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今まではあまりきつい登りはありませんでしたが、いよいよ本格的?な登山の開始です。
11:47
獅子の口 
豊照神社から左手上の階段を上ると5分ほどで到着です。ここから先、上宮までは飲食等が禁じられた聖域とされ、この水場で手を清め、口をすすぎ参道を登りました。神社の参道にある手水舎に相当するものと思われます。
獅子のロの場所は、上谷と杉谷が分かれる谷筋にあたり、参道から護国寺の伽藍へ至る玄関口に位置します。この場所の西側に張り出した尾根は、俗界と聖域を区別する結界の役割を果たしています。尾根先の参道に立つ無銘の角塔婆が結界石となっています。
そして、上谷と杉谷の谷間を流れる水は上宮の巨岩の地下に源を発するといわれ、禊場に続いています。この清流が結界を清浄に守る境となっています。
ちなみに、上宮の辰のロ、獅子の口と禊場は一直線上に並んでいます。上宮・中宮・下宮も同様に一直線上に位置し、興味深い位置関係を見せています。
獅子の口より先の上宮までは、飲食等が禁じられた聖域だったので、ここが水をロにできる最後の場所でした。入山する者は皆ここで手を清め、ロをすすぎ、気持ちを引き締め、目の前の坂を登り始めました。
(現地案内板より)
庚申石塔
獅子の口の左にあります。
日付らしきものが刻まれていますが判読不能です。
11:52
参道の鳥居
鳥居の前に一対の灯篭と昭和五年十二月吉日の日付のある狛犬が並んでいます。
鳥居の扁額
には「求菩提山」とあります。
11:58
参道から国玉神社・中宮社殿
階段の向こうに社殿が見えてきました。
12:01
境内神社・鬼神社
社殿への階段手前右にあります。御祭神は大山祇命 火具土命 經津主命 大己貴命 金山彦神 埴山姫命 雷命 須佐男命と多くの神様が祀られています。
鬼神社の社名の由来に興味があります。
階段下から拝殿
国玉神社(くにたまじんじゃ)
【鎮座地】〒828-0086 福岡県豊前市求菩提202 旧豊前国 上毛郡
【御祭神】伊弉諾命 伊弉冉命 顯國玉神
【例祭】 3月28日 例祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
護国寺跡(国玉神社中宮)
ここには、求菩提山修験道の中核を担った護国寺がありました。「求菩提山縁起」によると、養老4年(720)も行善和尚が入山し、寺の建立をしたとありますが、定かではありません。本格的な伽藍の整備は、12世紀中ごろに求菩提山中興の祖とされる頼厳上人によってなされたと考えられています。一番上の段には、神殿と拝殿からなる北山殿が、その脇に二層構造の多宝塔がありました。二段目には、南の向いて鬼神社があり、三段目には寺の中心施設であった講堂がありました。一番下にある広場(松庭)では、松会など重要な祭事がとりおこなわれていました。
現在でも、そのうちのお田植祭が毎年春先に行われています。
なお、明治元年(1868)に出された神仏分離令により、ここは国玉神社と改められました。
(社前案内板より)
拝殿
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拝殿の扁額
「国玉神社 聖門権大僧正泰年」とあります。
社殿全景
多宝塔跡から本殿
社殿の左にはかつて多宝塔がありました。現在はその基壇だけが残っています。
多宝塔跡
多宝塔は求菩提山護国寺のシンボル的存在で、法華経の教えに基づいて建立されました。
その構造は、二層の小板茸の屋根に九輪の相輪を置き、高さは八間(約14m)に及んだといいます。発掘調査で、切石による基壇が後背面を除く三面で確認されています。また、小さいながら塔心礎という中心柱の基礎石も確認され、構造的には多層塔とするのが正しいようです。ただ、創建当時は多宝塔として建立されたことが十分に考えられ、後の再建時に新たに塔心礎を設け層塔としたのかもしれません。
明治25年(1892)に保存に向けて準備が進められますが、台風により同33年に倒壊し、今はその基壇だけが残っています。
(現地案内板より)
社殿全景
ここからおよそ200mの難関「鬼の石段」、山頂の上宮を目指します。
ーーまだまだ続くーーー
11:47
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豊照神社から左手上の階段を上ると5分ほどで到着です。ここから先、上宮までは飲食等が禁じられた聖域とされ、この水場で手を清め、口をすすぎ参道を登りました。神社の参道にある手水舎に相当するものと思われます。
獅子のロの場所は、上谷と杉谷が分かれる谷筋にあたり、参道から護国寺の伽藍へ至る玄関口に位置します。この場所の西側に張り出した尾根は、俗界と聖域を区別する結界の役割を果たしています。尾根先の参道に立つ無銘の角塔婆が結界石となっています。
