熊野神社(福岡県古賀市)をフォトギャラリー(福岡)に掲載しました。
当社はJR古賀駅より東におよそ3kmの筵内(むしろうち)地区の大根川沿いの県道から数10m入った高台に鎮座されています。
熊野神社 「故宮(もとみや)」 若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)
【御祭神】
饒速日命(にぎはやひのみこと)
速玉男命(はやたまのをのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
事解男命(ことさかのをのみこと)
宇麻志麻知命(うましまぢのみこと)
正徳元年(1711年)建立一の鳥居の
二の鳥居をくぐると長い石段の参道が続きます。
平成14年11月竣工、全長:132.776m、石段数:250石
参道入口近くにある石碑、安政四丁巳(1857年)北辰妙見宮とあります。
以前は若一王子宮とよばれていました。
同じく参道途中に阿弥陀如来像板碑が保存されています。
県指定考古資料
熊野神社阿弥陀如来像板碑
昭和33年10月29日福岡県指定
昔、莚内に疫病が大流行した。その疫病を封ずる為に阿弥陀如来像、薬師如来像、摩滅して不明の三像を三個の平石に刻んで大根川岸に建てた。それが洪水で流され残った阿弥陀如来像板碑は熊野神社に移され今日に至っている。石質は玄武岩である。碑面に線刻された図像は、正面向きの阿弥陀如来像が蓮花台上に立ち、上品巾生印を契び光芒を放つ頭光を負っている。
図像を挟んで左に一行
「大勧進 沙弥 成佛彫手僧長命」
右に二行「右志為真覺並法界衆往生□□(極楽)
「建長七年乙卯二月十五日西暦1255年彼岸中」の銘がある。
(阿弥陀如来像板碑説明板より)
参道を登りきると広い境内右手に手水舎奥に社殿
【由緒】
熊野神社は鷺白山の北の峰、緑豊かな「なぎの木」しげる鎮守の森に奥床しく鎮座されている。御祭神は伊邪那美命、饒速日命他三柱を祀り、日本の建国に最も功績の高かった神々で、文武に勝れた開運の守り神である。
社伝によるれば、神武帝が東遷のおり御船を海浜につなぎ、この山上の石に腰掛け四辺を展望されたことから「御腰掛石」が残っており、大小二石あることから「夫婦石」とも呼ばれている。後に神功皇后が新羅へ進幸される時、神武帝の故事に倣いこの地が勝れた霊山であるので祭祀の御座に藁筵を敷き熊野大神を招請して、戦勝を祈念された。その折白鷺が飛来して傍らの松樹に止まり、筵内の村名と鷺白山の地名が起こったと言う。
天安五年(1448)足利義政将軍の時、鷺白山から現在地に移され、天文年中(1532~1554頃)義晴将軍の時再建された。
九月十六日から十八日迄の祭礼には三町余(三百五十米)山下の頓宮(宝満神社跡地)へ渡御されていた。(社伝は筑前国続風土記拾遺巻乃25に拠る)
明治五年十一月三日 村社に列格
明治四十四年七月四日 五所大神社、宝満神社、貴布弥神社、天御前神社、白山神社を
本社境内に移転合併
大正十二年八月十三日 愛宕神社を境内に移転合併
県指定文化財である阿弥陀如来像板碑、神仏混合の名残である本地堂の阿弥陀仏像、本殿にある龍の彫刻、伝説に残る黒駒の絵馬をはじめ多くの絵馬を拝殿内にみることができる。
現在の祭礼
元旦祭 一月一日
初祈願祭 三月二日
春季祭典 五月初午(十日までにない時は初卯)
秋季祭典 九月初卯(同右 初午)
宮 座 10月16日
(境内入口の石碑より
拝殿 本殿
燈篭?
