(た)のShorinjiKempo備忘録

※注:本ブログは(た)個人の見解に基づいており、如何なる他の個人・団体の見解を解説・代弁するものはありません。

日本ビタミンの日

2024年12月12日 | その他
てやんでい、唐突に関係の無い話をしたいと思います。

玄米のビタミンB1の含有量は、白米の4〜8倍もあるそうです。収穫した稲のお米は黄色い籾殻に包まれていますが、その籾殻を取り除いたものが玄米です。玄米は米糠層に包まれており、それを除去する事を精米といいます。すると真っ白なお米、白米になります。精米すると口当たりが良く(美味しく)、吸収も良くなります。

精白米にもまだ粘着性の強い肌糠というものが残っており、糠臭いご飯にならぬよう、肌糠を除去する為に各自が最後の「米を研ぐ」という作業をするのです。工場の段階で肌糠まで除去したものを無洗米といい「研がずに炊ける」という訳です。

まぁとにかく人類は長い歴史の中で「如何に美味しくお米を食べるか」という事を徹底的に研究してきたんですね。近代以降では、日本人は収穫したお米の食べ方だけでなく、品種改良にも徹底的に取り組みました。現在、日本のブランド米は日本食の中心として、世界の人々をも魅了しています。

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という事なのですが、美味しく食べる為の精米で失われた米糠には、実は大切な栄養素もありました。

現在日本では余り見られなくなった病気に脚気があります。
脚気では、末梢神経障害や心不全が生じ、全身の倦怠感・食思不振・手足の痺れ・浮腫みなどの症状が出ます。
一度患者が出ると、同じ集団にいる人々の間で次々と患者の発生が続くので、脚気は長い間<感染症>だと信じられてきました。陸軍一等軍医であった森林太郎(鴎外)は、比較試験などを駆使して「白米には問題は無い」と脚気伝染病説を強力に主張し、既に玄米への変更の有効性に気づいていた海軍軍医の高木兼寛を痛烈に批判しました。
その結果、と言いましょうか、日本陸軍は日清戦争では4万、日露戦争では25万もの脚気患者を出し、しかも日露戦死者3万7千人中、脚気患者は2万8千人にも上ったとの事です。

西洋では多くの船員の命を奪った壊血病が有名ですが、これはビタミンCの欠乏によるものです。壊血病は点状出血・紫斑から脱力・鬱症状・神経障害を来たし、消化管出血などの末に衰弱死する恐ろしい病気ですが、比較的早期より柑橘系の果物を摂取する事で予防出来る事が判っていました。
船乗りは壊血病と共に脚気も併発する事が多かったのですが、脚気の方は中々原因が特定出来なかったようです。

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さてこのように人々に恐れられていた謎の流行り病=脚気ですが、農芸化学者=鈴木梅太郎博士が、1910年の12月13日、とうとう原因となる栄養素を特定・発表しました。彼は米糠から抽出した成分の欠乏が脚気を引き起こすとして、稲の学名 Olyzasativa より「オリザニン」と命名したと東京化学会例会に発表したのです。ところがその発表は世界的には注目されず、翌年にポーランド出身の Casimir Funk が鳥類白米病に有効な抗脚気因子を提唱、更に1912年に生命 vita に必要なアミン amine、即ち vitamine と命名した事が評価され、1920年以降は「vitamin」の呼称が一般的になってしまいました。…
現在は脚気はビタミンB1不足が原因だと広く認知され、日本では脚気で死亡する人は年間数名止まりです。

という事で明日12月13日は、ビタミンの日です。鈴木博士の出身地、静岡県民が中心となったビタミンの日制定委員会によって、2000年に制定されたものです。ですが、残念ながら世界的な認知度は余り無いようです。。

高木兼寛の出身地=宮崎では、彼を「ビタミンの父」とも呼ぶのだそうです。

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白米は長い間庶民は食べられない食べ物でしたが、江戸時代になって江戸っ子達の口にも入るようになってきました。すると江戸にだけ、足元がおぼつかなくなり、寝込んだ末に亡くなる人が急速に現れだしたのです。地方には見られなかった為、「江戸患い」とも呼ばれたその病は、脚気でした。
その脚気で命を失った人々の中に、来年の大河ドラマの主人公、蔦屋重三郎もいたと言われています。「江戸のメディア王」として出版業界に君臨する事になった男も、脚気という当時は謎の病によって、働き盛りの47歳でこの世を去る事になったのです。

