前の古社です。
 嵯峨天皇弘仁二年七月名神に列し、清和天皇貞観元年正月従五位上であった神階を従四位下に進め貞観九年十月には従四位上に進められた。
 醍醐天皇延喜五年延喜式神名帳によれぱ当社は名神大社に列せられ、毎年月次、祈年、新嘗の三祭に神祇官の奉幣にあづかった。延喜式所載の安芸国三社(速谷、厳島、多家)の内にありては、当社のみこの殊遇を受け、当時いかに朝廷の御崇敬にあつかったかがわかります。
 朱雀天皇承平五年藤原純友の乱に朝廷より騒乱平定を当社を含め十三社(安芸の国では当社と厳島)に祈願せられ、間もなくその乱が鎮定したので神階を正四位下に進められた。
 室町時代より当国桜尾城主であった藤原親実以下歴代の城主、又府中の田所氏も深く当社を崇敬した。次いで周防の大内氏、芸備の大守毛利・福島・浅野諸氏も当社を崇敬し神宝、社領を寄進し屢々神殿の造営修覆を行った。
 大正十三年十一月国幣中社に列格、昭和二十一年二月官制廃止により神社本庁所属の別表神社となる。
 (神社パンフレット「安芸国総鎮守 速谷神社略記」より)

 広島県廿日市市上平良に鎮座、西広島バイパス上平良交差点からおよそ1km山方向に上ったところにあります。

 参道  楼門
  参道両側の紅葉がきれいです。突き当りに荘厳な楼門 

 楼門から神門楼門をくぐると左に手水舎 

 神門から拝殿神門には神域を示す立派な注連縄がかけられています。

拝殿  

 本殿、素木造銅板葺流造三間社
御祭神は安芸国造の飽速玉男命です。

 境内社:岩木神社
この地の主神だった「岩木翁神」をお祀りしています。 

 拝殿から神門
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