兵頭正俊@hyodo_masatoshiさんのツイートです。
――敗戦後、同じ枢軸国だったドイツやイタリアは、権力の弾圧の犠牲者に国家賠償を実施した。しかし、わが国の場合、治安維持法の犠牲者に対して国家はなんの謝罪も損害補償もしなかった。また拷問・虐殺に直接・間接に加わった特高たちは罰せられることもなかった。「無責任の体系」(丸山真男)なのだ。〔2013年12月12日 - 14:53 〕――
不朽の名作っていいますけど、
丸山真男は、
「無責任の体系」
という言葉一つで
不朽の研究書を世に問うた
学者として歴史に名を残すでしょうね。
現に誰も責任とらないという
実証例が
自民党に一杯あります。
安倍晋三首相が
所属する
清和会のリーダーである
町村 信孝議員など、
父親が
町村金五と言い、
「特高警察を指揮した内務官僚」
だったそうです
(ウィキぺデイア「特高」の項参照)。
親と子は、
別人格です。
しかし、親が政治責任を問われていれば、
子の信孝氏は、
議員にならなかったのじゃないでしょうか。
だとすれば、
彼は、
血脈関係で「無責任」を
体現しています。
安倍晋三も
祖父の岸信介が
きちんと戦前にしたことの
責任を
果たしておれば、
孫の出番はなかったと言えそうです。
無責任という
事実その通りな、
このふしだらな政治的ごまかしが
町村 信孝という政治家と
安倍晋三を
結びつけているんじゃないでしょうか。
そしてその結果として、
日本において
屈折した社会関係が
常態化しているんじゃないでしょうか。
特高警察により
保たれた悪しき旧秩序が
階層的断絶として
新たに生み直されるとすれば、
「無責任の体系」
過去の課題が
いつまでも現在の課題であり続ける
ということです。
それが
乗り越えられない限り、
日本社会の
“閉鎖性”
という課題とともに現存し続けるのです。
丸山真男の指摘は、
いつまでも新鮮さを失いません。
――敗戦後、同じ枢軸国だったドイツやイタリアは、権力の弾圧の犠牲者に国家賠償を実施した。しかし、わが国の場合、治安維持法の犠牲者に対して国家はなんの謝罪も損害補償もしなかった。また拷問・虐殺に直接・間接に加わった特高たちは罰せられることもなかった。「無責任の体系」(丸山真男)なのだ。〔2013年12月12日 - 14:53 〕――
不朽の名作っていいますけど、
丸山真男は、
「無責任の体系」
という言葉一つで
不朽の研究書を世に問うた
学者として歴史に名を残すでしょうね。
現に誰も責任とらないという
実証例が
自民党に一杯あります。
安倍晋三首相が
所属する
清和会のリーダーである
町村 信孝議員など、
父親が
町村金五と言い、
「特高警察を指揮した内務官僚」
だったそうです
(ウィキぺデイア「特高」の項参照)。
親と子は、
別人格です。
しかし、親が政治責任を問われていれば、
子の信孝氏は、
議員にならなかったのじゃないでしょうか。
だとすれば、
彼は、
血脈関係で「無責任」を
体現しています。
安倍晋三も
祖父の岸信介が
きちんと戦前にしたことの
責任を
果たしておれば、
孫の出番はなかったと言えそうです。
無責任という
事実その通りな、
このふしだらな政治的ごまかしが
町村 信孝という政治家と
安倍晋三を
結びつけているんじゃないでしょうか。
そしてその結果として、
日本において
屈折した社会関係が
常態化しているんじゃないでしょうか。
特高警察により
保たれた悪しき旧秩序が
階層的断絶として
新たに生み直されるとすれば、
「無責任の体系」
過去の課題が
いつまでも現在の課題であり続ける
ということです。
それが
乗り越えられない限り、
日本社会の
“閉鎖性”
という課題とともに現存し続けるのです。
丸山真男の指摘は、
いつまでも新鮮さを失いません。
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