〔資料〕
荒木田岳氏の講演:
「除染するほど『住めない』と思う」
サイト「子どもたちの未来へ 《脱原発と国際協力》」所収
*京都で開催されたイベント
「聞け!ふくしまの声~今、そしてあしたのために」にて(2013年6月15日)
☆ 記事URL:http://blog.goo.ne.jp/tanutanu9887/e/2a155a4f7fec633e1c1d0d3389a63711
荒木田岳(あらきだたける)氏
2000年から福島大学行政政策学類准教授。地方制度史、地方行政専攻。原発事故後、学生たちの被曝軽減のために奔走。福島の複雑な今を、独自の視点から発信。今年の3月には東京新聞の[こちら特報部] において、「基準緩和より脱被ばく」を主張。各地で講演会が開かれています。
<講演>
私は、今年の5月から福島大学の同僚や京都精華大学などの先生たち、福島市民の方々と一緒に福島県内の除染に取り組んでいます。最初は、通学路や子供のいる家から作業を始めました。政府は「除染すれば住めるようになる」と宣伝していますが、それは実際に除染活動をしたことがない人の、机上の空論です。現場で作業している実感からすれば、除染にかかわるたびに「こんなところに人が住んでいいのか」と思います。原発から60キロ離れた福島市内ですら、毎時150マイクロシーベルトなんて数字がでるところがあります。信じられますか?今日もその道を子供たちが通学しているんです。
30マイクロくらいの場所はすぐに見つかります。先日除染した福島市内の民家では、毎時2マイクロシーベルトを超えていました。つまり、家の中にいるだけで年20ミリシーベルト近くを外部被ばくする。
これに内部被ばくも加味したらどうなるのか、しかもそんな家でも、政府は特定避難推奨地点に指定していません。そしてどんなに頑張って除染してみても、放射線量はなかなか下がりません。下がっても雨が降ったら元の木阿弥です。一回除染して「はい、きれいになりました」という話じゃないんです。
そして、多くの方は福島に行かれると驚かれます。普通に暮らしているんです。汚染されていない地域で普通に暮らすのは普通のことです。それに対して、汚染地域で汚染を気にしながら暮らすのも普通のことです。
しかし、すでに汚染されている地域で普通に暮らすのは全然普通じゃありません。だから普通に暮らしているという意味が全く違っていて、そのことを、暮らしているだけではなく、福島が、一つの政治的な駆け引きの焦点になっている。福島で25万人を集める祭りをしたり、IAEAやWHOといった国際機関がブランチを設置して人を派遣し、「福島はこんなに安全ですよ」とアピールする場所になっている。
福島の人は普通に祭りをしている。つまり、福島では取り返しのつかない事故が起きてしまったにもかかわらず、それを打ち消して、この事故は大したことはなかったんだとアピールする。それが、原子力政策をこのまま続けていく前提になっている。本当に原発をだめだと言うのならば、この悲惨な現実から目を背けないで、この現実を見て、ここをどうすればいいのかをということに目を向けないと原発を止めることなどできない。福島の被害を直視しない限り、原発はとめられない。
なぜ、このような場所で生活をしなければならなくなったのかを説明したいと思います。
最初の事故対応が間違っていたのです。
福島県庁はすでに大震災の翌日、3月12日の段階で、原発がメルトダウンしているという証拠をつかんでいながら、6月3日に政府や東電がメルトダウンを認めるまで、県民に隠したのです。行政は人を守らなかったのです。
避難のタイミングを逸した人たちは、大丈夫だ、大丈夫だ、と言われて、ずるずる住み続けたあげく、もうたくさん放射能を浴びちゃったから仕方ないねっていって、住み続けちゃったんですよ。「もう、いまさら」って、なるわけです。
1年前に福島市で住民アンケートがありました。「放射能に関する市民意識調査」では、9割を超える福島市民が内部被ばくに対して不安を持っています。中学校以下の子供を持っている親たちは今でも避難したいと思っている。
