のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

この声にどう張り合う――ひばりの挑戦

2010年09月15日 21時19分12秒 | Weblog
前記事でひばりの歌い方は、キーの高さに特徴が

あるような動画をアップしました。

高音部の美しい彼女が

なぜ、男性の歌にこだわったか

ちょっと考えました。

彼女は、別にウーマンリブの闘士ではなかったですが、

天才少女歌手として

デビューを果たした彼女には、どういう名目にしろ、

自分の歌う行為にタブーがあることに抵抗があった、ということではないかと思います。

改めて、彼女の挑戦の軌跡を追ってみたいと思います。

まずは、 前記事で触れた村田英雄の、

1958年リリース、「無法松の一生」です。






次は、同じく村田英雄、「人生劇場」です。

1959年、リリースです。





「人生劇場」の歌詞にある、

「男心は、男でなけりゃ分かるものかと諦めた」

などとある2番以降は、歌われてないですね。

赤い、娘が着るような着物をまとっていることと言い、

ここに強くひばりの女であることの矜持(きょうじ)を感じます。


三つ目、村田英雄の歌、「王将」です。

1961年、リリースです。






四つ目は、1963年のリリース、一節太郎の「浪曲子守唄」です。

さすがに普通、これは、女性ならカバーを敬遠する曲でしょう。

素人的にそう感じます。

しかし、プロだって、同じ反応をするのではないか・・・

聴いていて痛々しささえあります。

この曲をひばりが歌いだしたとき、

相当な衝撃が周りの人達に走ったのではないでしょうか。





元唄にあるセリフで

ひばりバージョンでは欠けているくだりがあります。

「あんな薄情なおっ母さんを呼んでくれるな」の部分です。

正確無比な彼女の歌い方からして、

ここは、意識的に抜いているんでしょうね。

つまり、忘れたのではなく、

削除です。

そのことによっても、

自分は、物真似をしてるんじゃない、という気持ちが伝えたかったのかも、ですね。

一歩間違えば、ただのゲテモノ趣味にしか思われない、

この「浪曲子守唄」に対する挑戦で、山を越したのでしょうか。

今まで、暗黙の了解事項であった男の歌、「勝負」をテーマにした曲が

ついにひばりのために作曲されました。

「柔」です。

1964年、リリースです。




そして、とどめは「人生一路」。

1970年に発表されました。

美空ひばりが“男の歌”、“女の歌”という枠組みを見事に取っ払って

歌い切った、「ひばりの人生劇場」と言っていいでしょう。

この曲がリリースされた2年後の1972(昭和47)年に、

いわゆる男女雇用機会均等法が成立しました。

こんなことを考えていると、

まさに歌は世につれ、世は歌につれ、ということが実感されますね。







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