「週間・金曜日」の裏表紙に
毎週、掲載されている記事があります。
「むかつくコトバ」がそれです。
この記事は、リレー方式で
その週に担当した人が
次のお題と次週の担当者を決めます。
26日、つまり明日は、近藤房之助さん担当で、
お題は「自分へのごほうび」です。
出題と指名をしたのは、島本慶さんです。
どんなこと書くでしょうね。
僕なら・・・
ごほうびを自分にあげたくとも、
肝心の、そのご褒美が思いつかないという、
いたってシンプルな事実がむかつく原因であろうかと
分析致します。
ところで、まもなく12月ですね。
年末ジャンボ宝くじのシーズンです。
例年、悩むのではないですか、買うか買わないか――。
昨日が宝くじの発売開始日だったようです。
さて、皆さんは、一億円の夢を見ますか。
見るつもりであれば、
ここを参照。
ただし、
お金を使えば、多分、
「当たった~」
という、誰かの喜びの声を虚しく聞かねばなりません。
その声はきっと、「自分への罰」のような響きがあるでしょう。
(いたた!)
という感じかな。
えっ? 買わなくってもあるって?
だったら、買うべきですかね。
しかし、
<三度目の正直がならなかったら、四度目の正直、五、六度目、
・・・九十九度目・・・それでもならなかったら、百度目の・・・>
という思考の飛躍を論理学では
「ギャンブラーの誤り」と言います。
いくらでも「次がある」くじの世界で、そんな誤りに陥らないようにして下さいね。
余計なことかもしれませんが、
三億円使おうが十億円使おうがこの判定基準は妥当します。
反対に、たとえば九十九度、挑戦して駄目だったからと
百度目を諦めるのを、
「帰納法の誤り」と言います。
(何や、進むも誤り、退くも誤りかいな)と思われるでしょうね。
そうなんです、論理的には、どちらも誤りなんですよ。
要するに、一寸先は闇、分からない・・・んです。
買うのならそれこそ、外れ覚悟で
「自分へのごほうび」として購入せよということになりますかね。
「自分へのごほうび」は、万が一の幸運に賭ける・・・
納得の方、ポチッとお願いします。
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「むかつくコトバ」がそれです。
この記事は、リレー方式で
その週に担当した人が
次のお題と次週の担当者を決めます。
26日、つまり明日は、近藤房之助さん担当で、
お題は「自分へのごほうび」です。
出題と指名をしたのは、島本慶さんです。
どんなこと書くでしょうね。
僕なら・・・
ごほうびを自分にあげたくとも、
肝心の、そのご褒美が思いつかないという、
いたってシンプルな事実がむかつく原因であろうかと
分析致します。
ところで、まもなく12月ですね。
年末ジャンボ宝くじのシーズンです。
例年、悩むのではないですか、買うか買わないか――。
昨日が宝くじの発売開始日だったようです。
さて、皆さんは、一億円の夢を見ますか。
見るつもりであれば、
ここを参照。
ただし、
お金を使えば、多分、
「当たった~」
という、誰かの喜びの声を虚しく聞かねばなりません。
その声はきっと、「自分への罰」のような響きがあるでしょう。
(いたた!)
という感じかな。
えっ? 買わなくってもあるって?
だったら、買うべきですかね。
しかし、
<三度目の正直がならなかったら、四度目の正直、五、六度目、
・・・九十九度目・・・それでもならなかったら、百度目の・・・>
という思考の飛躍を論理学では
「ギャンブラーの誤り」と言います。
いくらでも「次がある」くじの世界で、そんな誤りに陥らないようにして下さいね。
余計なことかもしれませんが、
三億円使おうが十億円使おうがこの判定基準は妥当します。
反対に、たとえば九十九度、挑戦して駄目だったからと
百度目を諦めるのを、
「帰納法の誤り」と言います。
(何や、進むも誤り、退くも誤りかいな)と思われるでしょうね。
そうなんです、論理的には、どちらも誤りなんですよ。
要するに、一寸先は闇、分からない・・・んです。
買うのならそれこそ、外れ覚悟で
「自分へのごほうび」として購入せよということになりますかね。
「自分へのごほうび」は、万が一の幸運に賭ける・・・
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