8/26、本サイト(九州神社紀行)を更新しました。
神武東征の日向の船出から、大和の橿原の宮での即位まで順路を追って、ゆかりの神社を順次掲載します。
表紙の神社を神武一行が、熊野神邑に到着後、ただちに向かった「天磐盾」を元宮とする、熊野速玉大社から飛瀧神社に変更しました。
飛瀧神社は、神武天皇が熊野に再上陸されたとき「那智の大滝」を見つけ、この御瀧を大己貴命の御霊代として祀られたことが起源と伝えられています。
「日本書紀」には、「天磐盾」に登ったのち、神武天皇は軍船を進めましたが、暴風により先の彦五瀬命に続き兄の稲飯命、三毛入野命も失いましたが、熊野の「荒坂津」(別名にしきうら)に着いたとあります。(古事記では、稲飯命、三毛入野命は日向を出発する前に亡くなって、彦五瀬命と二人で出発とあります。)
熊野那智大社の社伝には、神武天皇が「にしきうら」に上陸したとき、那智の山中に光るものを見つけます。探してみるとそれは巨大な滝(那智の大滝)でした。そこで大滝を神として祀りました。その守護の下、八咫烏に導かれて大和に入ったと伝えています。
飛瀧神社(ひろうじんじゃ)
【鎮座地】〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山1 旧紀伊国 牟婁郡
【御祭神】大己貴命
【例祭】 1月1日 歳旦祭 7月14日 例祭
【旧社格等】熊野那智大社別宮
【御由緒】
御案内
その昔、神倭磐余彦尊(神武天皇)が、この大瀧を神と祀られ大穴牟遅神の御神体と仰がれました。後に飛瀧権現と称し、今日では飛瀧神社となり、崇めて「お瀧」と申します。
高浜虚子は、この御瀧を「神にませばまことうるわし 那智の滝」と詠じています。
大瀧は那智原始林から流れ出ている大川の流れがこの断崖にかかり落下して日本一の名瀑であり、世界遺産で国の名勝となっています。
又、この地域は吉野熊野国立公園特別地域・風致保安林・天然記念物にもなっています。
那智の瀧は直下一三三メートル・銚子口の幅は十三メートル・滝壺の深さ十メートル・平時の水量は毎秒一トン程度と申します。
宇多上皇(一千百年余前)をはじめ百十余度の御幸があり、花山法皇の千日山籠り、又、役行者の滝業以来、修験道の道場となりました。
熊野那智大社
別宮 飛瀧神社
【参拝月日】 04/04/2009
御瀧全景
神武天皇が御東征の砌、熊野灘から上陸して、那智の滝に大己貴神を祀り、その守護のもと八咫烏の案内で山々を越えて大和に入られたと伝えられています。
社前の鳥居の前にはお清めの護摩木(初穂料100円)を焚く大きな釜?があり、煙がたなびいています。
那智御瀧 飛瀧神社
落差 133メートル
銚子口の幅 13メートル
滝壷の深さ 10メートル
世界遺産
国指定名勝 (ニノ瀧・三ノ瀧を含み一那智大瀧 )
日本の滝百選 日本の名水百選
日本の音のある風景百選 隣接域の那智原始林も世界遺産・国指定天然記念物
(現地案内板)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます