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5/15記事の続きです。
2006.5.17鑑賞。ドキュメンタリー映画『ヨコハマメリー』公式サイト
監督:中村高寛
主題歌:渚ようこ『伊勢佐木町ブルース』(すみません;渚ゆうこさんと間違えていました;)
出演:永登元次郎(メリーさんと親しかったシャンソン歌手、2004年逝去)
五大路子(赤レンガ倉庫で一人芝居『横浜ローザ』を演ずる女優)
杉山義法(『横浜ローザ』の作・演出を手がけた脚本家。2004年逝去)
森日出夫(写真家。一年間メリーさんを撮り続け、1995年『YOKOHMA PASS』発表)
五木田京子(横浜最後のお座敷芸者。メリーさんと喧嘩したことがある)
清水節子(メリーさんのドキュメンタリーを撮ろうとして、頓挫した経験あり。テレフォンセックスの発明家として有名)
広岡敬一(風俗記者、2004年逝去)
団鬼六(作家、以前横浜在住)
山崎洋子(作家、ノンフィクション『天使はブルースを唄う』はメリーさんとゴールデンカップスが主軸)
大野慶人(舞踏家。暗黒舞踏、クラシックバレエ、パントマイム。妻がシルクセンターで経営するドラッグストアはメリーさんの行きつけだった)
その他、元愚連隊や、メリーさんが行きつけだった横浜のお店の人たち。
クリーニング店。美容院。メイキャップをしていたトイレのある宝飾店ビル。化粧品店。
長い間、横浜の町の片隅に立っていた白塗りの老女。
当時横浜に住む方なら、必ずその姿をご覧になっていたようですね。
ドキュメンタリーといっても、メリーさんの毎日を追った映画ではありません。
映画は、メリーさんが忽然と姿を消した1995年以降に始まります。多分2000年以降でしょう。
ホワイトオバケ。皇后様。きんきらさん。ハマのメリー。呼び名は色々。
素性もいろいろな噂。GI相手の娼婦。元華族。豪邸に住んでいる。かつては絶世の美女。実は男性。
メリーさんに関わりのあった方、昔の横浜を知る方へのインタビューを通じて、段々メリーさんの実像が現れていきます。
彼女はもう、ここにはいない。しかも、自分からは殆ど、自身について語らなかったメリーさん。
しかし、彼女について、こんなに語る方々がいらっしゃいます。
間に挟まれる森日出夫氏撮影の写真。コンサートに出かけたメリーさんの動画。
メリーさんが自ら書かれた手紙。
背は曲がっていて、顔は不気味とも言える白いドーラン。老女には似つかわしくない白いドレスにパンプス。
なのに、どこか凛とした気品のある立ち居振る舞いはどうしてなのか?
映画を観る私たちの心に、徐々に満たされていくものは、この答えなのでしょうか。
弱冠30歳の監督が、興味を持ち始めて10年、撮影を始めて5年。
ようやく、映画が完成しました。
中村監督、おめでとうございます。ありがとうございます。
最初に、この映画の前身が試写された2003年には、皆様ご存命でいらっしゃったのですね。
2006年ロードショーに間に合わなかった命に対して、謹んでお悔やみ申し上げます。
ラスト、奇跡が見られます。これは言いたいけど内緒。予備知識なしで見たほうが感激ですよ~
クランクアップの合図を待てずに「もういいわよね」と仰る元次郎さんがキャワイイ♪
↓ラストのネタバレ(?)があるので、映画をご覧になってからリンク行かれることをお勧めします^^
中村高寛監督のインタビュー。
それから、ちゃととさんのブログを私のブックマークに登録させていただいたのですが、もしご迷惑であればお知らせ下さい。
ごめんなさい;時間ないので、又、明日~♪
「昭和は遠くなりにけり」でしょうか。
メリーさんに関わりのあった方のエピソードは、本当に心温まるものでした。
中でも、衣裳部屋係^^を引き受けていたクリーニング屋さん、「同じカップを使いたくない」といった苦情に対して「メリーさんにぴったりのカップを用意しましたよ」と専用カップを提供した喫茶店主の方々にはジーン。
草加芭蕉様
ようこそいらっしゃいませ~♪
長文のお返事、拝見させていただきました。ありがとうございます。またのお返事はそちらに…。
ブックマークもありがとうございます。迷惑だなんてトンでも跳ねても…。
こちらからも、リンク返しヴィーム!
本作の素晴らしさは、その甘い汁と苦い汁を噛分けて生きてきた被写体の人生を写し出すことなく私たちに見えるようにさせたことだと考えています。それなのに、だからこそ、舞台での花束、エンディングの姿を写し出したことでショックを受けた。
このようなドキュメントを大いに広く発表すすべきであり、単館ではもったいない。それだけが残念です。
コメント、感謝致します。ありがとうございました。 冨田弘嗣
昭和という時代をひとくくりにした言い方は、漠然としたイメージでしかなく、私には良かったのか悪かったのか判断できません;
物心ついた昭和40年頃以降しか知らないですし…。
>被写体の人生を写し出すことなく私たちに見えるようにさせた
その通りだと思います。スタッフの撮ったメリーさんのフィルムはラストだけですよね。
なのに、なのに…。
私の母は大正生まれでしたので、まさに昭和を生き抜きました。
戦争未亡人だった亡母に見せたかったなと思います。
かしこ