
「描ける絵と描けない絵」
私が漫画のアシスタント時代で誇れるのは、資料がちゃんと揃っていれば何でも描けたということだ。 どんな複雑でややこしい背景だろうが描ける。 だが資料がなければ、想像でその風景を再現するのは至難の業だ。 まして、今まで見たことの無いモノであれば尚更想像で描くのは無理である。
私が漫画のアシスタント時代で誇れるのは、資料がちゃんと揃っていれば何でも描けたということだ。 どんな複雑でややこしい背景だろうが描ける。 だが資料がなければ、想像でその風景を再現するのは至難の業だ。 まして、今まで見たことの無いモノであれば尚更想像で描くのは無理である。
ある日の仕事場にて…
海水浴場のシーンで、私は海の家を描いていた。 隣の若いアシスタントが私の絵を覗き込んで、「それなんですか?」と聞く。 「なにって、海の家だよ」と、答えると若いアシは驚いた。 寂びれた漁村の倉庫か何かに見えたらしい。 私の中の海の家は、若い頃の記憶であり、あまりきれいとは言えないトタン屋根の古いイメージの海の家しかなかった。 最近の海の家のイメージはすっかり変わっている。毎年海へ遊びに行っている彼は、今風のトロピカルでオシャレな雰囲気の海の家しかしらない。 そう言えば私が最後に海に行ったのは、いつだったかなぁ・・・・と、ふと考える。
古い友人と居酒屋にて…
中学時代の地元の友人と久しぶりに居酒屋で酒を交わす。 「今でも漫画やっているのか?」と、友人は私に聞く。 「さすがにもう無理だよ」と答えると「そうか…」と少し残念そうな表情でビールジョッキをグイッと呑みほす。 彼は私と会うたびにこの質問をする。
まるで 私が私でなくならないように確認しているかのようだ。 古い友とは良いものだ…と、しみじみと思う。 彼は「オレが今でも描けるのはこれだけだ」と言って小さな紙片の裏に鳩の絵を描いた。 それは俺たちが中三の頃、卒業する際に夕日に向って飛ぶ鳩の絵をみんなで描いた事があった。 あれ以来、鳩だけは描ける。と彼は照れ笑いをする。 私は少しいじわるをして「じゃあ犬を描いてみな」と言う。 彼は、なにやら得体の知れないアメーバのような生き物を描いた。 「なんだよそれ〜」と、笑いながらからかう。 「犬だよ犬!悪かったな〜ヘタでっ」と、彼も笑いながら私の友情のこもったジョークを受ける。 鳩の絵は中学時代に描いたものなのでコツは手が覚えている。 しかし犬の絵は今まで描く機会がなかったのだろう。 犬を見る機会なんていくらでもあるのに、いくら見慣れていても描いた経験がないものは見ないと描けないのだ。
スゴ腕アシのいる現場にて…
自称、漫画界で5本の指に入るスゴ腕アシスタントがいる。 彼は自分で言うだけのことはあって、驚くほど早く、しかも上手い! 某、少年マ○○ンの売れっ子作家のところを渡り歩いたつわものである。 何を描かせてもササッと涼しい顔して描いてしまう。そのテクニックはゼヒ盗み取りたいと思うほど実用的で完璧なものだった。 そんな彼にも弱点があった。 さっきからあるものが描けないで頭を抱えている。 彼をこんなにも苦しめるものは何か? それはただの「メロンパン」だった。 先生は、大して重要ではないので適当に描き流して、と言うのだがどう描いてもメロンパンに見えないと、何度も書き直している。 メロンパンの資料なんてあるわけないし、そのうち、とうとうメロンパンを買いに仕事場を飛び出してしまった。 私たちは呆然とした。 あの何でも描ける人が、メロンパン一個描けないなんて、誰にでも弱点はあるものだ… とその時は思ったのだが、 後になっていや、これは違うぞ・・・・・ 普段から完璧な正確さを追求する者にとって、決まった完成形が存在しないものは、その曖昧さで処理する事ができないらしい。
ちなみにこの人は、あのバイクや車の漫画で有名な「バリバリ〇〇」とか「頭文字○」とかの漫画を描く作家のアシスタントだったのです。 車はさすがに何も見なくてもササッと描けるが、メロンパンは描けなかった。 実は黒インク一色で描く食べ物って難しいんです。 アンパン描いても、アンパンってセリフで書かなきゃジャムパンだかクリームパンだか分からない。 だから「美味しんぼ」の料理や食材の絵は、絶対セリフや文字で、これは何々ですと食べ物の名前の説明が入る。
リアルで難しいとされている絵の正体
ある漫画家のスタジオに、現役美大生が臨時のバイトで来た。 彼は別に満画家志望と言う訳ではないが、先生の知人の紹介で短期間だけのバイトを探していると言うことなので、先生が雇うことにした。 漫画ではない彼の作品(デッサン画)を見てスタッフ一同「おお〜〜っ!」っと感心の唸りを上げる。 さっすが現役美大生… 上手い!誰もがそう思った。 これだけ上手いのだから、いきなり背景を描かせても全然問題ないだろうと、そうにらんだ先生は、彼にベテランアシスタントと同レベルの背景を任せた。 どんなすごい絵が出来上がるのだろうと、ワクワクしていたが、出来上がった絵を見ると予想していたスゴイ絵とはかなり衰えて見えた。 ハッキリ言ってへたくそだった… あれ?… どうしてだろう? エンピツで描いたデッサン画だと完璧と思えるくらい上手いのに、なぜ漫画の背景としてペンで描かせると、その実力が発揮できないのか? この先生の絵柄は、モロに熱血少年漫画タッチである。 80年代〜90年代の少年ジャンプを筆頭に、少年誌ブームで活躍した漫画家は得てして、デッサンの基本を勉強をしたわけではなく、見様見真似の独学が多い。 それはマンガ特有の個性になった。 いわゆる背景にも作者の個性が映し出される絵は、本格的に絵を習っているものにとって難しいものらしい。
劇画界でまちがいなくトップクラスに入ると言われている漫画家がいる。
その先生の漫画の背景は、描写が尋常ではないくらいリアルで、まるで白黒写真と見紛うような完璧に近い絵柄に圧倒される。 どのくらいすごい背景かと言うと、1988年に発行されたデザインの現場3月号増刊「スーパーマンガテクニック講座」という、スクリーントーンワークのバイブル的な雑誌があり、ほとんどの漫画家の仕事場の本棚には、この本があった。

