のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

映画「望郷の鐘」ダイジェスト

2015年01月16日 00時01分38秒 | 映画


「騙す者と騙される者が揃わなかったら戦争は起きなかった」

という山本慈昭住職の言葉が印象的です。

満州開拓団が国策によって、

1945年5月1日に

長野県から、

同年8月4日には

東京から満州に移住させられました。

募集という形を取ったとはいえ、

戦争に負けるということが分かっていた時点です。

国は、

開拓民を募るに際し、

「『王道楽土』などと宣伝して、平和で食料が豊か。6万坪の土地も貰える」と

嘘をつきました。

その餌につられ、

満州に渡ったのは、

27万とも32万とも言われています

(「週刊金曜日」(2014年11月7日号)記事「国家の嘘、満蒙開拓団を忘れるな」参照)。

敗戦時に旧満州にいた日本人は、155万人。

8月9日、ソ連参戦後、関東軍に置き去りにされ、

約20万人が

自決等して死亡したようです。

その4割ほどが開拓民だと言われています。

さて、

満州に誘い込む際に嘘を吐いた日本軍は、

ソ連軍が参戦するや

開拓民を助けるどころか、

青酸カリを手渡して自決を迫ったとのことです。

なぜかと言うと、

ソ連の捕虜になったらいろんなことをしゃべってしまうからと。

満鉄の奥様方は

さっさと連れ帰りましたが、

開拓民は、

もともと棄民の対象だったのですね。

日本軍は、

青酸カリを手渡すだけでなく、

開拓民が

帰郷するのを断念するように、

橋や線路を爆破して

たくさんな日本人避難民を見殺しにする道を選びました。

青酸カリの量が足りなくて、

母親が子供を井戸に放り込み、

自分も身を投げた事例まであるようです。

いたたまれないのは、

無事帰国した人が

生きて帰ったことを罪悪に感じ、

長い間、

孤独な闇に放り込まれていたという事実ですね。

しかし、

中国に取り残され人の中には、

中国の人に救われ、

生存者がいることが判明しました。

そこで、

中国残留孤児の引き上げが

政治課題が浮上します。

しかし、政府は、

無視しようとします。

日本軍は、

満州からの引き上げの際、

「全員死亡した」

という報告をして、

在留邦人を見殺しにした事実が

明るみに出ることを恐れたのでしょう。

そこで、

冒頭に少し触れた山本慈昭住職が

立ち上がります。

そしてついに国を動かします――。

僕の解説の結果、

いわゆるネタバレ状態ですね。

しかし、この映画、ノンフィクションですので

記録映画として見て頂けます。

「金さえ儲かれば何をしてもいい」

という風潮が

今の日本にあります。

満州開拓団が組織された頃に

時代が逆行しているのではないでしょうか。

国に騙されないためには何をどうすればいいのか

各自が考えなければならないようです。

上掲「週刊金曜日」において

この映画の製作の動機など

監督にインタビューしていた国枝秀美さんが、

まとめの言葉として

「時代への危機感が生んだ映画とも言えますね」

とコメントされています。

けだし、適切です。


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