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指導者の責任と武道の目的

2024年11月13日 | その他
ご存知の方もおられるかと思いますが、今月3日に宮崎市で開かれた小学生の空手大会で、試合中に背後から後頭部を蹴られる動画がSNSに投稿され、波紋を呼んでいます。

事実関係(更には背後関係)については勝手な憶測からの中傷も行われているようで注意を要するのですが、動画を見てほぼ間違いない(一目瞭然)と思われる事を述べますと、①A君がB君の顔面に当ててしまったらしく(反則かどうかは不明)、主審が「止め」を指示して両選手は一旦分かれ、B君は中央に背を向け(自分のセコンド側に?)歩きだす。②A君のセコンド側から「行け!」と指示が出て、直後にA君が背を向けたB君の後頭部に上段蹴りを入れ、B君はそのままうずくまってしまう。③主審はA君を制し、旗を持った副審2名が出てきてコート中央で協議を開始。その間、その場に倒れたA君は放置される。というものでした。

重要な問題点は2つ、(1).背を向けた相手の後頭部を蹴るという危険行為、(2).負傷した選手を放置して協議していた審判団、です。空手会には相当な衝撃が走ったようで、様々な意見表明や、先程も述べましたが「勝手な憶測からの中傷」も行われているようです。

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空手界の方々としては、外部の人間がこの事件に色々言うのは本心としては「黙っててくれや」というところだと思いますし、こうなった以上、空手界として何らかの判断はなされるのだと思います。しかしこれは武道・スポーツ全体の問題でもあり、特に格闘系武道(空手・柔道・合気道・SK 等)の指導者であれば意見を求められても当然な案件ではあります。

「武道にあるまじき行為」「これは武道ではない」という意見はよく見るのですが、武道の技術そのものは格闘術であり、自分を護る事が出来る反面、相手を破壊する事が出来る技術です。武道をやってさえいれば善人になる筈もなく、寧ろ技術を得て強くなる事で傲慢になり、より凶暴化する人間も少なくないと思います。

以前亀田兄弟の父ちゃんが試合中に息子に言った事がマイクに拾われてしまって大問題となり、父ちゃんはしばらく追放処分になりました。N大アメフト部で、指導者が危険タックルを指示した事件を思い出した方もいるのではないでしょうか。私は映画『ベストキッド』の「コブラ会」を思い出しました。「ついエキサイトして」ではなく、どんな武道・スポーツでも、勝負至上主義はこうした事件を生み出す可能性はいくらでもあるのです。

私はSK以外の武道や格闘技選手の方々とのお付き合いも何度かありますが、正直な事を言いますと、技術的に優れた諸先輩の言動に、他人への侮りや傲慢を感じる事が何度もありました。(逆説的になりますが「技術を得た事による自信」「指導者としての社会的な地位」が、逆に彼らを抑止している面すらあるのではないかと感じた程です) 力道山も刺されて死にましたし、「格闘技をする事で自分がより危険な場所に近づく事になったり凶暴な人間になるのなら、やる意味があるのか」と考え修行を止めようかと考えた事もあった程です。

しかし格闘技に関係なく、この世には理不尽や暴力が存在するのも事実です。体格的に劣るひとや女性など、肉体的に不利な人々がこの世の中で明るく生きていくには、何らかの自信の源が必要です。弱者がSKの修行で強者にも勝てる技術を獲得出来れば、それはそれで素晴らしいでしょうが、そうでなくても人間社会を生きていく精神的な強さを得る事は出来ると思っています。

暴力的な人々は、精神的な弱さを肉体的優位で補って(隠して)いるようにも見えます。

「弱者の護身術」であること、開祖の言葉を借りるなら「勝たなくてもいい、負けなければ良いのだ」というのが、私がSKを選んで続けている最大の理由です。

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負傷者を放置して協議を続けた審判の行動は理解し難いものではありますが、主審としては「試合という形式を完結する」という自分の仕事に頭が一杯になっていたのかもしれません。自分は行なわれた行為の評価を決定しなければならない、その間蹴られた選手の方は「誰かが面倒を見てくれるだろう」と期待したのではないでしょうか。