そして、上谷と杉谷の谷間を流れる水は上宮の巨岩の地下に源を発するといわれ、禊場に続いています。この清流が結界を清浄に守る境となっています。
ちなみに、上宮の辰のロ、獅子の口と禊場は一直線上に並んでいます。上宮・中宮・下宮も同様に一直線上に位置し、興味深い位置関係を見せています。
獅子の口より先の上宮までは、飲食等が禁じられた聖域だったので、ここが水をロにできる最後の場所でした。入山する者は皆ここで手を清め、ロをすすぎ、気持ちを引き締め、目の前の坂を登り始めました。
(現地案内板より)
庚申石塔
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日付らしきものが刻まれていますが判読不能です。
11:52
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鳥居の前に一対の灯篭と昭和五年十二月吉日の日付のある狛犬が並んでいます。
鳥居の扁額
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11:58
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階段の向こうに社殿が見えてきました。
12:01
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社殿への階段手前右にあります。御祭神は大山祇命 火具土命 經津主命 大己貴命 金山彦神 埴山姫命 雷命 須佐男命と多くの神様が祀られています。
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階段下から拝殿
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国玉神社(くにたまじんじゃ)
【鎮座地】〒828-0086 福岡県豊前市求菩提202 旧豊前国 上毛郡
【御祭神】伊弉諾命 伊弉冉命 顯國玉神
【例祭】 3月28日 例祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
護国寺跡(国玉神社中宮)
ここには、求菩提山修験道の中核を担った護国寺がありました。「求菩提山縁起」によると、養老4年(720)も行善和尚が入山し、寺の建立をしたとありますが、定かではありません。本格的な伽藍の整備は、12世紀中ごろに求菩提山中興の祖とされる頼厳上人によってなされたと考えられています。一番上の段には、神殿と拝殿からなる北山殿が、その脇に二層構造の多宝塔がありました。二段目には、南の向いて鬼神社があり、三段目には寺の中心施設であった講堂がありました。一番下にある広場(松庭)では、松会など重要な祭事がとりおこなわれていました。
現在でも、そのうちのお田植祭が毎年春先に行われています。
なお、明治元年(1868)に出された神仏分離令により、ここは国玉神社と改められました。
(社前案内板より)
拝殿
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拝殿の扁額
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「国玉神社 聖門権大僧正泰年」とあります。
社殿全景
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多宝塔跡から本殿
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社殿の左にはかつて多宝塔がありました。現在はその基壇だけが残っています。
多宝塔跡
多宝塔は求菩提山護国寺のシンボル的存在で、法華経の教えに基づいて建立されました。
その構造は、二層の小板茸の屋根に九輪の相輪を置き、高さは八間(約14m)に及んだといいます。発掘調査で、切石による基壇が後背面を除く三面で確認されています。また、小さいながら塔心礎という中心柱の基礎石も確認され、構造的には多層塔とするのが正しいようです。ただ、創建当時は多宝塔として建立されたことが十分に考えられ、後の再建時に新たに塔心礎を設け層塔としたのかもしれません。
明治25年(1892)に保存に向けて準備が進められますが、台風により同33年に倒壊し、今はその基壇だけが残っています。
(現地案内板より)
社殿全景
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ここからおよそ200mの難関「鬼の石段」、山頂の上宮を目指します。
ーーまだまだ続くーーー
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