昔、新聞配達をしていたことがあります。あるマンションに入ったとき、小学校の3年生ぐらいの男の子に「あっ、悪党のおっさんや。出て行け!」と罵声を浴びせられ、追いかけ回されたことがあります。
「何故、そんなことを言うの?」と聞くと、「親がそう言っとった」ということでした。しかし、その君の親御さんとは面識がありません。その少年の偏見としか言いようがありませんでした。そういう苦い体験を踏まえて、どうすれば、偏見を打破し得るかということを考えたいと思います。
僕は、自分の親の認知症のことを書きました。しかし、人によっては、他人に触れられたくない「恥」なのです。隠したい一心で認知症者を囲い込んでしまう場合もあります。それもまた、世間の介護者への偏見を思うとむべなるかな、です。しかし、問題を一人で抱え込んだままでいると、正確な情報が周りに伝わらず、死なずに済む命を捨ててしまうことにもなりかねないです。だから、他人が受け入れてくれるの待つのでなく、もっと積極的に自分を売り込んでいく術を身につけておいた方がよいのです。
さて、本題の認知症者の介護ですが、この介護という義務を引き受けた家族への偏見は、罪が重いです。なぜなら、家族は、医療の専門家の診断を受け入れず、本人に判断力が戻ることを、往々願っているからです。
一方で、認知症者とは、「ぼけた人」。「街を徘徊する常習道路交通違反者」、あるいは、「財産を横領、または騙し取られるお人好し」というイメージが大勢の人の中に出来上がっています。他方で、介護者は「ぼけた人を食い物にするヒトデナシ」です。パラサイトという言い方さえ定着してます。
どうしてそう思うのでしょう。根本的には、一部の事実を全部の事実と考えてしまう人間の思考形式にその原因があります。
地域で支える出足が遅れれば遅れるほど、認知症者の症状が悪化し、介護者の生活改善に向かうパワーが減少します。
あるテレビ番組によると、
≪2020年には日本の認知症の患者はおよそ300万人、高齢者の9人に1人が「認知症」という時代になろうとしている≫そうです。
同番組の解説に「家族に突きつけられる厳しい現実」という文言が出てきます。確かにその通りと思いますが、主な原因の一つが「偏見」です。弱者切り捨ての発想については、学問的にも研究されています。ただ、その解消は、一筋縄では行かないだろうな、と思います。
現段階の結論としては、接触の入り口に、知識を持ってくるな、ということでしょうか。知識も無意味ではありません。しかし、人々の共感を呼びこむためには効果が薄いのです。たとえば、知識だけなら、厚労省の政策レポートなど、よく出来ていますから、参照されたらよいでしょう。しかし、「自分とは関係ない」で終わってしまうのではないでしょうか。介護されている方が重い口を開き、「人間の物語」を話し始めることが、一般市民を誘い、社会から偏見をなくすための一歩を踏み出すきっかけとなります。
「何故、そんなことを言うの?」と聞くと、「親がそう言っとった」ということでした。しかし、その君の親御さんとは面識がありません。その少年の偏見としか言いようがありませんでした。そういう苦い体験を踏まえて、どうすれば、偏見を打破し得るかということを考えたいと思います。
僕は、自分の親の認知症のことを書きました。しかし、人によっては、他人に触れられたくない「恥」なのです。隠したい一心で認知症者を囲い込んでしまう場合もあります。それもまた、世間の介護者への偏見を思うとむべなるかな、です。しかし、問題を一人で抱え込んだままでいると、正確な情報が周りに伝わらず、死なずに済む命を捨ててしまうことにもなりかねないです。だから、他人が受け入れてくれるの待つのでなく、もっと積極的に自分を売り込んでいく術を身につけておいた方がよいのです。
さて、本題の認知症者の介護ですが、この介護という義務を引き受けた家族への偏見は、罪が重いです。なぜなら、家族は、医療の専門家の診断を受け入れず、本人に判断力が戻ることを、往々願っているからです。
一方で、認知症者とは、「ぼけた人」。「街を徘徊する常習道路交通違反者」、あるいは、「財産を横領、または騙し取られるお人好し」というイメージが大勢の人の中に出来上がっています。他方で、介護者は「ぼけた人を食い物にするヒトデナシ」です。パラサイトという言い方さえ定着してます。
どうしてそう思うのでしょう。根本的には、一部の事実を全部の事実と考えてしまう人間の思考形式にその原因があります。
地域で支える出足が遅れれば遅れるほど、認知症者の症状が悪化し、介護者の生活改善に向かうパワーが減少します。
あるテレビ番組によると、
≪2020年には日本の認知症の患者はおよそ300万人、高齢者の9人に1人が「認知症」という時代になろうとしている≫そうです。
同番組の解説に「家族に突きつけられる厳しい現実」という文言が出てきます。確かにその通りと思いますが、主な原因の一つが「偏見」です。弱者切り捨ての発想については、学問的にも研究されています。ただ、その解消は、一筋縄では行かないだろうな、と思います。
現段階の結論としては、接触の入り口に、知識を持ってくるな、ということでしょうか。知識も無意味ではありません。しかし、人々の共感を呼びこむためには効果が薄いのです。たとえば、知識だけなら、厚労省の政策レポートなど、よく出来ていますから、参照されたらよいでしょう。しかし、「自分とは関係ない」で終わってしまうのではないでしょうか。介護されている方が重い口を開き、「人間の物語」を話し始めることが、一般市民を誘い、社会から偏見をなくすための一歩を踏み出すきっかけとなります。
忠太さんが言われるように「人間物語」を皆が語り始めたら
見方が変わって来るでしょうね。
NHKでも最近、老々介護、若年性認知症のご本人、介護者の方が
出演されていろんな状況を話してありますが、もっと啓発活動が増えて改善されたら良いですね。
認知症はTVとかでもニュースになってますね。
だけど私の周囲ではそんな話を聞かないのです。
言えないのでしょうか・・・・
ふと考えてしまいました。