B君が倒れたのは恐らく自分のセコンドの目の前ではあったのですが、B君側の大人たちも「自分が助けに入って(介入して)いいのだろうか」と躊躇して対応が遅れたように見えます。ひょっとしたらここにも、勝負至上主義の落とし穴があったのかも知れません。

頭部に打撃を受けて倒れた選手がいたら、その選手の治療を全てに優先しなければなりません。

ボクシングでは、パンチを貰ってグロッキーになった選手に対しては、更に攻撃を畳みかけてトドメを刺す事が普通です。観客は「チャンスだ行け!」「相手はもうヘロヘロだぞ!」と叫び、時には後頭部にパンチが入る事もあります(本当は反則ですよね?)。ボクシングは或る程度それを覚悟して行なっている危険なスポーツであり、レフリーにはより高度で迅速な判断が求められます(レフリーストップに「もっとやらせろや」なんて言ってはいけませんね)。

SKでもここ数年の審判講習会では、演武中の危険な頭部打撲を繰り返し取り上げ、主審は「何を置いてもまず演武を中止し安否確認」と強く念押しされています。

今回は少年大会での事件だっただけに反響も大きかったようですが、どんな武道・スポーツでも事故は起きて欲しくないものです。

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一生懸命やること

2024年10月29日 | その他

先週の日曜は衆議院選挙でしたので、煽りを喰らって中止になった大会もあったようです。そこに向かって稽古・練習をしてきた拳士にとっては残念な事でしたが、目標を持って行なった稽古自体は決して無駄にならないと思います。

準備してきたスタッフの皆さん、本当にご愁傷様です。

私はとある区民大会に審判員として参加してきました。先日の西東京大会でもそうでしたが、参加拳士たちの真剣な眼差しを見ると、大いに自分自身の励みにもなります。勿論、技術レベルについては巧劣さまざまあるのですが、目標とする演武の形が、それぞれの拳士に見えているような気がしました。

大会では高校生たちの楽しいアトラクションもあり(少し内容が淡白でしたが)、会場も大いに笑いに溢れていました。大会ごとに自主的なアイデアで盛り上げているのは素晴らしい事だと思います。

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ブログを始めたばかりですが、技術に関して言いたい事が沢山あるのだなぁと改めて確認してみたりはしたのですが、それ以上に早くも感じたのは、結局身体を動かさないとどうにもならない、という事でした。感じたというか痛感しました。

新しい技を誰かに教えるとしたら、まずやってみせて、それからやらせて見せて、相手が技を理解しているのかを確認し、理解していても出来ていないところを指導し、自分自身が出来ていると思っていた事が指導する事で出来ていなかったと気付かされたり、… そういった事は、パソコンを前に頭をこねくり返していても全く出来ない事です。

人間に技を教えていると、技術以外の事でそれなりの気苦労もあり、全体を見て調整したり、一部のひとがとても心配になってしまったり、なかなか少林寺拳法の技そのものの愉しさに没入できないもどかしさを感じたりします。(教わる側の時はそういう事は少ないのですが、全く無い訳でもないです。もの凄くもどかしい場合もあります)それを含めての少林寺拳法だとは思っているのですが。

色々あっても、やはり実際にやってみないとどうしようもない。実際にやってみる事の大切さ(愉しさ)を、後輩たちにも理解してほしいと思います。

そして可能であるなら、大会や昇級昇段などの具体的な目標を持ち、それに向かって頑張ってみてほしいと思います。今回、出場拳士たちの真剣な眼差しを見て、それを強く思いました。大会という場がなければ(出場しなければ)、彼らはあの目を見せる事が出来なかったのだから。

