心臓の手術を控えた患者さんの代わりに、向かいのベッドに入ってこられた奥さんは、
足の手術をされ、片脚に麻痺があるようでした。
その奥さんの看病をしていらっしゃるのが旦那さんですが、
夫婦仲がよろしいなと、からかいたくなるほどベタっとした感じです。
しかし、あれっと思うことが起きました。
「これ、食べるか?」
「うん、頂戴!」
「あかん」
僕はここで、自分の耳を疑いました。奥さんも疑われたでしょうね。
「何でやのん?」
「なんでやろな・・・」
そこで会話は途切れました。
て言うか、また旦那さんが同じことを聞いて、
同じやり取りの後、また会話が途切れるということを繰り返しました。
食べているのは、ゆで卵のようでした。
振りかける塩の音さえ聞こえてくるほど、室内は、静寂が支配しております。
丸めるレジ袋の音が食物の消えたことをを知らせる葬送曲のようでした。
さめざめとした響きがありました。
片づけの後、旦那さんが厳かに宣言しました。
「昼飯、食ってくるわ!」
「え~」
奥さんの悲痛な溜息が漏れ聞こえました。
旦那さんが消えた後、奥さんが突っ伏して泣いていました。
その後、看護婦さんの介護を、ことごとく拒否してました。
「どうしたんです?」と何度聞かれても、泣いているばかりです。
しばらくして、旦那さんが戻ってきました。
今度は、排尿の話が始まりました。
奥さんはオシメをしています。
「中でしろ、中でしたら俺が看護婦さんに連絡してやる」
というのが旦那さんの言い分でした。
しかし、女房がおしっこするなんど、いちいち待ってられるかとばかりに、
「散歩してくるわ」とおっしゃられて部屋を出て行きました。
それからです――。
恐怖シーンを見てしまいました。
怖かったですよ。
僕の隣の奥さん、日中の先生の話によると、足が麻痺しておって
動けないはずなのです。
にもかかわらず、今にも仁王立ちしそうでした。
立つか立たないか、ぎりぎりのところで体がグラッと揺れました。
「危ない!」
倒れないよう、僕が咄嗟に支えました。
その後、ナースセンターに連絡を入れました。
後は、看護婦さんにお任せです。
本人は「トイレに連れてって~」と頑強に主張しました。
看護婦さんが折れ、トイレに連れて行かれました。
1時間ほどして、リーダーらしい看護婦さんが姿を見せました。
「今、ナースうセンターで大騒ぎですよ。
ナースセンターからここまで、看護婦は走ってきました。
その間、長くかかったとして5秒です。
大体、3秒ぐらいでここに来ているはずなんです。
でも、ここへ来たとき、奥さんは平静、
一体何があったん、という風な顔をされているのですよ。。。
足に麻痺のある患者、しかも手術直後です。
仁王立ちしてるところを見せられたら、
誘導どころか、
パニックに陥ってしまうのが普通です。
なのにね、冷静に対応されているでしょう。
やり方があまりに見事。
鮮やかとしか言いようがないような介護の仕方です。
完璧なんですね。
看護婦達が言うには、
愛情が奇跡を産んだとしか思えない、
介護の神様が舞い降りて下さったんだろうって。
きっと、御主人は神様に好かれるほど、お優しいのでしょうね」
旦那さんはキツネにつままれたような顔をして、
「偶然ですわ。看護婦さんが偶々通りかかって助かりましたわ」とおっしゃっていました。
看護婦さんの褒め言葉は、僕のもの、そう思って聞いていました。
しかし、名乗りを上げるつもりはありませんでした。
次のように報告を続けられるまでは!
「あのね、看護婦さん達ね、
『あんなに優しい方と結婚したい♪』ですって。」
(ちょ、ちょっと待った~、その話! ほんま?)
