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のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

NHK / 「受像機がない世帯への受信料義務化を検討」

2016年02月24日 08時14分25秒 | NHK
非自公民の脱原発に一票(しろ) @xciroxjp さんのツイート。

――ふ、ふざけるな!
@tomomut
な、な、なんだこいつは
NHK籾井

「いい番組を作るには誰かにお金を払ってもらわなければいけない。国民全員に払ってもらいたい」受信料義務化を検討

http://blogs.yahoo.co.jp/novice14sight/10955070.html… 〔23:27 - 2014年1月25日 〕――



これに関して、

西村 晃さんが

『NHK不要論』というタイトルで、

勝れた

分析をされています。

なかでも、

⑨と⑫、⑯が印象に残ったので、

下に転載しておきます。

しかし、

何と言っても、

――国民からの『特殊な負担金』で成り立つNHK。

私たち日本国民はこんな官僚的マスメディアを育ててきたのである――

という一言が痛いですね(『NHK不要論⑭』参照)。

☆ 記事URL:http://akira-nishimura.cocolog-nifty.com/issue9/2005/06/nhk_db70.html




〔資料〕

『民放との比較』

   世の中のご意見番(2005 06 15 )西村 晃さん・文「NHK不要論⑨」

☆ 記事URL:http://akira-nishimura.cocolog-nifty.com/issue9/2005/06/nhk_b57d.html

民放で勤めてみて改めてNHKというところがぬるま湯だなあと感じることが多かった。NHKでは一年に一本NHKスペシャルでも作ればあとはたいした仕事をしなくても済まされるという考えが根本にあり、庶民から預かった受信料だから無駄にできないという発想がない。
大河ドラマを一年やれば、次の年は『非番』などという考え方は民間企業にはないだろう。出勤してハイヤーで渋谷から横浜中華街までランチに出向き帰局すると酔い醒ましと称して喫茶コーナーに入り浸り、そうこうするうちに退局時刻となり『横浜打ち合わせ』と事由を付けて日帰り出張手当の請求だけ出して帰れる職場は、今まで経済の取材であちこちの企業を取材したがやはりここしかない。NHK内部しか知らない人は、そのおかしさに気がつかないのだ。夜10時前後になるとタクシーがなぜNHK放送センターの周りに集まるのか、ここの職員のチケットの大盤振る舞いをタクシーの運転手たちが知っているからに外ならない。

民放と比べて給料が安いと不満を言うが、福利厚生は断トツにいい。私は大学を出てNHK在籍12年間に月1万2000円以上住宅費を払ったことがなかった。地方では庭付き一軒家が借り上げ住宅で8000円。東京では新築マンションが1万2000円。退職したら民放には社宅がないからあわてて賃貸マンションに入ったら家賃15万近く。民放で給料は増えたがこれではあまり意味がないなと思ったものである。ほかにも全国の保養所の利用、共済会のカードで買い物やガソリンの割引、百貨店からの出張外商による特別割引など恩典はいくらでもある。
そういう中に身を置きながら『庶民感覚の報道』など出来るならやってみろと言いたい。


〔資料-2〕

『過剰演出』

   世の中のご意見番(2005 06 18 )西村 晃さん・文「NHK不要論⑫」

☆ 記事URL:http://akira-nishimura.cocolog-nifty.com/issue9/2005/06/nhk_a978.html

『プロジェクトX』で過剰な演出があったことが問題となった。
あの番組を制作している部署はかつて私が所属していたところでもある。

経済番組は俗に映像になりにくい。だいたい開発物語というテーマ設定は過去を想定しているわけだから、イメージ映像、再現映像を多様することになる。ドキュメンタリーではありながらいかに作りものを加えるか制作者は悩むし、一つ間違えれば『やらせ』ととられ信頼性が揺らぐことになりかねない。
その点バラエティーのほうが割り切って制作できるからラクかも知れない。