逃げるタイミングを逸してしまってずるずるいるんだけれども、本当はこれでいいのかと心の整理ができずに、もんもんとして人々が現地に暮らしている。だからみんなが復興だなんだってやってるというわけでも必ずしもない。この辺をどういう風に読むかというのは非常に難しいところだと思うわけです。実際放射能と言うのは目に見えませんのでそれぞれの人がどれぐらいの想像力を働かせるかによって危機感って言うのが全然違うんです。
まったく大丈夫だと思って住んでいる人も中にはいます。本当は住み続けたくないんだけど住み続けざるをえないで住んでる人も、もちろんいます。結局人々はそれぞれの生理でものを語るんで、激しくぶつかり合うわけです。
当初はね。だけど何ヶ月かすると、お互い議論するのも嫌になって、みんな黙ってしまう。だからもう黙ってしまってからだいぶんたつっていうのが今の現状だと、だから福島にいるとほとんど放射能の話題っていうのは、みなさんが口から発せられることはなくなっているんじゃないでしょうか。
しかし、多くの人が不安を感じながら住まわされてる。わたしも除染の活動をしているわけですから、放射線問題についてはかなり悲観的で将来、病気になるんじゃないかと不安をもっています。
そんな私が除染にかかわっているのは、今しかできない作業があり、それによって50年後100年後に違いが出てくると思うからです。多くの人が去った後の福島や。原発なき後の地域政策を想像しつつ、淡々と作業をしています。歴史家としての自分がそうさせるのでしょう。
結局、福島の実情は、突き詰めると元気の出ない先の見えない話になってしまいます。でもそれが現実です。人々は絶望の中で、今この瞬間も被ばくをし続けながら暮らしています。こうして見殺しにされ、忘れられようとしているわが町・福島の姿を伝えたいのです。そうすれば、まだ、この歴史を変えられるかもしれない・・・・今ならまだ・・・・・
荒木田岳氏の講演:
「除染するほど『住めない』と思う」
サイト「子どもたちの未来へ 《脱原発と国際協力》」所収
*京都で開催されたイベント
「聞け!ふくしまの声~今、そしてあしたのために」にて(2013年6月15日)
☆ 記事URL:http://blog.goo.ne.jp/tanutanu9887/e/2a155a4f7fec633e1c1d0d3389a63711
荒木田岳(あらきだたける)氏
2000年から福島大学行政政策学類准教授。地方制度史、地方行政専攻。原発事故後、学生たちの被曝軽減のために奔走。福島の複雑な今を、独自の視点から発信。今年の3月には東京新聞の[こちら特報部] において、「基準緩和より脱被ばく」を主張。各地で講演会が開かれています。
<講演>
私は、今年の5月から福島大学の同僚や京都精華大学などの先生たち、福島市民の方々と一緒に福島県内の除染に取り組んでいます。最初は、通学路や子供のいる家から作業を始めました。政府は「除染すれば住めるようになる」と宣伝していますが、それは実際に除染活動をしたことがない人の、机上の空論です。現場で作業している実感からすれば、除染にかかわるたびに「こんなところに人が住んでいいのか」と思います。原発から60キロ離れた福島市内ですら、毎時150マイクロシーベルトなんて数字がでるところがあります。信じられますか?今日もその道を子供たちが通学しているんです。
30マイクロくらいの場所はすぐに見つかります。先日除染した福島市内の民家では、毎時2マイクロシーベルトを超えていました。つまり、家の中にいるだけで年20ミリシーベルト近くを外部被ばくする。
これに内部被ばくも加味したらどうなるのか、しかもそんな家でも、政府は特定避難推奨地点に指定していません。そしてどんなに頑張って除染してみても、放射線量はなかなか下がりません。下がっても雨が降ったら元の木阿弥です。一回除染して「はい、きれいになりました」という話じゃないんです。
