のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

うつ病でなくとも、うつ病の人が気になる・・・ってことはあるんだよ

2008年09月20日 22時26分44秒 | Weblog
A:鯉が気持ちよさそうに泳いでいるね。

B:どうして君に鯉の気持ちがわかるの? 鯉は、別に気持ち良くないだろうよ。

A:そう言う君こそ、どうして僕の気持がわかるのさ。


中国の古代の思想家、荘子が紹介してる二人の人物の会話です。最近、どうして

だか、よくこの会話を思い出します。

インターネットで友達が増え、嬉しく思っています。ただ、この手の行き違いが増

えるんだろうな、とも思います(杞憂でありますように)。

昨日、自称うつ病のこと書きました。それに関して、一つ付け加えておきたいと思

います。それは、「自称」に問題があるのじゃないということ――。

自称する人のうつ病の理解自体に問題があるのです。

「バッキャロ~」だの「キチガイめ」だのと罵った上、謝罪を要求して鬱憤を晴らし

たがるタイプの人間が、たまさか障害者認定を受けて、「僕(私)は、障害者。気

を遣ってね」とばかりに、己の病気の診察結果をカミングアウトします。

結果として、その人は、社会的に顰蹙をかうようなことをしたり、他人を侮辱した

りしたがります。カミングアウトによって、他人を踏みにじってよい権利を取得し

たかのような勘違いをしているわけですね。

丁度、殺人事件の被害者家族が「極刑を!」と訴える姿に、”らしさ”を感じる人

たちと、妙な一致があります。実際に、被害者(病者)になってみないと、本当の

こと(犯人を殺したいという気持ち)は分からないという思い込みがあるという点

です。つまり、心の病気になるというのは、ある意味、その人にとって凶悪犯罪の

被害者になることと同じなのですね。しかし、この議論には盲点があります。生き

ている限り、誰でも、理不尽な犯罪の被害者(心の病気)になる可能性があるとい

うことを無視している点です。これは、怖いことです。

ここで、朝青龍の名を出せば、名誉棄損になりますかね。これは、みんなの問題で

す。彼は、一例に過ぎません。それほど、現代人は、心を病みやすくなっています。

弱さを克服するには、まず、それを意識化しなければなりません。そのような意味

では、朝青龍は先覚者です。

自分の弱さをよく自覚した上で、是非、当たり前に生き、最終的に互いを受け入れ

られるような優しい人間関係を作り出したいものですね。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
夜分です・・ (rikopin)
2008-09-21 00:39:17
おっしゃるとおりだと思います。

人間って...明日が分かりません。
今日、この瞬間を感謝するしか、心の平穏を得られないような気がします。

自分の周りが幸せで、ましてや自分の今を受け入れてもらい、ほころびだらけの自分でも何とか精一杯がんばれる事にいつも感謝しなくてはと、思っています。  
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こんばんは! (エルモリア)
2008-09-21 20:15:51
うつ状態と、うつ病のボーダーラインは
どこらへんなのでしょうかね。

うつ状態は、体調とも関連して、だれにでも起こりうる
ことだと思います。

そんなときにはやはり、押し付けではない、周囲の
温かい眼差しと理解が、いちばんのお薬かな~と思います
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今晩は (忠太)
2008-09-21 21:20:53
☆rikopinさんへ
喜ばしく幸せであり続けてください。より一層の感謝に恵まれた人生が待っていることでしょう。

☆エルモニアさんへ
周りの人の愛情に期待すると、
「甘えるな~」と言われそうでしょう。
そんなことありません?
うつ状態の最たるものは、自罰意識ではないでしょうか。苦しいですよ・・・
自分が自分の牢獄になるのです。克服法は、自分を許す術を知ることだと思います。不思議にそれは、気がかりな人すべてを許してあげる衝動へと発展します。
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心は難しいですね。 (obichan)
2008-09-23 17:26:13
旦那さんがうつで仕事をよく休まれる人がいます。一緒にいてくれないと自殺しそうだといいます。たまにそういうときがあるようです。
自分が自分の牢獄だけでなく家族をも巻き込み、全員が牢獄に繋がれている気がすると、参ってる人がいます。

会社の人からはやはり甘えって映るようです。
本人だけでなく家族も働けなくなってるようです。これも自罰意識?その人の心の底は解らないので何も言えません。

本人が意識を持とうとしないのはどうすればいいのでしょう。それってどうしても甘えにみえてしまいますが。
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プチうつって、流行っていますね。 (小町)
2008-09-23 20:39:40
みんな、ときどき、凹むし、一人で悩むこともあったり、なんか~気分が、落ちるってありますねっ・・・。

そんなときは、一旦、問題から、離れたり、
リフレッシュして、非日常を、味わってみたり、ちょっとお散歩、映画・・・

そういうのが、できなくなると、我慢の連続で、うつもどきになるのかもしれません。

とっても、千差万別の心の風邪。
私もお友達が、そうだったので、そのときは、赤ちゃんに戻ったと思って、接していました。
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家族、友人、知人を巻き込む病 (忠太)
2008-09-24 02:48:32
そういうのを共依存といいます。
「私(俺)がいなければ、この人はダメになってしまう」という思い込みから、世話せざるを得なくなってしまうのですね。

しかし、人間は、思いのほか、強いのです。思い切って突き離してみる、というのが唯一の解決手段なのです。

しかし、依存関係が進行すると、そうは思えなくなってしまうのですね。苦しめられ、困っている家族が、そのような生活に生甲斐を感じるようになってしまうからです。

そういう意味で、おびちゃんの「甘えに見える」という指摘は、正当なものを含んでいます。

「自分の穴は自分で拭かせる」。汚い表現ですが、その対応が、実は、一番その人のためになると思います。

自覚というは、結局、当のその人がせねば、意味のない繰り事に終わります。

いくら夫婦でも、また、いかな親友でも変えられない宿命です。そういう風に人間は、出来上がっています。文句いっても始まらないですよ。

小町さんがおっしゃっている「いったん問題から離れる」という発想は、人間の獲得した英知そのものと言っていいほど大切な生きるちえではないでしょうか。

そして、病んでいる人は、大変な代償を払いながらそれを学んでいらっしゃる・・・。僕なぞは、単純にそのように信じております。
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こんにちゎ (とうふ)
2008-09-25 14:47:41
書いていらっしゃること
何となく理解できます。
ネットではそんな方が多いですから。
私も知らない間に「悪者」にされたことがあります。
難しいです。。
悲しくなります。。
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とうふさんへ (忠太)
2008-09-25 20:14:55
とうふさんのブログは、語り口が優しく、内容も親しみを感じさせ、ついつい頷きたくなります。しかし、コメントの多さに、とうふさんの人を惹きつける力を感じるとともに、他方で、自分が”one of them"であると思わせもします。それって、僻みなんですけど・・・

(寂しい)と思ったりするそんなとき、どう相手を受容するかでそ人の価値が決まるような気がします。

逆に、尊大に相手に自分を受容させようとすると、嘘ばかりの人間になって、かえって存在感を薄めます。絡みつく人は、その点が見えないのですね。しかし、知らない間に「自分が悪者」にされたら、たまりませんね。反撃したくなります。で、反撃をすると、ますます自分が悪者になる。。。。

あ~あ、ですね。
しかし、それなりの学びもありました。簡単に誰かを悪者にしてはいけないという、学びです。



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