問題は生の事実のように放送しながら演出過剰でトータルとして『嘘っぽい』番組が多いことだ。代表的な分かりやすい番組は大晦日の『ゆく年くる年』である。
特に年越しまでの15分を各局リレーで繋ぎ、零時の時報に合わせてコメントも映像も練り上げてゆく。企画募集が10月。11月には全国の担当者を東京に集めるなど打ち合わせを繰り返す。何しろ深夜の真っ暗な寺社にこうこうとライティングをする。だから国宝の山門に釘まで打ち付ける不祥事を起こす。
テレビ中継のカメラが切り替わった瞬間、そのライティングの下を『偶然に』参拝の人が歩いていたり、ディレクターの『指示した瞬間に』鐘は打たれなければならないのだ。
仕込みは昼間から、通行人は夕方から集められ、わずか数秒のためのリハーサルを繰り返し、一ヶ月以上も前に作られたコメントに合わせて祈りの表情をつくらされる。

なんのために?
実は地方局のディレクターやアナウンサーが東京に戻りたいためだ。
なにしろ全体の視聴率は落ちたとはいえNHK内部の視聴率は高い。
ローカル暮らしに飽きたスタッフにとって本局に帰る最大のアピールチャンスだ。
この10ほどのあいだに大分、秋田、甲府などで年が明けた後『NHKのゆく年くる年で年越しの恒例行事とあったが地元でも聞いたことがない』とローカル紙で追及された。
そんなことは承知の上で社内企画会議を通し、東京に帰る足掛かりをつくらねばならない人が考え出した『年越しのイベント』であるケースが多い。私も昔ディレクターがラジオの企画しか通らず、音のでる行事を考えだし 村の鎮守の越年神楽を放送した。ディレクターの演出通りリハーサル、そして本番。
もちろん翌年からそんなイベントは行われていない。

これを『壮大なやらせ』といわずして何と言う。
恥ずかしいサラリーマン根性のために番組の私物化と言わずして何と言う。

何をしても許されるという『天下のNHK』の驕りがよくでているではないか。


〔資料-3〕

『受信料』

   世の中のご意見番(2005 06 30 )西村 晃さん・文「NHK不要論⑬」

☆ 記事URL:http://akira-nishimura.cocolog-nifty.com/issue9/2005/06/nhk_50eb.html

ここまで述べてきて果たして『テレビ受像機をもつものが全てNHKと受信契約を結ばなければならない』という放送法の規定をどれほどの国民が納得しているのかあらためて世に問いたい。
前にも述べたように受信料の法的根拠はまだテレビ放送も始まる前の昭和25年制定の放送法という法律である。その中で『日本放送協会』の役割として『全国あまねく電波を行き渡らせること』を第一に規定している。
つまり当時はラジオさえ満足に聞こえない地域があって一刻も早くその『電波不毛の地域』を解消する必要があった。民間放送会社はスポンサーを募る商業放送だから過疎地域などでは視聴不可能なケースも想定できるという判断が法律の前提にあり受信料をNHKに独占的に与える法的根拠となったはずだ。だから農村部を回る受信料の委託集金人は訪問の際『NHKです』と言わずに『放送局です』という言い方をする場合がある。今日はともかく昔は『放送全体に対する対価』と考える人がいたからだ。確かにNHKしか視聴出来ない地域ではそういう理解もあったことは納得できる。しかし現実に現在は民放が試聴できない地域はなく、なにより衛星放送やケーブルテレビが普及してNHKだけに『特殊な負担金』を払ってまで存在して貰う根拠は崩れている。だいたいテレビは買ったけど面白い番組がないから見たくない、仕方がないからビデオを借りてきて見ているという人から受信料を取るのは『やらずぶったくり』ではないのか。
そこでNHKが次に持ち出したのが『NHKにしか作れない番組がある』という論理だ。視聴率を気にせず質の高い番組を供給することで社会文化の向上に寄与している。また災害報道などの役割は大きいと自画自賛する。
だが世の中のニーズがあればマルチチャンネル時代にはニュースだけを流したり天気予報だけを流す放送局も存在し得る。NHKにしか作れない番組があるというならそれはどんな番組なのか、百歩ゆずってそういう番組を求める人がいるならばその人だけに対価を求めるべきで、国民みんなからカネを取る理屈は通らないはずだ。

また電波が国民の財産であるというなら、受信料を民放も含めて全放送局に平等に分配し、ネットワークの維持や必要な情報の提供に努めさせるべきではないか。視聴者の見る見ないという意志とは関係なく、NHKだけが独占して受信料を集め使い続けることは、マルチチャンネル時代という放送の現状を無視し、受益者負担という市場原理を歪め、またNHKの肥大化による民放との格差を生じさせ公正な競争を疎外していると考える。


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