のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

石巻の風景(3)

2011年12月16日 05時09分11秒 | Weblog
たこ焼さんの店から、

十数メートル。

角を曲がったら、

こんな建物がありました。



タクシーに乗りました。

震災の傷跡は、女川の方が大きいとのことです。

しかし、距離的に遠いので

石巻周辺だけを

観て回るに留めることにしました。



手前に墓が見えるでしょ?

車を降りて、

後ろの山を駆けあがった人は、

生き延びたようです。

墓に手をかけて

それを足がかりに脱出するような

縁起の悪いことができるか…と、

別に避難経路を求めた人は、

津波に押し流されてしまったようです。














車が2層か、3層ぐらいで積まれていました。

車内には、死体があったでしょう。

自衛隊員の御苦労も考え、

圧倒されるものがありました。

今もなお、整然と積まれた車の、その一台、一台に、

重ねられ

折られた死者の、

無念の叫びが詰まっているように見えました。





写真がぼけてますけど、

ここで、チベットの僧侶、ダライ・ラマ14世が

法話をされたようです。



白く浮き上がって見える、

この蔵、江戸時代に作られたものらしいです。

昔の建築物の方が

地震や津波に対して抵抗力があるのが

目の前ですっくり立つ形で証明されているんですからね、

とても説得力がありました。

運転手さんによると、

この蔵の保存を訴える声があるようです。





下、二枚の写真は、

高台にある神社から石巻の街を撮ったものです。

すっかり日が落ちてきましたが、

かつて人の住んでいた街は空き地となり、

明りが灯りません。

真っ暗で一面、海のように見えるけれど、

ほとんど陸地のはずです。






神社の裏手は、

丘陵地になっていました。

そこに建つ家屋は、ほとんど無傷です。

浜辺側に建っていた家が

ほぼ全滅なのに比べ、大変な違いです。

こういう被害状況の違いが

住民同士の絆を

あるいは、もっと視野を広く取り

考えれば、

日本に住む者同士を

引き裂いているのだと言っていいのでしょう。

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