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今回、無事自分なりの審判が最後まで出来たので、心底ホッとしました。他の先生方の様子を見ていても分からないのですが、私は審判員はホントに苦手なんです。こんなブログを立ち上げて自分なりに技にこだわりはあるのですが、審判員として沢山の組に序列を作る事には、非常に抵抗を感じてしまうのです。なので出来るだけ精神をフラットにしようと心掛けています。

大会に参加するというのは、裏方の方々の有り難さを実感する場でもあります。審判だけでなく司会進行・来賓接待や採点収集・賞状作成、そもそも賞状手配・会場整備、ホントに大変です。自分も大会に参加してお世話になった事がある以上、その恩返しと思って頑張っています。多分、審判員の中では自分に鞭打ってムリしてる方だと思いますヨ。。

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10代のスポーツ環境について考える(2)

2024年10月16日 | その他

NHKラジオの「スポーツの日特集」では、後半は「10代のスポーツ環境における男女格差」が論題となっていました。

12歳〜19歳の「運動を全くしない人」の割合は、男子10.3%・女子22.7%と顕著な差がありました。全国のスポーツ少年団の会員数を見ても、男子7割・女子3割程度で、女子がスポーツに参加する場や選択肢がまだ少ないのではないか、と指摘していました。継続という点でも女子はやめてしまう(or続けられない?)傾向が強いそうです。

私は最近サッカー観戦に興味があるのですが(やる方はほぼ未経験)、女子サッカーに関しても、小学生の時は男子に混ざって活動していたが、中学になると行き場を失なう選手が多いとよく言われています。これは恐らく女子野球でもそうでしょうか。

また番組では、女子は中学の部活動で(体育の授業以外では)初めてスポーツに触れる子も多い、と話されていました。今後としては、幼児期から体を動かす機会を、家庭・地域・学校で連携して増やしていく事が必要ではないか、と訴えていました。

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サッカーで言うと、最近お隣り韓国の代表チームの成績が男女共に芳しくなく、逆に比較的好調な日本と比較して、同国では「部活動などの育成基盤が全くない」為だと盛んに言われているのだそうです。受験戦争が以前の日本と同じかそれ以上の同国では、選抜された一部の有望株以外にはスポーツの機会は少なく、学校から塾に直行という生活スタイルが多いのだそうで、部活動がない学校生活を想像できない私からすると、皆が通える地域クラブもないのであれば、それは恐ろしい環境にすら思えます。

韓国に部活動が(ほぼ)無いとは知りませんでしたが、日本の部活動が彼らにとって今後の育成のロールモデルになっているのです。

学校の先生方の働き方改革は行わなければなりませんが(文科省が下らない書類や研修を大量に押し付けているとは昔から言われてますけど…)、勉強と部活が生徒にとって二重苦になってはいけませんが、10代の内に最低限の運動経験を積ませることは、その後の心身の健康にとって必要且つ重要な事だと強く思います。

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特集の最後には、大人のスポーツ状況についても触れていました。

10/13にスポーツ庁の昨年度調査が発表され、それによると30代後半の体力・運動能力が、男性ではこれまでで最も高くなったのと対照的に、女性では過去2番目と低くなったとの事でした。これについて順天堂大大学院の内藤久士教授(スポーツ健康科学)は「子供の頃から運動を経験しない生活スタイルでその儘大人になった世代ではないか」という恐ろしい分析をしていました。そうするとこの傾向は、今後悪化の一途を辿ることになります。

スマホ&ゲームピコピコで運動に興味無し、というオタク体質に男女差はない気がするのですが、なんだかんだで男には運動機会がまだあるのでしょうか。それとも今後男性にも再び下降曲線が現れるのでしょうか。(その可能性も十分あるように思います)

こりゃママさん世代も、子供と一緒に少林寺拳法を始めなくてはいけませんね!

10代の少年少女や30~40代の女性は運動不足? 2023年度「体力・運動能力調査」公表 3世代の10歳少年で比べると「ボール投げ」能力が低下 |TBS NEWS DIG

https://www.nhk.jp/p/my-asa/rs/J8792PY43V/ :NHK マイあさ! 

