12/24(土)、恒見八幡神社(北九州市門司区)、他に参拝しました。
久しぶりに天気が良いので急遽、門司の「白野江植物公園」に行くつもりで家をでました。ルートは旧国道10号線の寺迫口交差点から左折し、裏門司(今は新門司という)県道25号線沿いに沿線の神社に参拝しながら向かいました。
最初は恒見の「恒見八幡神社」です。
当社は
平安時代の初期、第53代淳和天皇の御字、天長元年(824年)豊前国恒見城主、安芸入道平道金候が武運長久を祈念して、自ら祭主となり、宇佐八幡宮から御分霊を勧請し、此処に奉祀する。
室町時代に至り、豊前国が周防の大内氏の支配となるや、武将門司城代より、奉幣があるなど崇敬を受けた。江戸時代の寛永9年(1632年)小笠原忠真候が小倉十五万石の城主となり以来代々当神社を崇敬した。小笠原忠固候は文政5年(1822年)に神殿を再建した。昭和18年(1943年)郷社に昇格される。
(平成祭データ)
正月を迎える門松が飾り付けられていました。
久しぶりに天気が良いので急遽、門司の「白野江植物公園」に行くつもりで家をでました。ルートは旧国道10号線の寺迫口交差点から左折し、裏門司(今は新門司という)県道25号線沿いに沿線の神社に参拝しながら向かいました。
最初は恒見の「恒見八幡神社」です。
当社は
平安時代の初期、第53代淳和天皇の御字、天長元年(824年)豊前国恒見城主、安芸入道平道金候が武運長久を祈念して、自ら祭主となり、宇佐八幡宮から御分霊を勧請し、此処に奉祀する。
室町時代に至り、豊前国が周防の大内氏の支配となるや、武将門司城代より、奉幣があるなど崇敬を受けた。江戸時代の寛永9年(1632年)小笠原忠真候が小倉十五万石の城主となり以来代々当神社を崇敬した。小笠原忠固候は文政5年(1822年)に神殿を再建した。昭和18年(1943年)郷社に昇格される。
(平成祭データ)
正月を迎える門松が飾り付けられていました。
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