神武天皇が腰掛けた「御腰掛石」への入口
境内右側には5つの境内社が並んでいます。
当社はJR古賀駅より東におよそ3kmの筵内(むしろうち)地区の大根川沿いの県道から数10m入った高台に鎮座されています。
熊野神社 「故宮(もとみや)」 若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)
【御祭神】
饒速日命(にぎはやひのみこと)
速玉男命(はやたまのをのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
事解男命(ことさかのをのみこと)
宇麻志麻知命(うましまぢのみこと)
正徳元年(1711年)建立一の鳥居の
二の鳥居をくぐると長い石段の参道が続きます。
平成14年11月竣工、全長:132.776m、石段数:250石
参道入口近くにある石碑、安政四丁巳(1857年)北辰妙見宮とあります。
以前は若一王子宮とよばれていました。
同じく参道途中に阿弥陀如来像板碑が保存されています。
県指定考古資料
熊野神社阿弥陀如来像板碑
昭和33年10月29日福岡県指定
昔、莚内に疫病が大流行した。その疫病を封ずる為に阿弥陀如来像、薬師如来像、摩滅して不明の三像を三個の平石に刻んで大根川岸に建てた。それが洪水で流され残った阿弥陀如来像板碑は熊野神社に移され今日に至っている。石質は玄武岩である。碑面に線刻された図像は、正面向きの阿弥陀如来像が蓮花台上に立ち、上品巾生印を契び光芒を放つ頭光を負っている。
図像を挟んで左に一行
「大勧進 沙弥 成佛彫手僧長命」
右に二行「右志為真覺並法界衆往生□□(極楽)
「建長七年乙卯二月十五日西暦1255年彼岸中」の銘がある。
(阿弥陀如来像板碑説明板より)
参道を登りきると広い境内右手に手水舎奥に社殿
【由緒】
熊野神社は鷺白山の北の峰、緑豊かな「なぎの木」しげる鎮守の森に奥床しく鎮座されている。御祭神は伊邪那美命、饒速日命他三柱を祀り、日本の建国に最も功績の高かった神々で、文武に勝れた開運の守り神である。
社伝によるれば、神武帝が東遷のおり御船を海浜につなぎ、この山上の石に腰掛け四辺を展望されたことから「御腰掛石」が残っており、大小二石あることから「夫婦石」とも呼ばれている。後に神功皇后が新羅へ進幸される時、神武帝の故事に倣いこの地が勝れた霊山であるので祭祀の御座に藁筵を敷き熊野大神を招請して、戦勝を祈念された。その折白鷺が飛来して傍らの松樹に止まり、筵内の村名と鷺白山の地名が起こったと言う。
天安五年(1448)足利義政将軍の時、鷺白山から現在地に移され、天文年中(1532~1554頃)義晴将軍の時再建された。
九月十六日から十八日迄の祭礼には三町余(三百五十米)山下の頓宮(宝満神社跡地)へ渡御されていた。(社伝は筑前国続風土記拾遺巻乃25に拠る)
明治五年十一月三日 村社に列格
明治四十四年七月四日 五所大神社、宝満神社、貴布弥神社、天御前神社、白山神社を
本社境内に移転合併
大正十二年八月十三日 愛宕神社を境内に移転合併
県指定文化財である阿弥陀如来像板碑、神仏混合の名残である本地堂の阿弥陀仏像、本殿にある龍の彫刻、伝説に残る黒駒の絵馬をはじめ多くの絵馬を拝殿内にみることができる。
現在の祭礼
元旦祭 一月一日
初祈願祭 三月二日
春季祭典 五月初午(十日までにない時は初卯)
秋季祭典 九月初卯(同右 初午)
宮 座 10月16日
(境内入口の石碑より
拝殿 本殿
燈篭?
神武天皇が腰掛けた「御腰掛石」への入口
境内右側には5つの境内社が並んでいます。
春日市と筑後市でも確認しているのですが、両方とも良い雰囲気でした。筑後市のものはかなり大きい。春日市のものは岡本遺跡で有名な岡本地区のさなかにあって、周囲を弥生時代の遺跡群に囲まれる状況です。春日市のものは由来がはっきりしないようですが、拝殿の付近には天然記念物の樫の木の森もあって見所。(http://w.nsview.net/v/00027/)