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10代のスポーツ環境について考える(1)

2024年10月15日 | その他

10/14(月)はスポーツの日という事で祝日でした。

前の東京五輪の2年後の1966年から、開会式の日だった10/10を「体育の日」としていたけれど、祝日をできるだけ月曜に固定して連休を増やそうという流れの中で、2000年から10月の第2月曜日になりました。私は「10/10が体育の日」の方がいいと思ってましたが、2020年にまた東京五輪が開かれる事になったので、「前の五輪の開会式」と言ってもピンと来なくなるだろうから、それも時代の流れかな、と思いました。

そしたら今度は2020年から呼称が「スポーツの日」になると。私は少林寺拳法(以下SKと略す)の三徳「護身練鍛」「精神修養」「健康増進」にも通じる「体育」という言葉が嫌いではなかったのですが、まぁ若干お上からのお達しめいているのも事実です。国民一人一人が主役になって楽しむ、という意味で「スポーツ」とした意義も解らないではないです。

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スポーツの日という事で、NHKラジオで「10代のスポーツ環境について考える」と題して特集していました。それによると12歳から19歳までのスポーツ環境を笹川財団が調べたところ、「この1年に全く運動しなかった」と答えた若者が、2011年・2021年調査共に約17%もいたとの事です(10年間で悪化もしなかったが改善もしなかったという事)。

番組では「改善しなかった理由」として「10代がスポーツを行なう環境がまだまだ学校の部活動しかない」と分析し、「進学の区切りでそのスポーツをやめてしまうので、次の段階に継続されない」と訴えます。

また「ややきつい運動を週5回以上している割合(→詰まり運動部、と解説)」は、2011年は33%、2021年は26%と大きく減っていたとの事です。これは教員の働き方改革が影響しているのではないかと分析し、過熱した強豪校の活動量は適正化される反面、生徒が運動する機会をただ奪っている状況もある解説としていました。

今後の改善の鍵として、部活から地域スポーツへの移行が必要なのではないか、と提言していました。若者が学校内での活動を越え、地域スポーツに参加する事で、生涯スポーツへ繋げてゆくという事も期待しているようです。

https://www.nhk.jp/p/my-asa/rs/J8792PY43V/ :NHK マイあさ! 

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私自身は地域スポーツの活性化には多いに期待しているものの、部活動というもの特殊性とその意義は大きいと思っています。学生によって学校生活は当たり前ですがその生活の大部分を占める要素です。それを同じ学校単位で共有する仲間と行なうスポーツ(部活動)と、地域参加でいわば個人として参加するクラブチームでは、全く違うでしょう。

厳しく求められる場所では個人の心身への負担が更に大きくなり、逆に緩いところでは継続の意欲を保ちづらく責任感も育たなくなるのではないでしょうか。まぁ勿論、場所と人(本人&指導者)によりけりでしょうが。

少林寺拳法部という観点で言うと、私はまだまだ学校連盟など活動の全体像には詳しくないのですが、学校の部活動は正直に言ってSKの組織にとっても非常に重要なのではないか、と思います。特に大学の拳法部、ですね。

SKにとって地域クラブに相当するのは道院ですが、道院での稽古では皆なかなかフル参加で、基礎から応用まで系統的にみっちりとは修練出来ません。SKではそれぞれの科目の進み具合があるので、その日その日で集まったメンバーを見て修練内容を変えざるを得ないし、一度に長い時間も取れないところが多いのではないでしょうか。SKにも「スポーツ少年団」というものがありますが、そこだとまた事情が違うのでしょうか。。

ですから他の武道団体も同じなのかは知りませんが、組織の技術レベルそのものを維持するのに(大学)拳法部は非常に重要な位置を占めています。大学で行なわれている技法や演武には色々悪いクセもある様な気がするのですが(汗)、拳法部出身の先生方でも長く本部直属で指導されている方々からは、そうした学生グセを感じません。(指導しながら技の本質について深く考えてきたからだろうと推察します)

SKは中学でも高校・大学でも、その部活で初めて始めた初心者の割合が非常に高いスポーツ(武道)です。詰まりはまだまだマイナーなスポーツという事ですが(苦笑)、それでも若者にとって始めやすいという事になるので、彼らの運動不足解消に寄与し、更には彼らが未来の指導者に育ってもらえたら素晴らしいと思います。

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