内田樹さんは、
与えられたデーターを
合理的に説明する能力に長けた人だ。
しかし、分析は、
現状を与えられたものとして
絶対化する弊害がある。
すなわち、
条件関係が変更可能であることを
忘れさせる効果があり、
時には説明するのを投げ出す方が
分析される
住民のためになるのでは、
と思うな。
つまり、もし、「一枚岩組織」が「寄り合い所帯」が
選挙戦において有利
ということが教訓化されれば、
野党の協力が
初めから遠ざけられる原因にもなるのだ。
内田さんの指摘も
「自民党より、維新の会が与党に見られた」
ということを
抽出するだけで充分ではないかな。
〔資料〕
「大阪ダブル選、内田樹さん寄稿『一枚岩を選んだ有権者』」
朝日新聞:内田樹さん寄稿(2015年11月25日14時15分)
☆ 記事URL:http://www.asahi.com/articles/ASHCL3DY4HCLPTFC003.html
ダブル選では、政策的には候補者間に大きな違いはなかった。いずれの候補者も大阪の全方位的な長期低落傾向を嘆き、再活性化の喫緊であることを訴えていた。そして、結局「大阪都構想」が再び争点になった。ふつう半年前に否決された政策が(特段の条件の変化があったわけでもないのに)再び争点化するということはない。ということは、この選挙のほんとうの「賭け金」が政策ではなかったということを意味している。
大阪の有権者が選択を求められたのは政策の「中身(コンテンツ)」ではなく、候補者の人間性あるいは手法という「容(い)れ物(コンテナー)」だったと私は理解している。維新・非維新候補の際立った違いは何よりも「一枚岩の政党」の候補者か「寄り合い所帯」の候補者かという点にあった。
有権者たちはその違いに最も敏感に反応した。「街の声」でも、SNSに流れた感想でも、大阪維新のアドバンテージとして「話がわかりやすい」「言うことに一貫性がある」を挙げたものが多かったし、逆に、自民党・民主党・共産党が推した候補者たちはまさに国政において対立している政党の支援を基盤にしたゆえに、いったいどのような立場を代表しているのか「わからない」という批判に終始さらされた。有権者は「一枚岩組織」のもたらす「わかりやすさ」を選好し、「寄り合い所帯」の「わかりにくさ」を退けたのである。
〔資料-2〕
「内田さんの寄稿について」
平松邦夫さん(2015年11月26日、2:20)
☆ 記事URL:https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1052476491481660&id=319828041413179&ref=bookmarks
朝日新聞デジタル。私の師匠の一人と思っている内田さんの寄稿。
今回の選挙の候補者については、その人柄を知っており、尚且つ勝手に応援団を自称した者として、にわかに頷くことはできない。
しかも、住民投票の総括や維新政治の危うさを訴え続けたひとりとしてむしろ、寄り合い所帯の繋がりを強めることが、勝てる可能性がある唯一の手段だと思ってきた。
そんな思いで違和感を持ちながら読み進むと、納得させられてしまった。
内田先生の独特の論法なのか、細部までご存じないこと(この場合は候補者の人柄)はさらっと流し、この社会の本質をグサリと突いてくる。
特別寄稿なので全文掲載なのだと思うが、また、内田先生とゆっくり話したいと感じた。
与えられたデーターを
合理的に説明する能力に長けた人だ。
しかし、分析は、
現状を与えられたものとして
絶対化する弊害がある。
すなわち、
条件関係が変更可能であることを
忘れさせる効果があり、
時には説明するのを投げ出す方が
分析される
住民のためになるのでは、
と思うな。
つまり、もし、「一枚岩組織」が「寄り合い所帯」が
選挙戦において有利
ということが教訓化されれば、
野党の協力が
初めから遠ざけられる原因にもなるのだ。
内田さんの指摘も
「自民党より、維新の会が与党に見られた」
ということを
抽出するだけで充分ではないかな。
〔資料〕
「大阪ダブル選、内田樹さん寄稿『一枚岩を選んだ有権者』」
朝日新聞:内田樹さん寄稿(2015年11月25日14時15分)
☆ 記事URL:http://www.asahi.com/articles/ASHCL3DY4HCLPTFC003.html
ダブル選では、政策的には候補者間に大きな違いはなかった。いずれの候補者も大阪の全方位的な長期低落傾向を嘆き、再活性化の喫緊であることを訴えていた。そして、結局「大阪都構想」が再び争点になった。ふつう半年前に否決された政策が(特段の条件の変化があったわけでもないのに)再び争点化するということはない。ということは、この選挙のほんとうの「賭け金」が政策ではなかったということを意味している。
大阪の有権者が選択を求められたのは政策の「中身(コンテンツ)」ではなく、候補者の人間性あるいは手法という「容(い)れ物(コンテナー)」だったと私は理解している。維新・非維新候補の際立った違いは何よりも「一枚岩の政党」の候補者か「寄り合い所帯」の候補者かという点にあった。
有権者たちはその違いに最も敏感に反応した。「街の声」でも、SNSに流れた感想でも、大阪維新のアドバンテージとして「話がわかりやすい」「言うことに一貫性がある」を挙げたものが多かったし、逆に、自民党・民主党・共産党が推した候補者たちはまさに国政において対立している政党の支援を基盤にしたゆえに、いったいどのような立場を代表しているのか「わからない」という批判に終始さらされた。有権者は「一枚岩組織」のもたらす「わかりやすさ」を選好し、「寄り合い所帯」の「わかりにくさ」を退けたのである。
〔資料-2〕
「内田さんの寄稿について」
平松邦夫さん(2015年11月26日、2:20)
☆ 記事URL:https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1052476491481660&id=319828041413179&ref=bookmarks
朝日新聞デジタル。私の師匠の一人と思っている内田さんの寄稿。
今回の選挙の候補者については、その人柄を知っており、尚且つ勝手に応援団を自称した者として、にわかに頷くことはできない。
しかも、住民投票の総括や維新政治の危うさを訴え続けたひとりとしてむしろ、寄り合い所帯の繋がりを強めることが、勝てる可能性がある唯一の手段だと思ってきた。
そんな思いで違和感を持ちながら読み進むと、納得させられてしまった。
内田先生の独特の論法なのか、細部までご存じないこと(この場合は候補者の人柄)はさらっと流し、この社会の本質をグサリと突いてくる。
特別寄稿なので全文掲載なのだと思うが、また、内田先生とゆっくり話したいと感じた。
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