PPKオーナーの奮闘コーナー

写真付きで日記や奮闘の様子をお知らせします。

追憶 8

2010-05-09 18:01:15 | リラックス

私の小学校の最後の思い出をたどってみたいと思います。

5年生と6年生の担任のM先生は私にとって人生の 「芯」 のような物を注入して頂いたように感じています、兎に角厳しいという印象が残っています。

私はこのM先生に毎日提出する日記の評価を二重丸のAを取り続ける為に、ひたすら当時のA4のノートに7ページびっしり記入しつづけました、今でもその日記が残っていますが・・内容は別としてすき間もなく行を開ける事も無く字で埋め尽くされていました。

読み易く、内容に沿って空間を作ったりとはしなかった様です、字で埋め尽くさないと二重丸Aは貰えないと思い込んでいたようです。

人生を50年も経ってから思い起こすと当時50名ほどいた生徒の一人ひとりの日記に目を通してコメントを書き込んでいた先生の凄さにも感動しますが、良く2年も続けられたものだとその豪傑ぶりに感謝しております。

自分でも人を多く指導する立場になったりして見ましたが、M先生の10分の1も出来ないように思います。

私はこの時に文字にしたり文章に組み立てたり表現方法を探ったりという基礎的な能力を身に付けさせて頂いたのだと思いました、毎日というと7ページも書く内容が見つからないのです。

大した事も無いのに何とか書く種にして、どんどん広げていくしか方法が無いのですが繰り返し継続してやるなかに色々な能力を鍛える場が無数にあったようで、凄い事をされた先生だったのだなと関心せざるをえません。

お陰様でこの頃は自分の実力というよりこのM先生により一時的に表現された成績が出て 「このまま順調に伸びていけば東大に行けるでしょう」 と先生から最後に親に言われたそうです。

その時の私の印象は実力とか何とかではなく、猛スピードで走るバスに必死でしがみ付いているだけの自分のようでした、感情とかゆとりとか我が儘とかは無縁の灰色の世界を彷徨っている感じでした。

当時自分の環境・経済力・実力を考える事も無く、ひたすらに 「医者に成りたい」こう思い込んでいました、それは自分の左足に出来ている 「おでき」 にとても悩んでいたからです・・・