美奈宜神社(みなぎじんじや)荷原
【鎮座地】〒838-0029 福岡県朝倉市荷原2421 旧筑前国 下座郡
【御祭神】天照皇大神 (配祀)住吉大神 春日大神 (合祀)神功皇后 武内宿禰
【例祭】10月22日 例祭
【旧社格等】
式内社 筑前國下座郡 美奈宜神社3座(並名神大)
旧県社
【御由緒】
式内美奈宜神社
祭神 天照皇大神 住吉大明神 春日大明神
相殿 神宮皇后 武内宿祢を併せ祭る
由緒
第14代仲哀天皇は白髪山を本城とする敵、「羽白熊鷲」を討つため軍を進められていたが途中病気で急逝。しかし神宮皇后は喪を秘して武内宿祢等を從えて喰那尾山頂(ここから北西200m)の地で陣をしき謀議の末賊を討たれた。これはお告げをうけた三神の助であるとして美奈宜川上「池辺」(ここから東へ300m)の地で戦勝奉告をされた。後に仁徳天皇(神宮皇后の孫)の勅願により「池辺」にこの神を祭るようになった。(西暦312年頃)後世ここを「本宮」と云う。
遷宮
1. 大宝元年旧九月二十二日(西暦751年)喰那尾山頂の陣跡へ。
2. 元弘三年(西暦1333年)大宮谷(ここから100M上)へ。
3. 天正二年十一月(西暦1574年)領主秋月種実の頃現在地へ。
神領50町 神官社僧36人仕えていた。
社格
貞観元年正月廿七日(西暦859年)「從五位上」と云う位を給う。之は「三代実録」の文中に見える。又延喜式十巻神名帳(西暦920年頃の書)に「筑前国下座郡美奈宜神社三座」名神大と記載あり
祭礼
十月二十二日の「おくんち」には獅子、羽熊等お供約200人の御神幸行列が今なほ行はれている。
(参道案内より)
参道の鳥居
楼門
拝殿 本殿
社殿全景
【鎮座地】〒838-0029 福岡県朝倉市荷原2421 旧筑前国 下座郡
【御祭神】天照皇大神 (配祀)住吉大神 春日大神 (合祀)神功皇后 武内宿禰
【例祭】10月22日 例祭
【旧社格等】
式内社 筑前國下座郡 美奈宜神社3座(並名神大)
旧県社
【御由緒】
式内美奈宜神社
祭神 天照皇大神 住吉大明神 春日大明神
相殿 神宮皇后 武内宿祢を併せ祭る
由緒
第14代仲哀天皇は白髪山を本城とする敵、「羽白熊鷲」を討つため軍を進められていたが途中病気で急逝。しかし神宮皇后は喪を秘して武内宿祢等を從えて喰那尾山頂(ここから北西200m)の地で陣をしき謀議の末賊を討たれた。これはお告げをうけた三神の助であるとして美奈宜川上「池辺」(ここから東へ300m)の地で戦勝奉告をされた。後に仁徳天皇(神宮皇后の孫)の勅願により「池辺」にこの神を祭るようになった。(西暦312年頃)後世ここを「本宮」と云う。
遷宮
1. 大宝元年旧九月二十二日(西暦751年)喰那尾山頂の陣跡へ。
2. 元弘三年(西暦1333年)大宮谷(ここから100M上)へ。
3. 天正二年十一月(西暦1574年)領主秋月種実の頃現在地へ。
神領50町 神官社僧36人仕えていた。
社格
貞観元年正月廿七日(西暦859年)「從五位上」と云う位を給う。之は「三代実録」の文中に見える。又延喜式十巻神名帳(西暦920年頃の書)に「筑前国下座郡美奈宜神社三座」名神大と記載あり
祭礼
十月二十二日の「おくんち」には獅子、羽熊等お供約200人の御神幸行列が今なほ行はれている。
(参道案内より)
参道の鳥居
楼門
拝殿 本殿
社殿全景
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