心の中に動揺が走りましたです。
でも、やっぱり名乗り出るべきではないという気持ちが勝ちました。
もし名乗り出たら、旦那さんの面目丸つぶれですものね。
それに奥さんがこういう場合、事実を報告すべきです。
僕としては、何ら疾(やま)しいことをしたわけではないのに、秘密にされ、
とても後味が悪かったです。
でも、看護婦さんが責任者として、本当に知りたかった情報は、
誰が介護したかではなかったでしょう。
朝方、上機嫌だった奥さんが突如として無茶をするまでに
気持ちが乱れた理由だったと思います。
介護の事実は伏せるにしても、
(ゆで卵。あれが原因や)
そこははっきり伝えるべきではないのかと、思いが揺れました。
看護婦さんが部屋を出るとき
「優しい旦那さんに見守られて幸せですね」と、
言われました。とっさに奥さんが叫んでました。
「誰がや~」
「だから…優しい・・・旦那さんに見守られて」
「誰の話や~」
不満そうな、その大きな怒鳴り声が全てを物語っていました。
そのセリフを聞いて、僕の胸につかえていた溜飲が下がり、帰ることにしました。
実は、気分がすぐれず、病院にいて頭痛に苦しんでいたところでした。
この事件があったのは、30日です。
お隣の娘さんがチョコレートの話をした後に起こりました。
「食べ物の持ち込み禁止」
このルールは、食堂での場合とは意味合いが大きく異なるようです。
自分が健康だからと言って、
病人の前で食べる所を見せびらかせてはいけませんよね。
でも、なぜ、こんなことが分からないのか・・・
情けなくもあり、ショックでした。
お陰で帰り道を間違え、遠回りの帰宅をしました。
前の晩、寝てなく
睡眠不足でふらふらでした。
三隣亡(さんりんぼう)と言っていい日ってあるもんですな。
足の手術をされ、片脚に麻痺があるようでした。
その奥さんの看病をしていらっしゃるのが旦那さんですが、
夫婦仲がよろしいなと、からかいたくなるほどベタっとした感じです。
しかし、あれっと思うことが起きました。
「これ、食べるか?」
「うん、頂戴!」
「あかん」
僕はここで、自分の耳を疑いました。奥さんも疑われたでしょうね。
「何でやのん?」
「なんでやろな・・・」
そこで会話は途切れました。
て言うか、また旦那さんが同じことを聞いて、
同じやり取りの後、また会話が途切れるということを繰り返しました。
食べているのは、ゆで卵のようでした。
振りかける塩の音さえ聞こえてくるほど、室内は、静寂が支配しております。
丸めるレジ袋の音が食物の消えたことをを知らせる葬送曲のようでした。
さめざめとした響きがありました。
片づけの後、旦那さんが厳かに宣言しました。
「昼飯、食ってくるわ!」
「え~」
奥さんの悲痛な溜息が漏れ聞こえました。
旦那さんが消えた後、奥さんが突っ伏して泣いていました。
その後、看護婦さんの介護を、ことごとく拒否してました。
「どうしたんです?」と何度聞かれても、泣いているばかりです。
しばらくして、旦那さんが戻ってきました。
今度は、排尿の話が始まりました。
奥さんはオシメをしています。
「中でしろ、中でしたら俺が看護婦さんに連絡してやる」
というのが旦那さんの言い分でした。
しかし、女房がおしっこするなんど、いちいち待ってられるかとばかりに、
「散歩してくるわ」とおっしゃられて部屋を出て行きました。
それからです――。
恐怖シーンを見てしまいました。
怖かったですよ。
僕の隣の奥さん、日中の先生の話によると、足が麻痺しておって
動けないはずなのです。
にもかかわらず、今にも仁王立ちしそうでした。
立つか立たないか、ぎりぎりのところで体がグラッと揺れました。
「危ない!」
倒れないよう、僕が咄嗟に支えました。
その後、ナースセンターに連絡を入れました。
後は、看護婦さんにお任せです。
本人は「トイレに連れてって~」と頑強に主張しました。
看護婦さんが折れ、トイレに連れて行かれました。
1時間ほどして、リーダーらしい看護婦さんが姿を見せました。
「今、ナースうセンターで大騒ぎですよ。
ナースセンターからここまで、看護婦は走ってきました。
その間、長くかかったとして5秒です。
大体、3秒ぐらいでここに来ているはずなんです。
でも、ここへ来たとき、奥さんは平静、
一体何があったん、という風な顔をされているのですよ。。。
足に麻痺のある患者、しかも手術直後です。
仁王立ちしてるところを見せられたら、
誘導どころか、
パニックに陥ってしまうのが普通です。
なのにね、冷静に対応されているでしょう。
やり方があまりに見事。
鮮やかとしか言いようがないような介護の仕方です。
完璧なんですね。
看護婦達が言うには、
愛情が奇跡を産んだとしか思えない、
介護の神様が舞い降りて下さったんだろうって。
きっと、御主人は神様に好かれるほど、お優しいのでしょうね」
旦那さんはキツネにつままれたような顔をして、
「偶然ですわ。看護婦さんが偶々通りかかって助かりましたわ」とおっしゃっていました。
看護婦さんの褒め言葉は、僕のもの、そう思って聞いていました。
しかし、名乗りを上げるつもりはありませんでした。
次のように報告を続けられるまでは!