そして、多くの方は福島に行かれると驚かれます。普通に暮らしているんです。汚染されていない地域で普通に暮らすのは普通のことです。それに対して、汚染地域で汚染を気にしながら暮らすのも普通のことです。
しかし、すでに汚染されている地域で普通に暮らすのは全然普通じゃありません。だから普通に暮らしているという意味が全く違っていて、そのことを、暮らしているだけではなく、福島が、一つの政治的な駆け引きの焦点になっている。福島で25万人を集める祭りをしたり、IAEAやWHOといった国際機関がブランチを設置して人を派遣し、「福島はこんなに安全ですよ」とアピールする場所になっている。
福島の人は普通に祭りをしている。つまり、福島では取り返しのつかない事故が起きてしまったにもかかわらず、それを打ち消して、この事故は大したことはなかったんだとアピールする。それが、原子力政策をこのまま続けていく前提になっている。本当に原発をだめだと言うのならば、この悲惨な現実から目を背けないで、この現実を見て、ここをどうすればいいのかをということに目を向けないと原発を止めることなどできない。福島の被害を直視しない限り、原発はとめられない。
なぜ、このような場所で生活をしなければならなくなったのかを説明したいと思います。
最初の事故対応が間違っていたのです。
福島県庁はすでに大震災の翌日、3月12日の段階で、原発がメルトダウンしているという証拠をつかんでいながら、6月3日に政府や東電がメルトダウンを認めるまで、県民に隠したのです。行政は人を守らなかったのです。
避難のタイミングを逸した人たちは、大丈夫だ、大丈夫だ、と言われて、ずるずる住み続けたあげく、もうたくさん放射能を浴びちゃったから仕方ないねっていって、住み続けちゃったんですよ。「もう、いまさら」って、なるわけです。
1年前に福島市で住民アンケートがありました。「放射能に関する市民意識調査」では、9割を超える福島市民が内部被ばくに対して不安を持っています。中学校以下の子供を持っている親たちは今でも避難したいと思っている。
逃げるタイミングを逸してしまってずるずるいるんだけれども、本当はこれでいいのかと心の整理ができずに、もんもんとして人々が現地に暮らしている。だからみんなが復興だなんだってやってるというわけでも必ずしもない。この辺をどういう風に読むかというのは非常に難しいところだと思うわけです。実際放射能と言うのは目に見えませんのでそれぞれの人がどれぐらいの想像力を働かせるかによって危機感って言うのが全然違うんです。
まったく大丈夫だと思って住んでいる人も中にはいます。本当は住み続けたくないんだけど住み続けざるをえないで住んでる人も、もちろんいます。結局人々はそれぞれの生理でものを語るんで、激しくぶつかり合うわけです。
当初はね。だけど何ヶ月かすると、お互い議論するのも嫌になって、みんな黙ってしまう。だからもう黙ってしまってからだいぶんたつっていうのが今の現状だと、だから福島にいるとほとんど放射能の話題っていうのは、みなさんが口から発せられることはなくなっているんじゃないでしょうか。
しかし、多くの人が不安を感じながら住まわされてる。わたしも除染の活動をしているわけですから、放射線問題についてはかなり悲観的で将来、病気になるんじゃないかと不安をもっています。
そんな私が除染にかかわっているのは、今しかできない作業があり、それによって50年後100年後に違いが出てくると思うからです。多くの人が去った後の福島や。原発なき後の地域政策を想像しつつ、淡々と作業をしています。歴史家としての自分がそうさせるのでしょう。
結局、福島の実情は、突き詰めると元気の出ない先の見えない話になってしまいます。でもそれが現実です。人々は絶望の中で、今この瞬間も被ばくをし続けながら暮らしています。こうして見殺しにされ、忘れられようとしているわが町・福島の姿を伝えたいのです。そうすれば、まだ、この歴史を変えられるかもしれない・・・・今ならまだ・・・・・
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