2011年6月9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式における村上春樹のスピーチについて
いろいろな反応があるようですが、
私としては次のように思っています。
このスピーチ内容は、
至極真っ当なものではありますが、
村上春樹ならではの、意外な視点に基づく内容もなく、
(新聞の社説みたいですね。)
非難はもちろん、特に目立った賛同も必要としないものと感じています。
事が原発であるため、
国際的な注目があることを意識して
この場を使ってしゃべった、
ということでしょう。
だから、
「今まで発言してこなかったことをなぜこの場で言うのか」
という批判は当たっていないと思います。
私は、約30年前から村上春樹のファンですが、
今回のこの感想に、そのことは影響を与えていません。
ただ一点だけ、、、
時々論議になる広島の平和公園慰霊碑文の
「過ちは繰り返しませぬから」について、
(碑文の主語は誰か?という問題)
意識的にかもしれませんが、とても雑に引用していましたね。
主語は、「被害者である者たち」と定義づけてしゃべっていましたが、
この解釈では、この碑文の意味をたいへん狭くしてしまう危険を感じます。
ところで、
私は、これまで原発を疑問視する本をいくらか読んできましたが、
(広瀬隆さんとか)
これらの本に書かれていることが本当だとしたら、
いくらなんでも、誰か原発を止めるだろう、と思っていました。
(残念ながら結果的には、概ね本当だったわけですが…)
そうならなかった(止めなかった)ことが「倫理観」の欠如だったのか、
あるいは、まさかないだろう、という「思い込み」だったのか、
私にはわかりません。
ただ、少なくとも今後は、
「思い込み」はありえないわけですから、
「倫理観」に基づいた行動をしなくてはなりません。
もし、そうならないようであれば、
今度こそ私たちは許してはいけないでしょう。
いろいろな反応があるようですが、
私としては次のように思っています。
このスピーチ内容は、
至極真っ当なものではありますが、
村上春樹ならではの、意外な視点に基づく内容もなく、
(新聞の社説みたいですね。)
非難はもちろん、特に目立った賛同も必要としないものと感じています。
事が原発であるため、
国際的な注目があることを意識して
この場を使ってしゃべった、
ということでしょう。
だから、
「今まで発言してこなかったことをなぜこの場で言うのか」
という批判は当たっていないと思います。
私は、約30年前から村上春樹のファンですが、
今回のこの感想に、そのことは影響を与えていません。
ただ一点だけ、、、
時々論議になる広島の平和公園慰霊碑文の
「過ちは繰り返しませぬから」について、
(碑文の主語は誰か?という問題)
意識的にかもしれませんが、とても雑に引用していましたね。
主語は、「被害者である者たち」と定義づけてしゃべっていましたが、
この解釈では、この碑文の意味をたいへん狭くしてしまう危険を感じます。
ところで、
私は、これまで原発を疑問視する本をいくらか読んできましたが、
(広瀬隆さんとか)
これらの本に書かれていることが本当だとしたら、
いくらなんでも、誰か原発を止めるだろう、と思っていました。
(残念ながら結果的には、概ね本当だったわけですが…)
そうならなかった(止めなかった)ことが「倫理観」の欠如だったのか、
あるいは、まさかないだろう、という「思い込み」だったのか、
私にはわかりません。
ただ、少なくとも今後は、
「思い込み」はありえないわけですから、
「倫理観」に基づいた行動をしなくてはなりません。
もし、そうならないようであれば、
今度こそ私たちは許してはいけないでしょう。