そこで取り上げられているトーンの魔術師と言われた匠の仕事ぶりを見ればそのスゴさは一目瞭然である。 実はその凄腕背景職人の兄と言うのが、先ほど劇画界でトップクラスの漫画家と紹介した先生のことなのだ。 私はその漫画家のスタジオで仕事をしていた時期があり、初めてこのスタジオに行く事になった時、あの絵柄を見てかなりビビった。 それまでの私の絵柄は、当時人気のあった細野不二彦のようなコメディータッチの絵だったから、はたして自分の絵が通用するのか…という不安でいっぱいだった。 しかしそんな不安は、入って一ヶ月もしないうちに消し飛んだ。 リアルな絵の正体がわかったからだ。 なんのことはない写真をトレースしているだけだった。 元となる資料の写真をコピー機で線画モードでコピーする。 それをトレース台で上からなぞるだけである。 どうりでリアルなはずだ。 これにはちょいとしたコツがいる。 写真モードではなく、線画モードでコピーすると、濃い部分はひたすら黒く、薄い部分は白く飛んで写るので、その黒い部分だけをただ正確に写し取るだけ。 あとは、大きなグラデーションのトーンを1枚用意して、写真を見ながら
それに合った濃さの部分を選んで、細かくトーンを貼っていく。 写真のコピーと言うのは面白いもので、描き写す対象が何だかわからなくても、わからないままそのとおり描けばリアルな絵になる。 現実に、もの凄くヘタッピな人がこの現場で、このようなトレース作業をやり続けたら3ヶ月目には、トーンの魔術師と言われている凄腕背景職人と同等の背景を描いていたのです。 信じられないようだがこれは事実なのだ。
最初に漫画絵から絵を描くことを覚えた人にとっては、曖昧な処理能力に長けているが、逆に美術の基本から絵を習い始めた人にとっては、自由奔放なマンガの描き方に引っ張られて、かなり難しく感じるらしい。

スポンジに墨をつけてポンポン叩いたり、ホワイトをつけた筆を紙面に向かってプーっと吹き付けたり、あらゆる手を使う。 冒頭の競馬の絵は、勢いを出すために全部一定方向の斜線とスポンジの叩きで描いた。
ひたすら正確に、ただ写し取るだけの作業は面白味に欠け、苦痛でしかないが、私には何も考えずにペンを動かす作業の方が楽だった。

夜の歓楽街情報雑誌のカットの仕事。 ソープとかキャバレーとかクラブとか〜 そんな絵ばっかり描いていた時期もあった。
昔の中野駅前。 ブロードウェイのある出口ね。

国分寺の裏道にある狭い居酒屋。 よく先生と呑みに行った。

大判のグラデーショントーンを効果的に使う。 中野のようなゴチャゴチャして面倒臭そうな背景でも仕事なら描かねばならない。 それがプロだ。

まぁ、私の場合 絵さえ描かせてもらえればなんでも良いのだ。 どんな依頼であろうと…