PPKオーナーの奮闘コーナー

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悲報!

2009-06-22 10:38:25 | リラックス

今日はとても悲しいけれども見事な人生を紹介します。

以前からも何回か登場していますが、私共ヌサドゥアリラックスの会長(私が勝手につけた称号)が84歳の生涯を6月11日閉じられました。ピンピンコロリの見本のような生き方をされ、私の憧れでした。

すべての事をやりつくされましたが、たった1つだけ90歳になられ動く事が難しい奥様をみとらず、ご自分が先に行かれた事です。 でも約4年余り身の回り病院食事のお世話を良くされました、傍目にも涙ぐましい感がありました。

昨年の6月に胃がんの手術をする為に県病院に入院しましたが、検査の結果転移がひどく高齢でもあるので開腹はしないことになり、ちょうど1年寝込む事も無く毎日いつもどうりバスで町に出る毎日をすごされました、今年になり毎日点滴に通われていましたが4月の後半に入院され、しかも無くなる2日前までしっかりとされ全ての指示をご家族にされていたそうです。

ご自分の葬式の写真まで指示され、驚いた事に葬儀が終わり1週間たったら私共に連絡を入れるように言い残されたそうで、私はそれを聞いて涙が込み上げました。本当に我侭な人生を送られたのでしょうが誰にもまねの出来ないほど周りの人に気を使われていました。

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じつは私が会長が亡くなられたのを知ったのは、会長が葬儀場から「私を呼ばれた」事で解ったのです。

4月18日の朝市で仏壇に上げる花を買っておいてくれと頼まれて依頼全く顔を出されなくなって1ヶ月ほど立ち、あれほど毎日のように顔を出されていたのだから調子が悪いのだろうと、娘を会長宅に様子見に行かせたところ何とホームヘルパーの方が「会長は病院に入院されてますよ」との事でした、おまけに奥様も1人で自宅にいても困るからと一緒に入院されてました。

それなら面会にと思いきや、豚インフルエンザ流行のため面会謝絶と言う事で会いに行く事も出来ないありさまでした。

心配ではあるが何も出来ない日々を過ごし会長の事は全く忘れていたある日(人間は薄情なものでどんなに世話になった人でも、どんなに悲しい事に出会っても必ず忘れてしまう一瞬が訪れるという特性があるようです)、仕事が終わって自転車で清武の家に帰ろうと何時もどうり大塚台の交差点から高松橋に向かって坂を下りていて池の所まで来たら急に、『たまには右に曲がってみようかな・・・』 と頭によぎり自転車では一度も通った事のない道をゆっくりと、ココも変わってるあそこもと眺めながら気持ちよく進み、百姓うどんの所を左に曲がり、知り合いのコンピューター会社はこの辺にあるはずとか思いながら進んでいくうちに、ふとファミーユの看板に「〇〇〇〇氏のご葬儀」と会長の名前を見て、思わず中に入り確認したのです。

本当に死者に呼び寄せられるようにそこに吸い込まれた体験でした。               お陰様で私共夫婦は会長の綺麗な大往生のお姿に最後お会いさせて頂き、本当に感謝の極みでした。

自分の父親のように生前は悪口をはいて居りましたが、こうして導いて下さった事に故人の人間としての大きさを感じました。

この偉大な会長の生き様をこれから知りうる限り書いてみたいと思います。


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