「あのね、看護婦さん達ね、
『あんなに優しい方と結婚したい♪』ですって。」
(ちょ、ちょっと待った~、その話! ほんま?)
心の中に動揺が走りましたです。
でも、やっぱり名乗り出るべきではないという気持ちが勝ちました。
もし名乗り出たら、旦那さんの面目丸つぶれですものね。
それに奥さんがこういう場合、事実を報告すべきです。
僕としては、何ら疾(やま)しいことをしたわけではないのに、秘密にされ、
とても後味が悪かったです。
でも、看護婦さんが責任者として、本当に知りたかった情報は、
誰が介護したかではなかったでしょう。
朝方、上機嫌だった奥さんが突如として無茶をするまでに
気持ちが乱れた理由だったと思います。
介護の事実は伏せるにしても、
(ゆで卵。あれが原因や)
そこははっきり伝えるべきではないのかと、思いが揺れました。
看護婦さんが部屋を出るとき
「優しい旦那さんに見守られて幸せですね」と、
言われました。とっさに奥さんが叫んでました。
「誰がや~」
「だから…優しい・・・旦那さんに見守られて」
「誰の話や~」
不満そうな、その大きな怒鳴り声が全てを物語っていました。
そのセリフを聞いて、僕の胸につかえていた溜飲が下がり、帰ることにしました。
実は、気分がすぐれず、病院にいて頭痛に苦しんでいたところでした。
この事件があったのは、30日です。
お隣の娘さんがチョコレートの話をした後に起こりました。
「食べ物の持ち込み禁止」
このルールは、食堂での場合とは意味合いが大きく異なるようです。
自分が健康だからと言って、
病人の前で食べる所を見せびらかせてはいけませんよね。
でも、なぜ、こんなことが分からないのか・・・
情けなくもあり、ショックでした。
お陰で帰り道を間違え、遠回りの帰宅をしました。
前の晩、寝てなく
睡眠不足でふらふらでした。
三隣亡(さんりんぼう)と言っていい日ってあるもんですな。
私が父を看病した時、
目の前で食べるのを控えていたら、
「気にせんでもいいから食べてくれ、心配やから。」
と言ってくれたのを思い出しました。
お見舞いする間だけでも
病院ではいろいろあり、大変ですね。
病院ってみな好きになれないっていいますが、
お見舞いに行ったときのそういう嫌なとこが
結構脳裏に焼きついているのかも、って思います。
まだ寒い日が続いてますね。
ご自分の体調管理にも気遣って
無理なさらぬようにしてくださいね。
「もう、おらん方がマシや。帰ってくれ!」と言うと思う。
えぇとこ取りで外面だけいい旦那なんか、いりまへん。
でも、病院が居ごごち悪いのはいいことかも。そうでないと、入院したくなりますから。
「食べる?」
「ちょうだい」
「あかん」
「なんで~」
「なんでやろ・・・」
というこの会話の展開に「うっそー」という感じでした。出来過ぎてて、作り話のようでしょ?
吉本で使えるギャグになりそうです。見ようによっては、絶妙のユーモアですね。
「なんでやろ・・・」
この、すっとぼけ、簡単にできるようで出来ないです。
奥さんは、次の日、何か問われる前から「いらん」を連発してました。そりゃそうですね。
問題は、退院後です。
旦那さんには、願わくば、自宅に戻ったとき、もう少し奥さんの気持ちを察するようにして頂きたいものです。
二か月前、父の入院で同じような経験をしました
幸い父は回復し通常の介護施設に通っています
私がダウンしてしまい回復が遅く自分にがっかりしています
忠太さん消化の良いものを食べるように、果物もね
看病する者も年相応にしんどいものですから・・。
命のことだけは明日のことは誰にも言えません。親の方に気を取られて自分が吹っ飛んでいたら洒落にならんです。
気をつけます!