のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「元少年A」のオリジナリティへのこだわりがかえって、本人性を疑わせる

2015年09月15日 14時14分08秒 | 犯罪
計見 一雄著「脳と人間-大人のための精神病理学 」(講談社学術文庫)

という本がある。

それによると、

「ユニークな狂気」はないとのことだ。

鳥山仁さんという人が

「元少年A」の

著書に関連して述べていた。

つまり、本物の狂気って、

案外にオリジナリティがないため

「平凡」であると

解釈してしまうものだということだ

(サイト記事「絶歌は幻冬舎ゴーストが書い(まとめ)ているため読むに値しない 」3枚目参照。*http://togetter.com/li/834566?page=3)。

こんな言いようだ。

――精神科医の計見一雄が述べた「ユニークな狂気はない」は至言で、狂っている人間の言動はよく観察すると、オリジナリティに欠けているのが分かる。ところが、これを平凡である証拠としてしまう阿呆が結構いる。全然違う。狂っているから独自性がないのだ。〔19:36 - 2015年6月14日 〕――

結構、辛辣でしょ?

それで

思い出したのは、

「アクト オブ キリング」

という映画に登場する殺人者の言葉だ。

この映画は、

1965年9月30日、

インドネシアのジャカルタで実際に殺人を行った者に

映画で

「殺し屋」や「被害者」を

演じさせている

(拙稿「映画『ルック・オブ・サイレンス』予告編 」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/cdf1e5d6e114b54a24202a89e1fde845)。

その殺人者は何といったか――。

「被害者は、自分が殺されたことを感謝している」

という想念で、

自分を許していたというのだ。

この考え方の

「靖国神社」で軍神として祀られている

英霊伝説と

何と似ていることだろう。

日本の戦犯たちは、

強制的に若者を死地に追いやったくせに、

犠牲になった英霊は、

戦犯たちに感謝している、

何しろ、神様になれたのだから、

という発想と

考え方の骨格が同じだ。

僕が「元少年A」のホームページを訪問して、

このページ作成者は、

本物ではないと断じた背景には

この自己正当化の

類似性が認められないということもあったこと、

改めて、

付け加えておく

(拙稿「「元少年Aのホームページ」について」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/678f74157f6b00b9f2cfb80a7e97dade)。


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